1.2.1  異世界から 異世界へ




 *――*――*――*――*




「勇者様……っ!」


 勇者と呼ばれていた男が白目を剥いたまま倒れ込んだ。

 正確には俺が殴り倒したが。


 他人を殴るのは良くないことだ。

 正当防衛にも過剰な反撃は悪だという。自分の行動に反省するも、後の祭り。ついカッとなってやってしまった、という供述はよくニュースで流される台詞だ。そんな台詞は後世に残したくない。そもそも、この異世界にテレビや法律が存在するかもわからないが。


「勇者様……っ!」

「勇者様…………っ!」

「勇者様……っ!!」


 そうといえば、ここに来る前に神を殴った。あれは誰が裁くのだろうか。人間か、神か。立場的に神だろうな。どこかで教え聞いたブタを裁判にかけるやつを記憶の奥底からふと思い出した。


「勇者様……っ!」

「勇者さま――」

「……あぁあ、もうっ。うるせえな!」


 勇者と呼ぶ男を取り囲う四人が一向に叫ぼうとするのをやめない。殴ったとはいえ殺しまではしてないはずだ。殴った拳がそう語っている。なんなら、そのリボンのでかい女性が振るっていた杖で回復させればすぐに復活するんじゃないだろうか。


「それよか、こっちもまだ起きねえのか?」

『…………』

「……ダメみたいだな」


 背中に声をかける。

 その中に潜んでいるであろう≪扉の番人≫が目覚める様子もない。


 三度目の転生を経て。

 俺はようやく大きな異世界に降り立った。


 白くて長い髪。鬱陶しいが、慣れるしかない。

 黒いラバースーツは少しだけ馴染んできた。以前よりも服装の装飾周りが細やかになっている気がする。衣装は異世界によって異なるのだろうか。大きな違いといえばショートパンツで、露出した腿あたりにベルトのようなものがありちょっとだけむず痒い。ロングブーツは歩くには難しいが、これは慣れるしかないだろう。パンツチェックはとっくに済ませた。俺は男だ。胸元の膨らみは残されたままだが。


 辺りに鏡はないが、勇者御一行からは赤い目だと聞かされた。顔は特に変わってなさそうだ。


「赤い目の魔物、か」


 出会って早々、勇者御一行にそう呼ばれては襲われかけた。いや、ここははっきり襲われたと捉えた方が良いだろう。


 異世界と転生。勇者御一行と赤い目の魔物。


 ここはそういったファンタジーな世界なのだと推測できた。

 前の異世界では草原や小川のような色のある風景だけが存在しており、そういった人や魔物といった動く何かしらはいなかった。この異世界は定番なゲームファンタジーを描いた人間の思考に似ている。細やかな設定が在りそうだ。


「じゃあ、後ろに聳え立ってるんは……」


 ドス黒いオーラを放つ、近代西洋風な建造物。とんがり帽子のような屋根がいくつも連なり、そこから溢れ出んばかりのオーラが空にまで侵食している。もうすぐ日が沈みそうな中、夜とは異なる闇を展開していた。

 魔物を従えてる王が住まう魔王城といったところだろうか。


 赤い目の魔物。

 こちらに来てからというもの、間もなくして容赦なく襲いかかってきた。るかられるかのギリギリだっため、本能的に手元にあったハンマーで殴り返した。黒くて大きなハンマーはまたひとつ形が変わっており、魔物をすぐに斃すことができた。

 そのおかげかハンマーの扱い方にも慣れてきたみたいだ。扱い方も何も、殴ればいい。主から離れようとすると勝手に手元に戻ってくる。置いてけぼりは難しい。意思に反して勝手に手元に戻るようだ。危うく勇者御一行の一味までハンマーで殴ってしまいそうだった。


 特に目が赤いからといって魔物から仲間意識があるわけではなさそうだ。俺が人間だという存在証明にもなれた。案外、話を持ち掛けてみると会話が通じるかもしれない。いや、こちらを見てすぐに襲ってきたのを見るに、友好意識は欠片も無さそうだ。


 魔物がいて、魔王城があって。


 典型的な勇者と魔王の異世界だ。勇者は先程の者で間違いない。俺から殴って気絶させてしまったが。


「勇者、さま……ッ!」

「ユー…………」

「……んあ?」


 何度も繰り返し名を口ずさんでいたのが、唐突に止まった。勇者御一行に動きが見られた。

 不意打ちを狙ってきていた弓使いがスクッと立ち上がり、大柄な男が抱いていた勇者の肩をそっと手放す。勇者が地べたに置かれたまま、その場から移動していく。大きな帽子と大きなリボンを付けた者も、二人に続いて荒野から離れようとした。

 彼らは何事もなかったかのように、静かに歩みを始めていた。機械のような動作で、勇者以外の御一行は奥へ奥へと向かっていく。向かう先には木々が生い茂る森があるようだ。


 不自然ともいうべきか、無感情ともいうべきか。


 てっきり報復なり復讐なりで襲い掛かるものだと多少は警戒していた。リーダーであろう勇者がやられたのだ。勇者を捨てて撤退するにしても、あまりにも冷静でいかもに神妙な動きであった。


 思わず、後ろから声をかける。


「おーい。大事な忘れもんあるぞー」

「…………」

「……おいおい。そりゃあねえだろ」


 誰も振り返ろうとはしなかった。


 置き去りにされた勇者。

 俺は殴っただけだが、それで命尽きたのだろうか。違うと右拳の手ごたえが物語ってる。気絶しただけだ。血すら流れていない。というか本当に回復すらさせなかったのか。ここにまたあの魔物が現れてしまっては、無防備な勇者は今度こそすぐにやられてしまうだろう。


「……ったく。これを運べってのか」


 確かに俺が悪かった。けじめとして、助けてやらないこともない。


 勇者がいない御一行は森の奥深くへと身を運んでいる。その先に村か拠点がありそうだ。

 そこまでなら、この身体といえど苦労はしないだろう。


 「一度助けた」という借りも作れる。主人公たる勇者が目覚めれば、この異世界についての情報も得られそうだ。


 黒いハンマーを逆手に握ったまま、勇者の腕を掴む。


 突如、勇者の全身が黒ずんでは蝕まれていく。


「うーわっ」


 思わず手を放したが、落ちた腕は重力に応じずその場に佇む。

 黒くなっていった身体の箇所から、徐々に空中に溶けていくようであった。その様は斃した後に消失したあの巨大な魔物を彷彿とさせた。

 その時と異なる点といえば、勇者だった身体の上に黒い靄が集まってきていることだった。

 モヤモヤと不安定ながらも丸く形作るそれは、勇者の身体が消え切った段階で俺の身体より少しだけ小さな塊となる。


 うまく表現するならば、これは勇者の魂なのだろうか。やけに黒ずんではいるが、中心には僅かながらも力強い輝きも見られた。

 勇者の魂はそっと静かに森の方へと移動する。勇者以外の御一行が行く先と方向は合致していた。


「……あれについてってみるか」


 奇妙だが、興味はある。とりわけ行く宛もないため、その黒い勇者の魂についていくことにした。


 人が消え去った荒野。

 風が吹くも砂塵が舞うのみ。魔物すら現れる気配を見せない。


 何事もなく荒野を抜け、森に入ってから影が一層に濃くなる。魔王城から漏れていた闇のオーラが夜に紛れる。


 人通りが多いのか、森には何度も踏み越したような獣道が続いていた。あたかもこの道を通ってますよと言わんばかりの一本道だ。車が余裕で通えそうな程に幅が広い。踏まれ続けた草は根ごと絶え、乾いた土が見えていた。


 だが、車はおろか一向に人と出会うようなことはない。魔物ですらそうであった。動物一匹すら見当たらない。


「…………」


 森の中を、歩く。歩く。歩く。

 辿り着く様子はない。


「……………………」


 ひたすらに、歩く。歩く。歩く。

 まだ辿り着かない。


「……ふぁぁ」


 そして、歩き続けた。


 どのくらい移動したのか。それにしても変わらない景色は退屈だ。

 大きく欠伸をして、溢れ出た涙を手でこする。


「んー……。ん?」


 森に入ってから感覚的に一時間か。日もすっかり暮れてしまった頃。

 遠くに篝火と門のようなものが視界に映った。先行していた御一行もその中に入っていった。彼らの拠点である村のような人の住処だろう。


 門の傍らには門番もいた。左右に二人。勇者の魂は村に近づくと少しだけスピードをあげては、ふわりと上昇して中へと入っていった。門番は気づいていないのか、勇者の魂には一目も置かなかった。


「ど、どーも……」


 とりあえず、門番は魔物を入れないような役割だろう。人である俺は通れるはずだ。


「待て、貴様っ」

「赤い目をしているな? 魔物はここを通さん!」


 やっぱりダメだった。


「いやいや、魔物じゃないって!」


 あと数歩で入れるというところで、門番二人の槍で入口が封鎖されてしまう。片方の門番には腕を掴まれた。ちょっとだけ背筋がゾクッとした。


「見たことのない魔物だな。このまま入るつもりなら……」


 もう片方の門番が、矛先をこちらに向ける。赤い目というだけでやはりタブーなのだろうか。多様性をもう少し見定めてもいいんじゃないか。

 そんな切に願うも叶うはずなく、門番が槍をぎゅっと握りしめる。抵抗したいが、片方の門番が力強くて放してくれない。


 矛先がこちらを見据えた。心臓がきゅっとなり、俺はここで死を覚悟した。色々襲われたり殴り返したりしたが、こんなところであっけなくやられてしまうのだ。

 目をギュッと閉じて、己が貫かれるのを待つ。


「…………」

「……なんだ、小僧。見慣れぬ顔だな。もう夜だ、この村で休んでいくがよい」


 急に握られていた腕が解放され、思わず地べたに転げた。うっすらと目を開くと、門番は何事もなかったかのように先程と同様に森の方を見渡していた。


 しばらくしても、こちらを斃そうという姿勢を感じさせない。

 許されたのだろうか。よくわからないまま、目に入った砂塵を拭い取り、立ち上がる。身体についた砂を払って、もう一度一人の門番を見つめた。


 門番は森を見つめている。一瞬目が合った。


「――待て、貴様っ」

「赤い目をしているな? 魔物はここを通さん!」

「なんだってんだよ!」


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