1.1.1 つづきから はじめる
*――*――*――*――*
「…………ャ、さま……」
誰かが呼び掛けていた。
木漏れ日がやんわりと瞼の上を撫でる。
「……ユーシャ、さま」
細い指が自分の身体を優しく揺さぶる。
大きなリボンが影となってこちらを心配そうに見つめていた。
「あ、ああ。なんだ……ヒーラ――か」
「あの、お邪魔してしまいましたか? あまりにも心地よさそうにしてたもので。突然起こしてしまい申し訳ございません」
「いや、良い。理由があってここまで呼びに来たのだろう」
ほんの少しだけ昼寝をしたつもりであったが、長い間眠りについていたみたいに身体が重かった。首だけを動かし、傍に立てかけておいた剣のベルトを手に取る。
「大したことではございません。村の者が、ご出発前にとお昼を振る舞ってくれるそうです。しちう、と仰っておりました。
「ヒーラはほんと、好きなんだな」
「あっ……。いえ、そんな……」
「ありがとう。大したことじゃないか。早く、シチューが冷める前に戻ろう。」
ゆっくりと立ち上がり、黄金に輝く大振りの剣を肩に背負う。
やたらともじもじするヒーラを後ろに、元居た村の方へとつま先を向ける。遅れて、軽やかな足音がついてきた。それも、自分を越さずに傍らまで近づいて一定の距離を保つ。
彼女はヒーラ。職は回復術士。
緑色を主体としたフリル付きのワンピースを愛用し、袖回りも手首が隠れるほどのフリルが広がっていた。特徴的に大きなリボンを後頭部に結んでおり、身長が低くとも遠くからでも見分けがつきやすい。
回復術士は前線には出ず、主に後方からの支援に回る。恥ずかしがり屋だが気が利く女の子で、手に入れたアイテム管理の多くは彼女が仕切ってた。城下町唯一の屋敷の一人娘にして、この世界には数少ない回復術を扱える者でもある。
「昨日ユーシャ様が捕らえられた鹿のお肉を入れたとのことです。鹿のお肉は硬くて昔は食べられたものではなかったですが、しちうに入れるととろけるように柔らかくなるのが不思議なのです」
ヒーラはシチューのことを思い浮かべながら頬を抑えていた。
もう、何万回と食べたことやら。ユーシャは口に出さず、ヒーラの嬉しそうな顔に相槌を返した。
「村の皆さんで食べるとのことで、他の三方もお手伝いに回っておりますわ」
村外れの雑木林から、隠れ出てきたような村に近づく。
「ええっと。確か、あちらの方にいらっしゃったような……」
「――こらっ。ブドウ、また肉ばっか取ったなぁ!」
喧噪が聞こえてくる。目を向けると、山盛りの器を持ったがたいの大きな男とそれに噛みつく上裸の女が言い争いをしていた。
「あ゙? そんなことねえ゙。普通に盛っただけだ」
「それが普通ぅ? てんてんてんこ盛りじゃん。ほらぁ、比べてみてよ! ブドウの目は節穴かぁ!?」
「普通だ。ア゙ーチャこそ、肉ばかりでは、その露出した身体が醜くなってしまゔだろ」
「うるさいぃ。自分を気にしなさいよ、このハゲおじ!」
「なんだ? もっぺん
「……また、喧嘩してますわ」
やれやれとヒーラが溜め息をついた。
二人が喧嘩しているのは日常茶飯事であった。犬猿の仲とも言うべきか、喧嘩するほど仲が良いとも言うべきか。
がたいの大きな男はブドウ。職は武闘家。
頭には色味が取れた赤いバンダナをしていた。代謝が良すぎるせいで普段から欠かさず巻いてるという。同じ黄色いベストを何着も所持している。スタイルにはあまり凝らない性格のようだ。見せつけるように発達した上腕三頭筋がその力強さを示している。
元大工の親方から、仕事を辞めて共に旅に出た。鍛え上げられた筋肉は、武闘術により前線で敵の攻撃を受け止めるに容易いほどの硬さを誇る。反面非常に不器用な為、武器を持たないどころか、これから食事するのに必要なスプーンを持てるのかさえ怪しい。
対する上裸の女はアーチャ。職は弓遣い。
上裸とは比喩ではなくそのまんまであり、首元からリボンのような結び目をぶら下げたストールがなければ、その下に丸々と実るそれがはっきりと見えてしまう。
弓は古来より使われてきた武具の一つであるが、彼女の敏捷さとその巧さに敵う者は誰一人としていなかった。銃火器がないこの世界では、弓は遠距離にも適正がある。隙を突いて敵を仕留めるのは彼女にしかできない芸当だ。
そのアーチャの横を通りすがりながら、薬指の欠けた左手でテーブルにあった器を三つ手に取る。
シチューは村の者にも配っていたようだが、ちょうどほぼ全員分を分け与えたのだろう。配膳の列は並んでおらず、奥で一休みしている老いた姿に声をかけた。
「ケジャ、手伝ってくれてたのか」
「おお、これはこれは。ユーシャ様よ、おかえりなさいませ。只今、お注ぎ致しますわい」
断りを入れる間もなく、ケジャは器三つ同時にシチューを盛る。浮いた玉杓子が一滴もこぼさずに、そのまま鍋の中へと戻された。
唯一人間とは異なるエルフのケジャ。職は賢者。
長寿であるエルフの中でも相当な歳を重ねていた。尖った耳を隠すような大きい帽子は彼の小さな身丈の半分ほどの大きさを占める。エルフ種は人間にはあまり友好的ではなかったが、ケジャはとても協力的であった。記録が趣味であり、今までの冒険は村にある彼の書斎を覗けばいつでも振り返ることができた。
彼はこの世の万事を知っていた。あらゆる武具や攻撃技、魔術等々。それだけでなく、見ただけで総てを理解する力があり、彼を前にして敵はいなかった。
「はて、しかし。器が三つも要りますかい。おそらくですが、ユーシャ様、それにお連れのヒーラさんと、二人前で十分ございましょうぞ」
「何言ってるんだ、わかってるだろうに。それだとケジャの分が無いじゃないか。せっかくなんだから、一緒に食べよう」
「ははっ。ありがたきお言葉。老い耄れは食べることを忘れておりましたわい」
器をぷかぷかと浮かべながら、ケジャはゆっくりテーブルへと向かった。
「ほんっと
「ア゙ーチャは服を着ろ、恥さらしめっ!」
「……二人とも。そんないがみ合ってたら、お食事前にしちうがこぼれてしまいますわ」
先に戻っていたヒーラに続いて、ユーシャも席につく。隣は未だにやかましいが、これも日常だった。
いつもと変わらない風景。楽しかったのも始めのうちだけ。日常を何万と繰り返し、これからも何億と繰り返すのだろう。
「…………」
ユーシャは食べ飽きたシチューを口の中へと放り込みながら、そんな思考に更けていた。
「ふっふっ、はふはふ、はむはむ、ほむほむ。……お゙かわりだっ」
山のようにあったシチューをペロリと平らげたブドウ。
それを見て早すぎでしょとぼやくアーチャ。
その横で幸せそうにシチューを頬張るヒーラ。
ブドウの器を遠隔で盛りながらも食事を営むケジャ。
個性的な四人組と共に、ユーシャは国王直々の命令でとある依頼に励んでいた。
ユーシャ。勇者として、ここに君臨した一人の男。つまり私だ。
青地ベースの鎧を身に纏い、金色に輝く剣を背負っている。この剣はユーシャが封印されし地より選ばれし者として唯一持つことが許された、伝説の剣であった。万物を切り裂くことができ、刃には血や傷跡すらつかないため手入れを必要としない。最強とも呼べる代物であった。
元々ユーシャはこの世界とは別の世界からやってきていた。いわゆる異世界転生と呼ばれるものだ。転生前はこの村のような自然溢れた土地とは縁が遠い、賑わいの絶えない住宅街で生まれ育った。それも遥か遠くの話で、もう記憶にすら疎い。
転生時に授かったチート能力があった。チート能力はまるで魔法のように、ありとあらゆる者を驚かせ、魅了させ、支持させた。そしてここまで力を保持する精鋭な面子を揃えることができた。
揃えるところまでは順調であった。
結成したその日から、今まででどのくらい経ったか。ユーシャには計り知れない。そして、彼ら四人含めたユーシャ以外の者はそのことを知らない。
「ユーシャ様……?」
心配そうな声でヒーラが様子を窺ってきた。シチューを掬った手が止まっていたようだ。
「ああ、すまない。少しばかり考え事をしていた」
「そうでしたか。いっぱい食べて、英気を養ってくださいね。ブドウほどの量は困りますが。これから、魔王城に向かうのですから」
「……そうだな」
魔王城。魔王の住まう城。
国王の勅令で、魔王討伐の任務がユーシャに課せられていた。
この村は、その魔王城から最も近い村であった。隠れ里のように周囲が森で覆われており、安全面からも最終補給地点として設けていた。ここから暫く歩くことで、魔王城に一番近い大通りに差し掛かることが可能となる。
そこまでのルートはユーシャには把握済みであった。道中襲い掛かる魔王の手下、いわゆる魔物も。その魔物の弱点も。行動パターンも。何度も何度も通過したから。
だが、ユーシャ一行が魔王城の麓まで辿り着けたことは一度たりともなかった。
余りに遠すぎるわけでもない。険しくもない。大通りから魔王城は簡単に目視できる距離だ。目測ではあるが、通常であれば半日もかからないだろう。
しかしながら、大通りから三日三晩歩いても魔王城まで辿り着けたことがなかった。何回も何回も挑戦を重ねた。何日も何日も。それでも、届かない。
魔王城には近づけない何かが仕掛けられていた。原因は未だ不明。万事を知るケジャにも確かめることができなかった。魔物にも交渉を試みた。そうやって調べては諦めて、再びこの村へと戻る日々を過ごしていた。何度も何度も。挑戦してみては、撤退して。ヒントが得られたことはない。強いて得られたことと言えば、全てがダメだということ。
いつしかユーシャは、機械仕掛けのようなルーティンを繰り返すようになっていた。
今日もまた、その一巡を試行するのである。
「……考えるのは、辞めよう」
残された最後の一口を含んでから、ケジャに空の器を渡す。
とっくに食べ飽きたシチュー。これをユーシャは、いつも二杯食べてから魔王城に向かっていた。ルーティンが欠けることはない。ただひたすらに、これを繰り返すのが運命なのだと、ユーシャは考えていた。
「ユーシャ様。ささっ、お熱いのでお気をつけて」
この時が訪れるまでは。
「ああ。ケジャ、いつもありがと――」
ドスンッと大きく一回。
衝撃が、ユーシャを襲う。
続いて、視界の暗転。
瞬時に世界を覆った闇は音も形もなくもとに戻る。
思わず零しそうになった器を抑えながら、周囲を警戒した。
今まで、このような事案が起こったことはない。
天災もそうだ。機械仕掛けのルーティンには、例外などは起こりうるはずがなかった。
唐突に、ルーティンに嵌められていた歯車が、たった一つだけ、誤作動を起こした。
「一体なにが、起きたのだ……?」
大地の震動。敵からの攻撃ではない。
これは、この世界そのものの揺れに違いない。もしくは、それ相応の大きなモノが動き出したかのような。
「はて、何かどうなされましたか?」
ケジャが不思議そうな様子でこちらを窺う。
テーブルに目を向ければ、他の皆も特に何も感じなかったようだ。
この世界に来てから、天災は一度たりとも生じたことがない。大地が揺れるという感覚は、経験したことがなければかなりの異常と感じるはずだ。
転生前の世界では地殻変動のため、地震というものが存在することは知識としてあった。だが、知っているだけであり全く経験がない者にとって、初めて感じる大地の揺れというのは余りにも奇妙で、とても恐ろしいものなのだ。
嫌な汗が流れていく。
ここにいる場では、ユーシャだけが、この恐ろしさというものを味わっていた。
手に持ったシチューは一滴も垂れていない。
テーブルに置かれたコップの水はそっと静かに佇む。
他の村人達も、何事もなかったかのようにいつも通りの日常を過ごしていた。
世界のルーティンは、異常を感じ取れずにいた。
「みんな、準備をしてくれ」
その一つの外れた歯車は、ユーシャを突き動かすには充分な理由付けとなった。
「ユーシャ様? まだ、おかわりされたしちうは残されてますが……」
「ほふほふっ。ユーシャさんよ、こちとらまだ食べ
「ブドウはすぐに平らげれるでしょ……」
ユーシャはシチューの器を手提げのマジック袋にしまう。万能な収納アイテムの中身に入れておけば、いつでも熱々のままで食べることができる。シチューならばいつでも食べることができそうだが。
「これは、私からの命令だ」
「……仰せのままに。ユーシャ様よ、すぐに出発致しましょう」
ケジャの一言で、他の三人も黙々と準備に取り掛かる。ユーシャに選ばれた者であるが故に。
肩に提げていた剣を手に取り、剣先を目的地へと向ける。
「今日こそ必ず。いざ、魔王城へ――」
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