1.X.X  ぶとうかのものがたり



 *――*――*――*――*




「――こっちへもっと運んでこいっ。このペースだと前線に暇ができるぞ!」

「新入り、掃除終わったらこっちも手伝ってくれ」

「はい……っ!」

「休憩中の奴もちょっとだけ手を貸せ。来てくれたやつには北東部特産のエールを一杯つけてやろうっ。オレからの奢りだ!」

「おっ、デシめ。口を滑らせちまったな? おいおめえら、ぼさっとしてねえで行くぞ。この案件が終わったら破産させるまで飲み明かしてやろうぜ!」

「一杯だけっつっただろうが……ん?」


 止まない喧騒。現場は今まで以上に忙しない。人数も大規模で、総動員を結して王国本部からの修繕依頼が動いていた。

 王国より北東部に向かう道程。森が広がる先には深く抉られた峡谷があり、反対側へと回るには本来大きく迂回する必要があった。森より東側は異文化を嫌うエルフ族による絶対領域が展開され通行止めせざるを得ない状況。西側へと廻る程植物が深緑や紫に変色しており、魔物の巣食う環境が形成されていく。王国の騎士団さえも撤退したと言われる西側の森に挑むのは勇ましき者か、はたまた無謀者か自殺志願者のいずれかだろう。


 だがしかし、幸いにもその峡谷付近には魔物やそれに類する邪魔者は何もいなかった。それは「底無しの谷」の名前故かもしれない。谷底に落ちたら最期、崩れた岩が落ちてもそれが地で砕けた音さえ聞き取ることができない。翼を失った巨竜がこの谷に堕落して絶命したと話す者もいた。

 多くの噂が立つ峡谷でもあったが、そこへと果敢にも橋を架けた古代文明があった。

 巧みに切り出した石を積み重ね、断崖にアンカーを打ち込み、強大な魔術で補強かけていた。その技術は今にも目を見張るものがある。地名より名付けられた「ノースィースト大橋」のお陰で王国と北東部の往来が可能ともなっていた。


 北東部には通年雪が降りしきる地域がある。過酷な環境の中であったが、王国とも交易の繋がりがあった。厳しい自然の中で生きる動物の毛皮や骨は強靭で重宝され、魔物が蔓延る現世に於いて危険であり同様に必要でもあった。その地域は王国からの支援提供の制約を受諾、交易を継続する代わりに魔物からの脅威にも対応してくれると約束された。今回の王国からの依頼の発端もまた魔物に関係していたという。


「…………むゔ」


 それもこれも、今回の現場の監理主であるブドウには直接関わりない話であるが。


「ブドウの親方!」


 ここ資材仮設置き場の外側から元気な声が響く。

 こちらへと向かってきたのは四名。先頭にはこちらを呼んだ声主のデシがいた。ひょろりとした体格でいつも白いタオルを鉢巻のように頭に巻いているのがトレードマークの青年である。主立って現場を動かしてくれるため、彼のお陰で心配せずとも裏方としてブドウは専念出来ていた。

 続いてその後ろにいたのはユーシャだ。昨今の魔物討伐に自ら進んでこなすという優れ者で、ブドウもいくらかは依頼をお願いしていたところであった。顔を合わせたのは指折りほどではあったが、見知らぬ仲ではない。


「もゔ依頼い゙らい゙お゙わらせたか。ゔしろのは……連れか?」

「そうだが……入っちゃ不味かったか?」

「違ゔ。念の為の確認だ」


 ユーシャは単独で行動していたわけではないようだ。別に連れがいることが悪いことでもない。連れの生まれや名前を言及することもしない。この現場にも出所のわからない者がほとんどだ。今を強く生きてる者を迫害する理由などない。

 それはそれとしてブドウには「見て」覚えておく必要があった。如何なる時も誰がいてどのように動いているのか把握することを責務として携わっている。万一不祥事が起きた際に知らぬ存ぜぬの態度を取らない為だ。無論、事故や危険が生じぬように今も目を光らせている。


「んじゃ、オレ戻りまっす」


 デシが一言、手刀で断りを入れながら告げ去っていった。

 ユーシャの連れは二人いた。一人は少女。弓を携えておるが、格好がかなり軽装だ。もう一人は老体のように見えるが、何処かただならぬ力を持っているように思われた。杖を握っており、こちらはかなり魔術に長けているようだ。

 現場には女や老人はほとんどいない。ここに求められるのは労働力で、必然的にそのような人は集わない。やる気と労力があれば勿論受け入れるつもりだが、そのような者はそうそういなかった。それ故、ユーシャの連れは現場にいても見間違われないだろう。


「あんたが親方さん? ムッキムキね」

「……そゔだが。この身体は日頃の鍛錬から作ったからだ。親方お゙やかただから、ではない゙」

「へー、へー……」

「…………むゔ」


 親切に答えてやったのに女側の反応が妙に薄く、ブドウは顔を顰める。男だらけの環境にいたせいか、異性とのやりとりには根っからの苦手意識があった。


お゙んなからは用はなさそゔだな。……ユーシャ。わざわざここに来たってことは、何か掴めたのか?」


 ユーシャはそれに大きく頷いた。後ろで軽装の女が少しだけ頬を膨らませていたのは見間違いだろう。


「紹介が遅れて申し訳ない。さっき話しかけていた彼女がアーチャで、もう一人はケジャ。ケジャはありとあらゆる魔術に長けた者だ。彼にこの一帯を魔術範囲探知――人以外の反応がわかる魔術で探ってもらった」


 大きな帽子を被ったまま、ケジャは深々と礼をする。先程の女よりは好印象を覚えた。


「わしから簡単に伝えましょう。索敵の依頼じゃが、姿は見えぬが夥しい数が潜んでおりまする。ざっと……幾十か、もしくは百をも越える群れですな」

「……っ!? 野生やせい゙動物どゔぶつだとしても異常い゙じょうだ。峡谷きょゔこく回りは枯れ地がお゙お゙い゙。住むにも潜むにも場所が無い゙はずだ」

「先に断っておこう。この情報については冗談でも嘘でもない。ケジャがいなければ、今までの急所を狙うような依頼はこなせなかった」

「近くにエ゙ルフが住まゔ森があ゙るらしい゙。そこへ干渉かんしょゔした可能性かのゔせい゙は?」

「訳あってエルフに詳しい伝手がある。その情報だとここからじゃ干渉まではしないとの認識だ。エルフ族はその数に一切関与していないだろう」

「むゔ……。地中ちちゅゔに魔物が住む等も聞い゙たことがない゙が、そんなことができたならばそこらじゅゔあ゙なぼこだらけか」

「この橋での最初の依頼も神出鬼没した翼の生えた魔物の討伐だったな。最悪の事態に備えた方がいいと考えての判断で報告しにきた。隠している方がタチが悪いだろうからな。それで止まる現場ではないとわかってはいるが」


 橋の方を見やる。怒号が飛び交いつつも、着実に修繕工事を進める男達。黙っておくのも癪だが、伝える情報を間違えればすぐに混乱してしまうだろう。

 資材置き場まで寄ってきた若い男の荷物を持ち、ブドウも搬入の手伝いを始める。


「親方ッ!? じ、自分が運ぶんで、大丈夫ッス!」

「…………ユーシャ。その数全てをお願いできるとは考えられないが……原因くらいは掴めるか?」


 ユーシャは顎に手を乗せて考え込んだ後「善処する」と一言だけ答えた。


 現場は止まらない。今の流れを崩せば、これからの予定全てに影響が出てくる。だが、早められることには何ら問題ない。


 橋の修繕は踏み床の石畳に取り掛かっていた。一日で通路の半分を終え、もう一日で反対側を行う算段であった。今は三分の二辺りに差し掛かったところだろうか。

 水分補給している細身の青年に声を掛ける。


「デシ! 夕方ゆゔがたまえ゙お゙わらせられるか?」

「んぅっ……ブドウの親方!? ええ、やる気有り余ってるのが多くて助かりまっすね。予定通りには終わりそうですが……何か、オレやっちゃいました?」

「い゙や。催促さい゙そくが来てな。スケジュール詰め込んだ中での無茶な要求だ。可能な限りで良い゙」

「はーっ。まーた上からのヤツっすかー。んまっ、日が暮れる前目指してやったりますよ!」


 デシは右肩をぐるぐると回しながらニコッと笑いアピールする。空元気ではなく本当にできる、そんな風に思わせてくれるのが彼の特徴でもあろう。

 彼達に負担がかかるのも申し分ないが、ここはブドウ自ら動いてまでなるはやで終わらせるしかない。


 石材を一つ肩に担いでから、急に空気がシンと静まり返った。


「――っ!!」


 その直後だった。

 どこからともなく突風が巻き上がる。飛ばされまいと皆が踏み堪えるが、そもそもその風がどこから湧いているかもわからなかった。持った石材は不意を突かれその場に落としてしまう。


 顔を腕で覆い被せながらも隙間から見えたのは大量の烏の大群であった。

 始めは同じく巻き込まれたものだと考えていた。だが、それらが次々と団子のように集まっては塊と成り別の姿へと変わり果てたのを見て、ユーシャ達からの言伝が現れたのだと確信した。


 ――姿は見えぬが夥しい数が潜んでおりまする。ざっと……幾十か、もしくは百をも越える群れですな


「荷物置い゙て橋から離れろっ! とにかく真っ直ぐに走れ!!」


 烏だった集合体は逃げ遅れた者へと襲い掛かる。

 ブドウは最短距離でそこまで近づき、その攻撃を受け流した。咄嗟にとはいえ上手くいなせた。それでも厚手の作業着を貫通し浅く傷がついた。趣味で筋トレをしてはいたが、流石に対魔物武術なぞ習っていない。それでも被害は出ていないだけまだマシだ。

 第二、第三の集合体も続々と現れた。先程の者も腰を抜かしてはいたが四つん這いになりながらも橋から離れていった。


 その後方――皆が逃げていく方向を見遣れば、強い光を放つ何かがいた。光は烏の集合体を一瞬にして退け、烏が散り散りになりながら羽だけを残すのが見えた。それがユーシャだと気付くには然程時間かからなかった。

 橋から離れれば安全になるとわかった今、前線を守るのがブドウの役割だと理解した。


「デシっ。早くい゙け!」

「親方置いていけないっす。オレもやりますよ!」


 細身では難しいだろうに。そう伝える前に、石材を盾代わりにしながらスコップを振り回す姿がそこにはあった。動きはまばらではあるが、護身としては最低限やりくりできていたようだ。

 それでもやはりと言うべきか、隙というものはどこからともなく狙ってくるものだ。


「馬鹿野郎やろゔっ。後ろだ!」


 こちらに向かって笑って誤魔化すデシの背後に襲いかかる影。キョトンとするデシを掴み、安全な方へと投げ飛ばすが危険が移り変わったに過ぎない。


「――ブドウの親方ぁ!」


 烏の集合体が近づいてくる。拍動するように大きさが安定せず、一つの生命体を思わせた。

 一匹か二匹か。もしくはもっと多かったかもしれない。集合体より一つか二つが鉤爪が露わになる。その爪の鋭利さは人の身を抉り取るには容易いだろう。


 魔物。そうだと気付くのは遅かっただろうか。

 この橋がかかる峡谷の谷底か、横穴か。そこにこの烏達は潜んでいたのだ。

 人が太刀打ちできるはずもない最悪の敵。その大群から皆を守るには最小限の被害へ抑えるにも犠牲は伴うだろう。


 犠牲は少ない方が良い。今、この橋の最前線にいるのはブドウただ一人だった。


「…………むゔ」


 死を覚悟した寸前の世界はゆっくり動くと言う。

 走馬灯のように脳裏に思い出が流れていくが、どれも他愛もない日常でしかなかった。それが当たり前であったのが何よりも上回らない最高の日々だったのだ。


 瞬きをすると、眼前に鉤爪が迫っていた。

 まともに受け入れるつもりはないが、せめて数匹は道連れにできないものか。ブドウはゆっくりと動く時の中で、考えるよりも身体が勝手に動いていた。

 危険から皆を守らなければならない。修繕する橋も護らなければならない。

 拳は烏の数匹を横殴りするが、数が多すぎる。我が身が刻まれるのも時間の問題か。


 刹那にして、とてつもなく強い光がブドウを包み込んだ。ブドウには見覚えがあった。この光はあの魔物にも抗えるユーシャから解き放たれた光に酷似していたのだから――。




 *――*――*――*――*

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