1.X.X けんじゃのものがたり
*――*――*――*――*
――この世界には数多の民族が暮らしていた。人の者、人ならざる者、魔族の者。時には敵対し合い、時には友好的な関係を築き上げていった。
彼らエルフは、そのどちらでもない中立な立場で平穏に暮らしていた。
森の中。人里から魔王城から離れるように住まうエルフの一族。魔物とは決して友好的な関係ではなかったが、人とも共存するべきではないとエルフの村の皆はそう口々に告げていた。
大前提としてエルフは人と似た姿をしているが、寿命やならわしが大きく違った。自然を愛し、自然と共に生きようとするエルフに対し、河川の開拓や森林を伐採する人はとても邪険な存在であった。
爆発的に増えていった人は領土を拡大。エルフの森もまたその被害を受けていた。エルフは得意とする魔術を総動員させ、人がエルフの森へと干渉できぬように施した。入ろうとする者を拒み、引き帰らせる魔術区域を生成した。
それにより、エルフは人とも魔物とも関わらない小さな世界を生み出していた。不満はあったが、平穏を望むには致し方ない犠牲だと我慢していた。
そんなエルフにも、人そのものに興味を持った、当時青年エルフがいた。それがケジャだった。
ケジャは昔から好奇心によって動かされる子供のようであった。エルフの森という狭い世界では飽き足らず、外へと飛び出していった。器用にもエルフの中では魔術に長けていたケジャは、姿を隠して人が行き交う城下町まで足を運んだこともあった。村では異端者として忌み嫌われたが、独りになることはケジャにとって苦ではなかった。
知りたいことが多かった。むしろ、多すぎた。人の文化は多様にも発展しており、城下町一つだけ手にとっても全てを理解することには時間を要した。
人の作法にもだいぶ慣れてきていた。エルフの村の外ではエルフ以外の者、つまり人に成りきっていた。門番に見破られたことも、それを噂されることも一度たりともなかった。
知識の書庫である図書館にて。
ケジャは幾度もここに通いつめた。人は本という紙に記録することを好む。紙は木から作られるが、ケジャには嫌悪感はなく、むしろ興味の方が勝っていた。
それが罠だったのか、あるいは偶然か。
突然自分の正体がバレてしまうとはケジャにとって思わぬ誤算であった。
「そこの、耳の長い者よ」
エルフの特徴をズバリと指摘した者がいた。
ケジャは変装をしており、ここは人が集う場所。ケジャを知る者などいるはずがない。
人は、人以外の者を虐げる。
そうだという知識とは異なった思い込みが、エルフであるケジャからは拭い切れていなかった。
人にとって異端であるエルフが人の街にいれば、格好の的であるはずだ。ケジャを人質として、エルフの森を暴こうとすることもできただろう。図書館にある本には、人以外の種族、特にエルフについては興味を持つような記述が多く載せられていた。人はそうなのだと勝手に決めつけていた。
話しかけてきた人間はユーシャと名乗った。ケジャはすぐに逃げようとしたが、ユーシャからは敵意を感じ取れなかった。
「何故、姿を隠そうとしているのだ?」
ユーシャの疑問はすぐには理解できなかった。ケジャにとって、人ではない自分が人に姿を似せるのは当然のことだと考えていた。だが、このユーシャという男は本当に知らなかったのだ。
日を跨いで、図書館に訪れた。再びユーシャとも出会うことはあったが、エルフがここに来ている等といった噂は一切流れてこなかった。翌日も、その翌日も。
ケジャにはやはり理解できなかった。そしてとある日。直接ユーシャに尋ねてみた。
ユーシャはこう答えた。
「姿を隠してまで、ここに来る理由があるのだろう」
その言葉に、ケジャは大きく頷いた。自分には知らないことが多すぎる。知りたいことが多すぎる。寿命なら人の誰よりもある。とはいえ、欲望は今すぐ知りたがっていた。時間が余り過ぎて足りない。ユーシャ含めた人の思考もわからない。だからそれも知りたい、と。
ユーシャはそれにこう応えた。
「――時間を失ってまで、そんなに全てを知りたいのか?」
この言葉に訳も分からぬまま頷いたケジャは、すぐに理解することになった。
「ああ……うぐぁ……っ!」
頭が重くなるほどの頭痛。一気にフラッシュバックするような情報量が脳裏を過ぎった。
一瞬だけユーシャを疑ったが、それはすぐに違うと判断した。悪意ではない、力を分け与えてくれたのだと。自分でもよくわからぬままそう解釈することができた。
次いで、見たことのない映像が映し出された。ケジャを嫌う森のエルフ達。その噂は一人のエルフから広がっている。そのエルフの不可解な挙動。ケジャも最近姿を見かけていない。赤い目の魔族をおびき寄せて、エルフの森に近づいている。何かに引き寄せられるように――。
このままでは、まずいことになる。
ケジャはそれを見てそう察した。
身体を動かそうと思い立つが、うまくいかない。力が入らなかった。
ユーシャが手を貸してくれた。魔術はエルフに劣らず使えるようで、簡単な補助を施された。
立ち上がってすぐに図書館から駆け出した。手馴れた動作で気配を消す魔術を出すが、不思議なことに流れるように自身にかけることができた。魔術は集中しながらでなければ普通は難しいのだが、今のケジャには呼吸するように行うことができたのだ。
周りの人には一切気づかれていない。ユーシャだけはこちらについてきていた。人をエルフの森にまで導くのは避けたいが、この者だけは許してもいいだろうとケジャは考えていた。むしろ、助けが必要になるだろうと。
路地を抜け、城下町から離れる。森をかいくぐり、魔術の門を通り抜ける。ユーシャもそこを難なく通過していた。
エルフの住まいの手前で、一人のエルフがいた。ケジャは先程映し出された中にいたエルフだと理解し、彼を呼び止めた。
「……おや? どうした、裏切りのケジャじゃないか。それに、そこに一緒にいるのはもしや人間か?」
「何故……」
彼のエルフはケジャの目には別の姿も見えていた。あれは魔術によって生み出された偽の姿である。
振り返るそのエルフの目は赤く染められていた。
赤い目は魔族の象徴。隠れてはいるが、周りには魔物を数匹引き連れていた。
元からエルフに仇なす魔物が、エルフの森に潜入していたということだ。
彼をエルフが住まう先まで引き連れてはならない。ケジャはすぐさま偽エルフの魔術で覆われた外装を剥がし、本当の姿を露にさせる。
偽エルフの白い肌がひび割れ、鱗が生まれ、角が生えてくる。
「裏切りは、そちらであろうっ」
『……ウグ、ウガワァ!』
偽エルフが叫ぶと同時に、隠れていた魔物がこちらに飛び掛かってきた。襲ってくると予想していたケジャは魔術で左右に防壁を張り、奇襲を未然に防ぐ。
「手を貸そう」
ユーシャが背負っていた剣を引き抜き、魔物を両断する。人間が魔物に対抗することが信じがたいことであったが、さらに魔物に打ち勝ったその姿にも大きく驚かされた。
ケジャは前線に出るユーシャを信じて、身体能力向上魔術をユーシャに注いだ。ユーシャは驚いたように振り向いたが、無言で頷いて、魔物の残党を一気に叩きのめした。
『ググヴァ!』
偽エルフだった魔物がユーシャを切り裂かんとする。
すんでのところで避けたユーシャは反撃を繰り出す。しかし、偽エルフの魔物に覆われた魔術の障壁が砕けるだけだった。
ユーシャは何度か斬撃を試みるが、魔物もまた障壁を無数に生み出していく。元々変装するくらい優れた魔術の使い手なのだ。いくら魔物を一撃で倒せるユーシャであっても、斬撃を未然に防がれては意味が無い。
「くっ……」
ユーシャの動きが少しだけ鈍る。このままでは消耗戦になるだけであろう。
ケジャはどこか突破口がないか、偽エルフの魔物を見つめた。すると、天から降ってくるように偽エルフについて識ることができた。
彼の身体能力。耐性。
魔術の容量。使用する魔術の嗜好性。
魔術障壁の展開方向性。魔術の癖。
それに伴う背面への無防備さ。
目で見た情報がデータとなり、それを重ね合わせる。そこから算出された数多くある突破口のうちの一つが導き出された。
「人間よ、
ケジャは大量の光の弾を生み出し、偽エルフの魔物に向かって打ち出す。偽エルフの魔物はこちらに気づいては腕を広げ、魔術障壁を作り出した。光の弾はいとも容易く弾かれてしまい、方々に散っていく。その様を見て、偽エルフの魔物は高らかに笑っていた。その程度なのかと嘲笑するように。
「――後ろがガラ空きだっ」
『グゴガガガガッ!?』
意図を察して背後に回っていたユーシャが一突き。偽エルフの魔物の背中を貫いた。
光の弾が反射することで、目眩しのようになっていたことに偽エルフの魔物は気づかなかったようだ。
『グヴグガアアッ!!』
断末魔をあげて、魔物はその場に倒れ込んだ。
「この
ユーシャが血のついてない剣を振るい、鞘に戻す。
「……誰か、こっちに来るみたいだ」
騒ぎを起こしたからか、何者かが近づいてくる。ケジャはユーシャに気配を消す魔術をかけ、さらに探知魔術不可魔術を重ねがけする。
「――何者だっ」
「……
頭を垂れて、膝をつく。続々とやってくるエルフの巡回兵
「おい、本当に誰もいないか?」
「探知魔術をしたが、他に隠れている者もいないな」
「…………」
エルフには探知魔術不可魔術をかけてもバレてしまうのがざらだが、あろうことか人間であるユーシャの姿には誰も気づいていない。
「森の外から来たお前よ、魔物を引き連れて何をしていた?」
「……? ですから、
「ケジャだと? お前があのケジャの名を名乗るのか?」
エルフのひとりが手に持つ槍をケジャに向ける。他のふたりも睨むようにこちらを見下していた。
「エルフの森の外にいたエルフだな。あいにくケジャを名乗るようだが、我々の森の中には入れることは出来ぬ」
「……っ。何故です? 昨日までは何事もなくいたではありませぬか!」
「それ以上森に踏み込むな!」
睨んでいたふたりもまた槍を構える。矛先には魔術によって生み出された毒がまとわりついていた。見ただけでも普通の薬では取り除くことが難しいとわかる毒だ。触れるだけでも身体への影響は大きいだろう。
「お前には魔物共々森へと引き込んだ疑いがある。魔術区域を越えられる同族のようだが、ここで引き返せ。さすれば許してやろう」
「見てわからないのですか? ケジャ本人であると」
「ケジャは我々の森にも同じ名を持つ者がいる。人の蔓延る街に通う汚らわしい奴だ」
「だが……お前みたいな奴じゃない。お前は元々森の外で生きてきた者だろう? ケジャはそこまで歳を食っていない、まだまだ若い奴だ」
「
嗄れた声は、まさしく自分から発せられるものであった。
「爺さん、気の毒だがこの森のルールなんだ。魔物をやっつけたかはわからないが、森長にも報告させてもらう。その前に、この魔術区域から立ち去ってくれ」
「エルフの森は誰も受け入れない。人や魔物はおろか、同族であってもな」
「見殺しって訳でもあるまい。今まで森の外で生きてこれたなら、不都合もそうなかろう」
彼らは槍を向けるのをやめたが、そこから動こうともしなかった。ケジャがこの場を離れるまで監視するつもりだろう。
ゆっくりと立ち上がるが、すぐに力が抜けてしまう。転げた先にある太い枝を手に取り、魔術で自身を補強しつつ杖のようにして身体を起こす。魔術は年老いた今でも相変わらず息を吐くようにかけることができた。
ケジャは巡回兵達に背中を向けて、まっすぐエルフの森を後にした。背の高いユーシャを一瞥するが、とりわけ正体をばらすようなこともせず、黙々と一緒に魔術区域の外へと出た。最後までユーシャの姿が彼らにバレるようなことはなかった。
「…………」
「……これから、どうするんだ?」
エルフの森を離れてしばらく会話していなかったが、ユーシャが先に話しかけてきた。
「わ……しは…………」
喉がつっかえるような感じがした。咳払いをし、既に心に決めていたことを伝える。
「貴方様に、このケジャがお仕えします」
ケジャの野望は人について知ることであった。
その気が遠くなるような夢は、ユーシャの能力によって一瞬で果たした。
ユーシャからは改めて自分について語ってくれた。伝説の剣のこと、魔王の復活のこと、人の国王より魔王討伐の任があること。
「この老い先短き命に代えて、御付き合い致しましょう」
献身つくすことを宣言したケジャはユーシャよりさらなる力を分け与えてもらった。
ユーシャの
だが、その力によって、ケジャは万事を知識として納めることに成功したのだ。
長寿の寿命の大半を浪費してまで――。
*――*――*――*――*
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