1.3.1 魔王城前大通り 道程
*――*――*――*――*
「――いたたった……」
視界がぼやけている。記憶が曖昧だが、どうやらここは宿屋のようだ。にもかかわらず、私の身体はいつものベッドではなく床上に転がっていた。
誰かと戦闘し負けたのだろうか。それであれば、ベッドからの復活になるのが普通だ。変な物でも食べてしまったのかもしれない。
ベッドまで戻り腰を落ち着かせる。冷静にこれまでの出来事を振り返る。確か、見慣れぬ赤目の少女へと戦いを挑み見事な惨敗に帰したのだったな。
「いや、少年だと怒られたような……」
頬が少しだけひりつく。後頭部も腫れているようだった。床で寝転がっていたせいか、寝相が悪かったのか。最悪な寝起きである。
とはいえ、このような目覚めも普通ではない。久々にルーティンではない朝を迎えたようだ。
「朝……だな」
窓の外を見やる。日はまだ高くなく、いつも通りの目覚めの時間と同じだ。
昨日のことを思い返す。やはり謎の赤目の少女――少年が気になるところだ。初登場にして、奇妙な人物だ。等身大程のハンマーを巧みに振るい、こちらを一網打尽に追い払った。そのような実力を持ちながらも魔王でもないと聞く。
「……いつ魔王じゃないと言っていたか? ずっと戦闘に暮れていたような……」
変わらぬ毎日を繰り返しすぎており、あやふやになっていた。今ならあれが夢だと言われても信じ込むだろう。念のために確かめる必要がありそうだ。
伝説の剣を手に取り、マジック袋を腰に掲げる。
「…………?」
剣の刀身を見つめて違和感を覚えた。
どこか不可思議な部分があったわけでもない。見慣れた、欠け一つない代物だ。傷がつかないので当たり前だろう。まるで新品のようなそれが変だというわけではない。
見つめてもわからず、紐で括り背負う。
部屋を出る前に宿部屋の書斎を見渡す。随分と増えたものだ。日数など数えなくなってからどのくらい経っただろうか。ここに来てようやく、恐らくではあるが、新たな魔王城への攻略ルートが現れた。そうに違いない。そうと願いたい。
そのためにもきっと、彼の者の力を借りなければならないだろう。
「また出会うかまではわからない、か……」
扉を開き、酒場まで降りる。他のメンバーは半分が椅子でぐったりと寝込んでいた。これはいつも通りだ。朝のルーティンに変わりはない。彼らは昼過ぎまで目覚めない。
「お昼まで、森で一休みするか」
ユーシャにできることは魔王城前大通りへ向かうルーティンのみ。名も知れぬ赤目の少年に出会うまではいつもと同じルーティンを反復すればいいだろう。繰り返すことには苦痛さえ飽きてしまっている。
宿屋から離れ、いつまでもいる門番に挨拶を交わす。木々の合間を縫って日当たりの良さそうな場所まで歩く。
ポジションを選んで、腰を落ち着かせた。選ぶも何も、毎日同じ場所であった。
「……シチューは、おかわりを食べない方がいいのだろうか」
ふとユーシャは悩む。久々にそのような分岐を考えたが、いたってどうだっていいことだとはわかっていた。だが、その微妙な差異にも気を配らねば、云百年というルーティン外のパターンを掴めないのだ。
本当に、どうでもいいことなのだろう。
そのままユーシャの意識は木漏れ日の中に溶け込んでいった。
――*――*――*――
神が定めし異世界転生の五つのルール。
その項目の最後にあたる『五、最低限生き抜くに必要な<能力>の譲渡』は、いわゆるチート能力の付与と、さらに転生者に適したアイテムが渡されるという。
例えばユーシャには【代償】という<能力>と伝説の剣が与えられた。本来それらは失われることなく、さらに『三、始まりと終わりの異世界<設定>』を突破できるように作られているらしい。
じゃあ俺はと言うと、イレギュラーだからわからないとハッチは肩を竦めた。
『<能力>は異世界の<想像>次第。でも、オマエは異世界外からの転生だったからどこに<能力>が宛てられたか不明。ちなみにアイテムは異世界関係なく神が用意したモノがほとんど。普通は異世界に合わせてるけど、<能力>ほど深くまでは考えられていない』
それ故か、宿屋にて俺が折ったユーシャの伝説の剣を見て代替品を次元の扉から持ってきた時は流石に驚きを隠せなかった。伝説の剣は量産型だったのだ。次に目覚めたユーシャが見たならば、驚愕のあまりに気絶するか、はたまた何事も無かったかのように振る舞うだろう。
ついでにハッチには次元の扉から量産型の仮面を持ってきてもらった。目元を隠せるような代物が良いと伝えると、あたかも初めからポッケに入れていたものを渡すように気前よくポンと出してくれた。その動作に何処か既視感があった。
仮面はシンプルながらも無難なものだ。鼻先で切れており、顔の上半分を綺麗に隠すことができた。仮面をつけていると赤い目はバレておらず、お陰で村を出る時にも苦労はしなかった。今は腰に引っ掛けて、いつでも付けられるようにしている。
「でもまあ。イレギュラーとはいえ、俺にも<能力>はあるんだろうし、アイテムとやらはこのハンマーかな。仮面も貰ったはいいが、後出しなせいかここじゃ顔を隠す以外はイマイチ効果無さげ。あの黒い変な棒……
『
「無くすも何も、手元に戻ってくるんよ」
ぽいっとハンマーを後ろに投げかけてみる。遅れて鈍く重たい物が落ちた音がした。
『オマエ、注意した傍から何してる?』
「まあ見てなって」
右肘を上げ手のひらを後方に向ける。暫くして長物を振り回すような音と共に、掲げていた俺の手元にハンマーの柄がしっかりと嵌った。
「……な?」
『危ない。当たるとこだった』
次元の扉から隠した頭を戻すハッチ。文句を垂れてはいるが、間近で見ていたハッチの目は興味を隠しきれていなかった。
『オマエを主だと認識している……? オマエも扱いに慣れているみたい』
「そりゃあかくかくしかじかあったから」
『カクカクシカジカって何? 鹿の生命体?』
「あー……ググってくれ」
『……?』
「とりあえず、今からその現場に向かってるってこった」
俺とユーシャが出会い闘った場所までの道は一本道だった。
開かれた森の大通りの遠く。木の生えていない境界が見えてきた。
昨晩はひたすらに独りで歩いていたため気の長くなるような距離だと感じたが、今日はハッチと駄弁りながら移動していたせいか存外早くつきそうだ。朝日の時と比べて、太陽は真昼を主張するように天辺にまで昇り詰めている。時間を忘れるほどの移動であった。
なお、徒歩移動についてだが、ハッチに次元の扉をお願いすれば一瞬であっただろう。しかしながら、ハッチ曰く『座標がわからないと変なとこに飛ぶ』とのこと。
『大きい異世界でも<限界>はある。適当にやってもいいけど、簡単に<限界>の外側に出る。やる?』
それだけはやめてくれとお願いした。
もしかすると、転生時はたまたま荒野に落ちたのだと顧みるとゾッとしてしまう。
「……来たはいいが、何もねえな」
荒野を見渡す。魔物一匹もおらず、死骸も消え去ってしまっている。
森の出口、左手奥側には昼間だというのに闇を広げんとばかりにオーラを放つ魔王城が聳え立っていた。よくよく目を凝らしてみると、森と同じく魔王城までの一本の道が続いていた。ユーシャが長年と培ってきた足跡なのだろう。
足跡を辿ると、見覚えのあるクレーターが現れた。
俺の落下地点だ。衝撃を柔らげんと思いきりハンマーで殴ったせいで、しっかりとした痕が残されてしまったみたいだ。
ここに落ちて、なんとか立ち上がって。
「……っ!?」
空に異変が生じた。雲行きではない。あの宿屋の時と同じく、太陽が急に動き出したのだ。日は天高い位置から沈んでいき、夕暮れが始まるよりも少し手前で止まった。
いや、昨日もそうだったではないだろうか。いざこざのせいですっかり頭から抜けていた。あの時も似た現象のタイミングで、不意に影が襲いかかってきたのだ。
「ハッチ、危ないっ!」
後ろを振り返りつつ、ハンマーを大きく振るう。ハッチの背後に翼の生えた魔物が今にも飛び掛からんとしていた。
『キキッ!?』
こちらの動きに合わせてか、ハッチは魔物の爪に引き裂かれる前に次元の扉へとうまく隠れていた。消えたハッチを探さんとする魔物の真横から、全身をぶっ叩くようにハンマーで殴った。
『ギェニャァアッ!』
魔物は地面に打ちつけられながら荒野を滑っていった。遠くで止まる。ピクリとも動かなくなったようだ。
「……ふぅー。危なかった」
『危ないのはお前の方だ』
嫌味こもった口調でハッチが耳元に生えてきた。顔を窺うとものすごく不貞腐れたような表情をしていた。結果オーライだと伝えておいた。
人工クレーターから離れ、魔王城へと再び歩を向ける。
「前も急に襲ってきたんだ。太陽がものすごいスピードで動いたかと思えば、この異世界の
『太陽――環境が動くのは、異世界の転生者が動いたってこと』
「そうなのか?」
ハッチは大きく頷く。まだ口を尖がらせている。
『<想像>にもよるけど、異世界は転生者に影響されて姿を替える。この異世界は、転生者……ユーシャの名を持つ人間が中心で動いている。
「じゃあ俺が再三気絶させたところから起きたってことか。流石勇者様。ユーシャって特別なんだな」
『オマエも転生者で、特別だ』
「そりゃどうも。とはいえ、俺は異世界に影響を与えてないだろ」
『それは……』
『――ググオオオォッ!』
獣のような叫び声。ハッチの言葉をかき消すかのように全身を震わせる咆哮。思わず耳を塞ぎつつ、魔王城の方を見遣る。
「……ああ。こんな奴も出てきたな」
魔王城を背に、巨大な影が俺を覆いつくさんとする。
その大きさは人里の家をも上回る巨体であった。二足歩行で、顔と体が一体化するように太ましくも腕の筋肉が異様な発達を遂げている。全身は毛で覆われており、俺くらいのヒトならば容易く収まりそうな大きさの口からはこれまた俺の身丈ほどの牙が伸びていた。
ユーシャの記録によると、
「なるほどな。魔王城突入前に配置された中ボス戦ってわけだ」
『オマエ、言ってる意味が不明』
「しばらく会話できなくなるぜ……っ」
ハンマーを肩に担ぐ。
背中を見せようものなら、すぐに捕まってしまうだろう。昨日も戦ったのだ。油断できないが、抵抗は不可能ではない。
「……ん?」
ふと、空を見上げる。
日が落ちたせいだろうか。さっきまでは白い雲に紛れてわかりにくかったが、空にほんの僅かな傷跡のようなものが見えた。同じくただの細い雲かもしれない。誰かが引っ掻いたように、うっすらとそれは天高く空に残されてあった。
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