1.3.2  魔王城前大通り 邂逅




 対峙して間もなく、ギュルルンと影が急速に伸びてきた。すんでのところで後ろに避ける。砂埃が舞い、自分が立っていた地面に太い拳が打ちつけられていた。

 呑気に空を余所見してる場合ではない。


「魔物と対話は出来ない。るかられるか、か……」

『オマエ、闘う?』

「じゃなきゃこっちが死ぬだろっ」


 異世界の幻とはいえ、魔物は魔物。殴られたら痛みは伴う。この身にもきっと死も訪れるだろう。

 転生の話を聞かされた今だが、それが死んでもいい理由にはならない。ユーシャのようにこの異世界に復活するとは限らない。そもそも、無意味な死を望もうと俺は考えていない。

 生存本能。自己防衛。

 つまるところ、殺られる前に殺るってことだ。


「一応、仮面つけてみっか。……何も変わらんと思うが」


 村人達に対しては赤い目がトリガーとなって敵対反応を起こしていた。はなから不意に襲われている魔物へは変わりないとも考えられるが、多少の違いが生じるやもしれない。

 目の前の巨体は雄叫びを上げて、問答無用で襲い掛かってくる。


「パンチは交互に四回、その次に両手でドシンっと……」


 黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントは決まったパターンで攻撃してくる。昨日は伊達に攻防していた訳でもない。行動が繰り返されると自然と身体は覚えてくれるものだ。

 力いっぱいに黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントが両腕を振り下ろしてくる。わかりきっていたそれを先に避け、続いて無防備に伸びきっている腕へとハンマーを横薙ぎに振り回した。


『ウゴオォォォッ!』


 叫び声を轟かせながら太い腕が一瞬にして砕け散った。

 それも束の間、黒いオーラを纏う黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアント

両肘からすぐに再生されてしまう。


 流石は中ボスといったところか、そんな簡単にはやられない。


「まっ。昨日おんなじことやったから知ってたけどな」

『<>の敵と闘って、オマエに勝算はある?』

「昨日勝ったから、今日も勝つだけさっ」


 左手を広げながら大きく腕を振るう黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントの動きに合わせて、ハンマーで正面から殴る。同様に手のひらが水を打ったように飛び散り、そして再生していく。

 黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントは右腕も同じく大きく振るい、それを同じように返した。やはりすぐに生えてきた。


『……繰り返してるだけ。意味ある?』

「見てなって」


 四連パンチの構えをしてきた。この殴りに合わせるほどの技量を俺は持ち合わせていない。避けるに限る。

 だが、その次に繰り出してきた両手ビンタは丁寧に叩き返してやった。


 地道だが、相手のパターンに合わせてこちらも行動をパターン化していく。

 ハンマーを持って動くことに苦はない。呼吸を乱さなければ、疲労は早々には出てこない。この異世界特有の<>とやらには「疲れ」というステータスがほとんど無いのかもしれない。


「――ウルァッ」

『ヴゴオォォォ――ッ!』


 三周目の右手薙ぎ払いを殴り返したところで、黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントに変化が見られた。全身を震わせるように蹲り、いかにも怪しげなドス黒いオーラに包まれていく。


『なんか、まずい。……やばい』

「効果はあったみてえだな。本気モードのお出まし。……確かに、こいつは明らかに『やばい』な」


 黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントの本性とも言えようか。黒いオーラに身体が蝕まれていく。全身を黒く染めあがったかと思えば、背中から棘のようなものが無数に生えてきた。それは細長く禍々しい槍のように飛び出ては、空中で向きを変えてこちらに狙い澄ませる。


 右手に持つハンマーが微振動する。予兆を感じ取ったように独りでに動きだしては、握られたまま前方に構えをとらせてきた。


『オマエ、立ち向かうのは危ないっ!』


 禍々しい槍が一斉に射出された。

 俺にはどうすることもできないが、ハンマーがこっちを守ろうとしてくれていた。その動きに従い、意に沿う形で力を込めてハンマーを振るった。

 意思があるようにハンマーは次々と槍を弾き飛ばす。数は多いが、丁寧にいなしていった。弾かれた禍々しい槍は小さく爆発しては宙に散っていった。


「――――後ろ……っ」


 それでもなお捌ききれない。多少の被弾は覚悟の上だった。


 ハンマーは前方のみを処理することに専念しているようで、周囲全体まではカバーしきれていない。背中がガラ空きになるのは前回学んだ。

 だからとはいえ、俺にはどうすることもできないのだが。


『……無茶しすぎ。ウチがいなかったらやられてる』

「さんきゅーな、ハッチ。起きてるっつーなら信じてたぜ」


 後ろから真っすぐ突き刺さってきた槍は、ハッチの扉を介して俺の前方へと落下していった。

 当のハッチはいつの間にやらすっかり背中の中に収まっていたようだ。文句を言いに頭だけ俺の横に出してきては、すぐスッと背中に戻った。


 全ての槍を打ち出し切った黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントが俯いていた顔を見上げた。両目が深く抉れており、代わりのような単眼が額を埋めるほどの大きさでこちらを捉えてくる。とうに全身が黒ずんでおり、長い牙からはべっとりとした液体が垂れていた。


 黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントは再び殴りかかってくる。先程と同じパターン、と言いたいところだが少しだけ異なるようだ。パンチは六連続繰り出してきて、大きく薙ぎ払う際にさっきの槍みたいなのが数本飛び出してきた。行動パターンが追加された、と解釈するのが正しい。

 とはいえ、こちらがやることは同じだ。避けて、殴る。ただそれだけだった。


「…………そろそろ、終わらねえか?」


 七周目の薙ぎ払いを避け、左腕の肘に大きく打撃を与える。黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントは怯みながらも腕の再生を試みるが、さっきとは打って変わって様子が異なった。腕の断面から黒い飛沫が溢れ出ているが、そこから生えてくるような素振りを見せない。

 続けて右腕も大きく薙いできた。飛んでくる槍をいなし、無防備な肘辺り目掛けてハンマーを振るった。


『ヴォォォ……ッ!?』


 両腕を失った黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントは戸惑いを隠せずにいた。こちらへの大きな攻撃方法を失ったのだ。槍は少しずつ背中から飛ばしてくるが、第二形態直後程の量は不可能らしい。


「――しまいだっ」


 ハンマーを地面に強く叩きつけ、俺は身体ごと宙へと飛ぶ。

 黒猪鬼の巨主ドーク・ジャイアントはこちらを睨むが、近づかれる個体への対抗手段を失った今や大きな的だった。


 大きく上に掲げ、ハンマーを力の限り振り下ろす。

 頭の一点を狙って、全身を押し潰す勢いで殴った。


『――ヴヴオオオォ!!』


 断末魔を上げながら、巨体は気絶するように倒れ込む。

 俺はその上に着地して、今一度絶命したのを確認する。


「……ふう。ざっと、こんなもんだ」

『…………』

「おい、どした? ハッチ。急に黙りこくって……」

「――何者だ、てめえ゙!」 


 遠くで声が聞こえてくる。複数人の駆ける足音。

 ここは魔王城前の魔物が蔓延る場所。そこに足を運ぶのは、相当な手練れの者達しかいない。


 ああ、昨日もそんな感じだったな。俺はふと思い返して、台詞を口にする。


「……あ? 俺のことか」


 声に釣られて振り返る。五人組が陣形を組み、こちらの様子を窺っていた。


 昨日と同じシチュエーション。だが、既に一つだけ異なる物がここにはあった。


「人、なのか……それは、仮面か?」

「ユーシャ様。この方はすごい方では!?」


 大きなリボンをつけた少女が嬉しそうに手を叩く。隣にいた老人が同意するように頷く。

 大柄な男も構えるのをやめ、軽装な少女も弓を戻した。


「なーんだ、魔物を一人でやっちまったんか」

「そのようですな。ユーシャ様程のお力、もしくは同じ力をお持ちでいらっしゃる」


 後ろにいた青い甲冑の男が一人、唖然としたまま剣を握りしめていた。


「……ユーシャさんよ、初めまして――いや。久しぶり、だな」


 敢えて被っておいた仮面は、確かにここで効力を発揮していた。

 

「おまえ……」

「俺だって学んでんだ。赤い目はタブーなんだってな。実際、そうみたいだろ?」


 周りを促す。ユーシャの連れは訳が分からない様子だったが、それが何よりの証拠であった。


「何者なんだ、おまえは?」

「何者っつーわれても。ユーシャさんと同類ってことくらいしか俺にもわからん」

「同じ、か……」


 ユーシャは剣を紐で括って背負い直す。


「あとはハッチが言ってくれた方がな……」

「ハッチ? 何者だ?」

「だってよ。ハッチー?」


 何度か呼び掛けてみる。応答はせず、無言を貫いているようだった。

 背中を振り返りつつ、「そこにいるんなら返事してくれ」と小声で呟く。


『…………ないって』

「ああ? 聞こえねえ」

『……ウチは深く干渉しないつもりだった』


 渋々と顔を出して、ポンっと空中まで飛び出してきた。


「なんだこいつは!?」


 宿屋と全く同じ反応をするユーシャ。他の御一行も訳が分からない様子だ。それもそうか、こんな小さなやつが急に出てきたらびびるよな。


『喧しいから出た。でも、ウチは干渉できない。オマエから伝える』

「んでだよ。そのまま喋ればいいじゃねえか」


 ハッチがやけに関わりを拒絶してくる。

 ユーシャの方を見ると、ポカンとしたままこちらとハッチを交互に見つめていた。


「……思い出した。この前もそうだと感じたが。おまえ、その浮いている奴と会話ができているのか?」

「…………? どういうこったよ。ハッチならここに……」

『ウチは干渉できないって言った。そのままの意味』


 ハッチはわざとらしくため息をついた。


『転生者にはぼんやりと見えてるかもしれないけど、異世界のヒトにはウチは見えてない。神とかその類の者は必ずや異世界の<>に直接干渉しない。できないようにしている、が正しいかも』

「俺はどうなんだ?」

『オマエは最初に見てしまったから、見えてしまっている。イレギュラーなんだ』

「……ユーシャ様。彼の者と一体何を話されているのでしょうか? 老いぼれにはちっともわかりませぬ故」


 ケジャがユーシャに呟く。ユーシャもまた、他の御一行が見えてないと気付いたようであった。


「あー……。とりあえず、よく見えないと思うがハッチってのがここにいて、俺は色々あってここに導かれて来たわけ」

「ハッチ……。そうか、それはおまえの名ではないのだな」

「ああ、俺か。俺は――」


 言われてみれば、俺に名前はまだない。

 誰かに呼ばれるべもなく、今まで必要ともしていなかった。

 転生前の記憶も未だ思い出せずにいた。パッと出てくる名前にも、ばっちりと当てはまるようなものもない。


 名付けの話題の時に、ハッチが興味を持っていたことを思い出して聞いてみた。


「ハッチ。俺の名前って考えてくれた?」


 ハッチは大きく頷く。とっくの昔に決めていたようだ。


『シバかれ太郎』

「…………」

『…………』

「……うっそだろ?」

『神にシバかれるべき人間。太郎は人間を象徴とする時によく名付けるものって地球から学んだ。オマエは人間。ばっちしな名前だ。前の異世界でオマエに一度呼んだ。だから、オマエの名前はシバかれ太郎――』

「ああっ。それは無し! ださいし、むちゃくちゃネーミングセンスがない!」

『ウチは最適だと考える』

「いやいやいや。嫌。否」

「……あの、いいか? 別に、本名じゃなくたって呼びやすければいいんだが」


 ユーシャも多少は戸惑いを隠せずにいた。会話が聞こえてないのが幸いだが、このままでは独り言を呟いているようにしか思われまい。

 仕方なくも、ハッチの名前を少しだけもじるしかないだろう。


「シバ……。そうだな、シバって呼んでくれ」


 仮称ではあるが、俺はこれからシバと名乗ることにした。


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