1.1.2  いざ まおうじょうへ



 魔王。

 それは、魔物率いる軍団の中でもトップに君臨する、謂わば魔物界隈の君主。

 他の種族、とりわけ人を嫌い、人の世界を支配しようとする存在である。今も人の生贄か世界かを要求してくるという。姿かたちといった一切の情報がないのは、見た者を全て喰らってきたその力故とも言えよう。


 魔物。様々な化け物の総称。

 魔王に忠誠を誓い、魔王に従う。

 獣の容姿に酷似していたり、虫のように奇抜な形態をしていたりする。人型に近しい者もいた。大抵は翼や尻尾といった、人とは明らかに異なる部位を持つため、それで判別ができる。


 さらに共通した特徴として、魔物は皆赤い目をしていた。どんな姿をしてようが、目の色が欠けることなく赤かった。目を合わせることを嫌い、会話することなく、ひたすらに人に襲い掛かってくる。そもそも、彼らと正面から喋れるとは考えられない。


「前方、右側。あと十三歩先、一番大きな岩の影」


 突如襲い掛かる存在に、普通の人では太刀打ちできなかったらしい。力量が大差で劣っていたのだ。


「ケジャ、先行して身体能力向上魔術を前衛に」

「御意」


 だが、ユーシャ達は違った。チート能力のおかげで、それを凌駕することが可能となる。


『――キシャァ!』

「ふんふんっ」


 ブドウが脇を引き締め、飛び掛かった魔物の初動を防ぐ。続いて、その分厚い拳で魔物の顔面に一発殴った。


『キェア……ッ!?』

「きっしょ」


 既に魔物の背後に回っていたアーチャが、弓を引き絞って放つ。

 一閃、魔物の背中を貫いた。


『ギュッ…………』


 力を失った魔物は、声を上げる間もなくパタリと倒れた。


「これでもうおしまい? 呆気なっ」

「お疲れ様です。回復しますね」


 ヒーラが杖を振るうと、前線に出た二人を淡い光の中に包みこんだ。


「うぃ。あざっす」

「……ア゙ーチャ。さっきさりげなく、きもい゙っつーたな?」

「えぇ? 覚えてない。まぁ、間違ってはないっしょ」

「何だとっ。やる気か!?」

「自意識過剰すぎ! 喧嘩なら買ったったるぞっ」


 流れるような言い争いを無視して、ユーシャはケジャに範囲探知魔術を要求する。


「他に動いとる魔物はおらんそうじゃな」

「……そうか」


 村から離れ、森を抜け、だたっぴろい荒野に出たユーシャ一行。

 ケジャに周辺の探知を頼んではいたが、いないことは知っていた。この先に出てくる魔物は全て把握している。どこに出現ポップするかも、どのくらいの数で襲ってくるかも。


「ユーシャ様。お言葉ですが、やけに慎重ですな。魔王城に近づくにあたり、警戒しすぎるのもお力が無駄になるかと」

「いや。まだ大丈夫だ」


 この先現れる敵も、さほど強くはない。

 それを見越して、いつもとは違う今日は入念に調べる必要があった。


 もしかすると、何かが起こったのかもしれない。

 魔王城に辿り着ける、小さな希望にもユーシャは縋りたかった。


「ブドウ、回復しきったら七歩前へ。ブドウが前に出たら、いつも通り進行開始」

「了解よお゙」


 開けた荒野だが、魔物はどこからともなく現れてくる。

 魔王城手前の大通りというだけあり、不意打ちを仕掛けてくる魔物も出てくる。わかってしまっている不意打ちとはもはや不意ではない。奇襲を受け止めきれるブドウを前衛に、出現ポップしたら一斉に叩けばいい。


 ザクザクと砂利を踏みしめる音。

 風はなく、変わらぬ景色が続く。文字通り、本当に景色は変わっていないのかもしれない。


「あと少ししたら、ブドウの頭上からくる。念のため、ケジャは絶対防護魔術をブドウの頭上にかけておこう。上を見てるとやってこないから、ブドウは前方からの襲撃だけに備えて。アーチャは魔物が見えたらブドウの前方迎撃へ。ケジャとヒーラはブドウのフォローを」


 ユーシャは陣形を整えて、次に備える。私の出番は二度目の奇襲で左脇から攻めてくる魔物の処理だ。


 間もなくして、不可思議な煙と共にブドウの前方へと魔物が展開する。遅れて空間が歪み、ブドウの頭上に魔物が現れた。


「ふんふんっ」


 魔物が二体。前方から同時にブドウを突撃する。腕を交差させるようにブロッキングをし、突撃した魔物を跳ね返す。


『グ……ゲャ!?』

『グャ!?』


 奇襲を防がれた衝撃で魔物が一瞬退く。

 その隙を逃さずアーチャが無言で矢を二本同時に放った。弱点を突かれた魔物は一瞬でその場に斃れ込んだ。


『……ニーシャア!』


 さらに不意打ちを仕掛ける魔物がブドウの首元を狙う。しかしながら、予め用意していたバリアに防がれてしまう。

 その魔物はすぐにケジャの発火魔術によって全身を燃やされた。燃え盛る中、呻き声をあげながら魔物は全身を黒焦げにして地に落ちた。


「あとは、もう一陣……」


 ユーシャは剣をいつでも引き抜けるよう握りに手を添え、ブドウの左脇を警戒する。これが終われば、あとは大型魔物がいるところだけだ。


「…………」


 しかしながら、想定していた奇襲は一向に訪れることはなかった。


「………………」

「……ユーシャ様? いかがなされましたか?」


 ブドウを癒すほど余裕があるヒーラ。他の皆も構えてはいるが、魔物に襲われるような気配を感じ取れない。


 おかしい。実に、おかしかった。


「この場に出た魔物の数は?」

「い゙ち、にー……三体だけだ」

「ケジャ、範囲探知魔術を」

「既に実行しておりまする。他に動いとる魔物はおらんそうじゃな」

「……本当に、いないのか?」


 別にケジャを疑ったわけではない。

 当たり前であったことが急にそうでなくなった瞬間が、ユーシャにとって何よりも奇妙であった。


 辺りに転がるは三つの魔物の残骸。確かに今受けた攻撃はこの三体だけだ。三体とは、ユーシャの記憶では一匹だけ欠けてしまっている。


 先の地震の件もあった。今まで一つたりとも欠けたことのないルーティンが、不自然に崩れ落ちていっていた。


「……あちら、何でしょうか?」


 ヒーラが指差す先。遥か前方の地面が大きく陥没していた。めくれ上がるように大地が割れて飛び出ていた。


「なんだあ゙? クレーター? 隕石でも降ってきたか?」

「ブドウが馬鹿力で殴ったみたい」

「馬鹿だと? 馬鹿ってい゙ったな?」

「自覚無かったんだねぇ……」

「やる気かあ゙、こんの野郎っ」


 いつもの二人を余所に、少しだけ近づいてみる。中央に小さな黒い影が落ちていた。


「あれは……魔物、でしょうか? でも、あの距離はケジャが探知した範囲内ですし……」

「……あ゙ん? ア゙ーチャ、どこ行くっ」


 魔物という言葉に反応したアーチャが素早く様子を見に行った。矢尻でつんつんとつついているようだが、ピクピクと痙攣するだけで動き出すような気配もない。


「魔物の死体、ですな」


 先程戦った魔物とは異なる個体。いつものルーティンに不足していた魔物が、ここに亡骸となってポツンと残されていた。


「ひど。ぼっこぼこぼこにぼこられてる」

い゙っとくがそい゙つ、こっちからは殴ってすらねえ゙ぞ」

「まだ消滅してない。倒されてから、時間はそれほど経過してないようだ」


 程なくして、塵となって魔物の亡骸が消えていった。

 ユーシャ一行よりも先に、何者かがここを通り去っていったらしい。


「誰か心当たりある人物はいるか?」

「いえ。検討もつきませぬ」

「……王国騎士団がここを通った時にぼこぼこに斃した、とか?」


 王国騎士団。国王に仕える軍事騎士の総称。

 彼らは騎士の名があるように、国王に忠誠を誓い、また国を護るべく存在。

 人類の中では、最低限ではあるが、ユーシャ達のように魔物へ抵抗が可能な兵士が集う。


 だが王国騎士団がここを通ることはないはずだ。

 彼らの移動には主に馬が使われる。蹄鉄の痕跡が残る。巡回兵だとすると、複数人分の足跡があるはずだ。それに、彼らに多少なりとも武器や力があるとはいえ、魔物を一瞬で倒すほどの術は持っていない。


「いいえ、たかが王国の騎士ですもの。魔物相手なんてしたら、馬を叩いて必死に逃げ惑いますわ」

「一人で、魔物に抗えるやつがいる……?」


 そんな者はいない。

 ユーシャ以外に、そのような力を持つ存在がいるわけがない。


『――オォ…………』

「……っ!」


 野太い声が、やられるような悲鳴。

 人の叫び声ではない。この声の主はきっと魔物だろう。


「ユーシャさんよ。こっちにも聞こえたぜえ゙」

「あっちだ」


 進行方向にして、魔王城の方面。

 確か、この先には人を遥かに上回る大きさの魔物がいたはず。


「行くぞっ」


 ブドウとアーチャを先頭に、悲鳴がした方へと向かう。


 魔王城は近づかないが、何か大きな影がそこにはいた。

 鬼が出るか蛇が出るか。

 果たして魔物を倒す存在は、味方なのだろうか。


 大きな岩が右に二つ、左に三つ、さらに右に一つ現れた先。

 前方に大きな魔物の亡骸が転がった上に、細身の身体が一つだけあった。


「…………」

「何者だ、てめえ゙!」 


 遠くからではわからなかったが、白銀の色をした髪の人のようであった。

 身体は小さく、長い髪に隠れてしまっている。その隙間から見える姿は黒い。翼や尻尾のようなものは見向けられない。だがこの世の者ではないと思わせるような、ただならぬ気配を感じさせた。


「……あ? 俺のことか」

「人、なのか……?」


 その者は振り返る。

 童顔で傷一つない白い肌。胸元にある膨らみから、女性に類するものだと推定できる。右肩には黒いハンマーのようなものを掲げているが、大きさからしてとても持ちきれていないのではと疑いたくなる。彼女が踏みつけた足元には、ユーシャが識る大きな魔物がぶたれた跡を残して転がっていた。

 人が、それもまだ幼い少女の姿をした者が、丸呑みされてしまうほどの大きさを持つ魔物を斃したというのか。


「ユーシャ様、お気をつけてっ」


 ユーシャは魔物の屍に足をかけた少女と視線を交わす。それは、ユーシャにとってにわかに信じがたいものであった。


「人型をした魔物じゃと?」

「こい゙つ、目が赤い゙!」


 少女の瞳は宝石のように魅惑させ、かつ血のように残酷な、魔物の象徴である赤い色をしていた。


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