1.1.3  あかい めの まもの



「魔物? いや、人……?」


 魔物が化けているわけでも無さそうだ。

 ユーシャには正体を掴むことができなかった。


「赤い、目の……魔物っ!」


 血眼を走らせるアーチャが弓を構える。

 あまりに早合点だ。だが、アーチャの速度に追いつける者はいない。

 幾度も獣を狩った弓が、赤い目の標的を捉えた。


「魔物は絶対に仕留めるっ」


 音もなく赤目の少女の背後に回る。

 スカーフが舞い、薄着の素肌が容易く露になる。


 アーチャの中には羞恥という言葉はない。その代わり、人知を超える俊敏な身のこなしという力を手に入れていた。


 人知を超えるものは、魔物ですら凌駕する。


 ユーシャにはほんの少しだけ見えるが、それでも反射が間に合わないとわかっていた。赤目の少女はこちらに気を取られている。何者かわからない今、急所を外してくれた方がありがたいが、脅威であることには違いない。


 アーチャがすぐに弦を弾いた。矢が、空気を切り裂いて、赤目の少女を背中から貫く。


「……っ!?」


 アーチャの表情が歪んだ。

 命中したならば、さほど驚くこともなかろう。避けられたようには到底思われない。矢が弾かれた様子でもない。刺さっただけでは、絶望するほどの出来事はないはずだった。


 だが、アーチャが放った言葉には信じがたい内容が含まれていた。


「矢が、吸い込まれた……?」


 いったいどういうことだろうか。


 アーチャは赤目の少女の後ろまで迫ってしまい、こちらからでは上手く状況が呑み込めない。

 文字通りに信じるならば、矢が弾かれたわけでも刺さったわけでもなく、忽然と赤目の少女の背中へと消えてしまったようだ。


「あれま。いつの間に後ろにいた? すばしっこいな、お前」

「魔物が、喋るなぁ!」


 躍起になったアーチャが続けざまに弓矢を放った。赤目の少女は危険を感じて、魔物からすぐに飛び降り回避した。


「危なっ。ちょっ、刺さったらどうすんだっ! こいつならもうピクリとも動かんぞ」


 そう言った傍から、大きな魔物の亡骸が消滅を始める。少女はあたかも初めて見るような目で、魔物が消えるさまに驚いていた。


「魔物めっ。ア゙-チャから、離れろ!」


 ブドウがすぐさまアーチャの元に駆け出す。両肘をくっつけるような姿勢で前方につっこみ、赤目の少女を突き飛ばそうとした。


 赤目の少女は片手に持ったハンマーを地面に叩きつけ、身を大きく翻した。小さな身体が宙を舞い、大地を抉ったハンマーは残されたままその場から離れる。ブドウの突進は空振りに終わった。


「まだだ、お゙い゙っ」


 突進の勢いを右足だけで殺し、すぐに方向を一転させる。綺麗な着地を決める赤目の少女。手ぶらな今、猛烈な一撃を喰らったならばひとたまりもない。


「よっと。にしても魔物、魔物って……」


 赤目の少女はブドウの方を振り向く。勢いよく猛進する大男に驚く素振りを見せた後、慌てる様子もなく左手を地べたに合わせて水平に置き、クイックイッと下に何回か降ろした。

 それによって魔術が飛び交うわけでは無かった。再び同じハンドサインをブドウに向かって送る。魔術による効果があるようには感じられない。


「――ブドウっ! しゃがめっ!」


 ブドウの後方。赤目の少女が叩き残したハンマーが、ブルブルと震えだしたかと思えば、突然ブドウの後頭部を狙って跳ね飛び出した。反射的に動けたブドウはすんでのところで避け、ハンマーは綺麗に赤目の少女の手元へと戻っていく。


 これは一体どういうことだろうか。

 赤目の少女が何もしなければ、ユーシャは大きなハンマーの動きに気付かなかった。まるで、わざとこちらに教えるかのように、ブドウに向かって「姿勢を低く」とハンドサインを送ったのだ。


「こっちのほゔが、力がはい゙るってな!」


 踏み込んだブドウが、低い姿勢のまま右腕を真っすぐ伸ばす。赤目の少女の顔程の大きさのある拳をまともに喰らったならば、一発でノックアウトしてしまうだろう。


 ブドウのパンチは少女の顔寸前で、主の元に飛んできたハンマーによって遮られてしまった。

 しかし、それを見越したブドウはハンマーごと赤目の少女を殴り飛ばそうとしていた。華奢な彼女ですら手軽に扱えるハンマーであれば、それがブドウに不可能な訳が無い。


「お゙らっ!」


 何かが砕ける音。

 血が舞う。

 続いて聞こえてくるは、ブドウからの叫び声であった。


「……い゙っでえ゙!!」


 赤目の少女は何事もなかったかのように、殴られたハンマーをくるりと回して、二回り以上も大きなブドウの身体を軽く投げ出した。それは殴り飛ばすというよりも、ハンマーの柄と頭の裏側に引っかけて投げ飛ばすような形でこちらへと返された。


 強い。

 今までのどのような魔物よりも手ごわい存在だ。身体能力といい、ハンマーを操る能力といい、それは人間技とは思えない。魔物であるならば、魔王かそれに類するような存在であろう。


 魔王が人の姿を騙っていてもおかしくはない。ユーシャはまだ、出逢うばかりか魔王の住まう城にすら辿り着けていないのだから。


「やっぱ、変だ。おかしぃよ!」


 遠くでアーチャが叫ぶ。弓を構えてる様子から、ブドウのいざこざ中に不意を狙ったのだろう。それも、赤目の少女にはどこにも命中していないようであった。


「いくら打ち込んでも、矢が背中に刺さった途端に消えちゃう。どうしてなの!?」

「矢が消える?」


 赤目の少女が口を開く。強者の風格だ。矢等の飛び道具は無効化するような肉体かもしれない。魔王であればそれも頷ける。

 それを伝えようと、我々を嘲るつもりだろうか。


「……なんで?」

「…………」

「…………」

「…………?」


 荒野に静かな風が吹く。その音も聞き取れるほど、あたり一帯が静寂に包まれた。


 今、赤目の少女は何と言っただろうか。

 何故か、と我々に問いかけてきた。

 知るはずがない。赤目の少女の能力であると、ユーシャは解釈していた。だが、そうではなかった。


 赤目の少女にも知らない力が働いたというのだ。


「……………………」

「……ま、まさか」


 沈黙を最初に破ったのは、今まで口を開かなかったケジャであった。


「どうした、ケジャ?」

「い、いえ。とんでもない。ですが、後ほどつまらぬ戯言をぼやく老い耄れを罰してくだされ……」

「何かわかったのだな。申せ」


 ケジャは見ただけでこの世の総てが識れる者。やけに解析に時間がかかったようだが、謎に包まれた赤目の少女の正体がわかったのだろう。


 年齢としか恐怖か。震えた声で、ケジャはゆっくりと口を開いた。


「赤目のあやつの能力は、何も……ありませぬ。ただ一人の、人間のようです」

「人間……」

「何も能力がない上に、赤い目をした人間? そんなわけないよっ」


 初めに嚙みついたのはアーチャであった。


「さっきちゃんと見たよ、矢が消えるとこ。それに、赤い目をした人間がこの世に存在するわけないじゃん。そんな奴が存在するなら、とっくのとっくに魔王に仕えてるに決まってる!」

お゙ち着け、ア゙ーチャ」


 ヒーラに応急手当してもらいながら、ブドウが止めに入る。弓矢を限界まで引き絞っていたアーチャだったが、それをすぐに弾くことことはなかった。


「本当なのか……? ケジャ」


 ユーシャの問いかけに、ケジャはひたすら頷く。

 弛んだ皺を延ばすかのように、目を剥いて現実を見つめていた。ケジャがわからなければ誰にもわかるはずがない。


「……一つだけ。老い耄れには未だにわからぬことが、たった一つだけ、ございました」


 この世界の全てを知識として手に入れたケジャ。彼は若くして万物の知恵を懇願したため、ユーシャがそれを叶えさせた。だが、そんなケジャにも識っていないことがあるという。


「ユーシャ様。貴殿のことです」


 ケジャは跪く。目は見開かれたまま、しかし焦点はどこか合っていない。まるで懺悔しているかのように、ポロポロと口から言葉を漏らす。


「わしは勇者であるユーシャ様をとても崇拝しております。ただの身勝手な興味本位、ほんの出来心でした。身近に知らないものがありましたので……。ある時、ユーシャ様を少しばかり覗かせて頂きました。ですが、わしには何もわからなかったのです。ユーシャ様が手に入れた力というものも、生まれや故郷についても。どこからともなく現れたという噂の諸元も」


 顔を上げて、ユーシャを見つめてくる。そして、赤目の少女と見比べるように視線を交互に送った。


「……今。ユーシャ様と全く同じものを読み取ったのです。あの赤い目の者は。――これは、あくまで憶測にすぎませんが。あやつは、ユーシャ様と同じか似た生まれ、育ち、そして力もまた……」

「そんなはず無いっ」


 声を荒げて言葉を放ったのは、ユーシャ自身であった。


 ケジャの解に、ユーシャは自我を抑えられずにはいられなかった。


 私と同じくして転生してきたと?

 私と同じ力があるだと?

 私と同じ役割を持って降りてきた存在だとでも?

 私を転生せしめた神様なるものが、役割不足だからと駒を補充したのか?


「私はもう何百年と戦ってきた。今になって、そんなことでルーティンを変えられるようなら……」


 勇者は、この世界にユーシャただ一人だけいれば良いのだ。英雄となる者には英雄なりのプライドがある。


 背中の剣を引き抜く。黄金に光る刀身が、荒れた大地に燦然と輝く。


「こいつを斃すっ!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る