0.2.3 転生の始め方_(3)
『逃げてても遅かれ早かれどっちも捕まる。早いに越したことはないと思う』
走り続ける地面の傾斜がなくなってきた。
小川の流れも緩やかになる。異世界の中央平原へと近寄っている証拠だ。
後方では、緑が、青が、削られていく。浸食速度はさほど早くはないが、突っ立ってしまうとすぐに足をくすみ取られてしまうだろう。
『アイツの目的は多分、オマエが持ってる
「身代わりになれってか。あの魔女神が、これを返せば許されると思ってる?」
『ううん』
「……だろうなっ」
俺は三度も殴ってしまった。仏の顔だって三度までっていうくらいだし、ましてあの魔女神がはいどうぞと許してくれるとは到底考えられない。執拗にここまで追いかけてきたのだ。
「流石に四度目は……来ないよな」
声は聞こえど魔女神は姿を現さなかった。取り返しに来てるとはいえ、まだその時ではないのだろう。警戒するのも当然である。
『――いつまで逃げるつもりだ。≪扉の番人≫、貴様もだぞ』
「どこにいやがるっ。喧嘩なら受けて立つ! それとも、びびって出てこないつもりか?」
『――…………』
『大きいから目立つ。いたら、見える』
「
『――…………』
『ダイズ? それってそんな大きい?』
「言葉の綾だ」
どこか空気が震えた。……ように感じ取れた。
『――……貴様達っ。ぬかしおってからに。ただで済むなぞ思わぬことよ』
『……っ!』
並走していたハッチが急ブレーキをかけた。走り疲れたわけでもなさそうだ。走ってるかも怪しいが。
俺は膝に手をつき、呼吸を整える。
「はぁ、はぁ……。どうした?」
『逃げ場が無い。ここ、この異世界の<中核>の上』
「あ……? どういうこったぁ……」
見渡すと、四方八方から世界が浸食されていた。同心円状に、ポリゴンが空に浮かび上がる。それはちょうど今いる地点に向かって収束しているようであった。
異世界の崩落は、異世界全体で始まっていた。たまたま異世界の<限界>付近にいたため後ろから浸食されているとばかり考えてしまったが、実際は右方左方前方からも、異世界の端から始まっていたのだ。
『異世界の中心って言えば伝わる? 中心の一点から、異世界が広がる。崩壊は異世界の遠い所から侵食する。つまり、<中核>が最後』
「じゃあ、どうしろってんだ」
ハッチは俯きながら頭を振った。さっきまで余裕ぶってた姿が、悲哀に満ちていた。
『ここが最後に消えるから、オマエは今ここ以外の足場を失った。あとはミンチにされるか奈落に落ちるか丁寧にシバかれるか。アイツの気分次第』
「……まじかよ」
『ウチは移動できる。でも逃げ場もほとんどない。おしまい』
「そうだっ。ハッチ、別の異世界に行けるんだよな? 白いとこからこっちに来た時みたいに、さ。それをもう一回やればいいんじゃねぇか!」
『また繰り返すだけ。……それに、良くない』
「移動に良いも悪いもあるのか?」
上半身だけを次元の先へと浸かり、ハッチは足をばたつかせた。穴に埋もれてもがいてるようにしか見えないが、何かを探しているのだろう。小さな足は面ファスナーで履く子供用のスニーカーが着けられていた。
『異世界間の移動には、ウチの中でも膨大な能力を使う。元居た異世界に痕跡もすぐには消せない。さっきは前々から細工してたけど、今回は異世界の<中核>の真上で、しかもアイツが見てる状態。次の異世界に行くのに同じ手が通用するとは限らない』
「そうか……でも、今はやるしかねぇだろ」
『……うー』
異世界の<限界>がじわりじわりと詰め寄ってくる。
今はハッチの次元の扉を信じるしかないが、この先もいたちごっこが続くようでは意味がない。あの
「……ハッチ、さっき<中核>っつーてたよな。なんか、目に見えてあんのか、それ?」
この下にあるのだろうか。足踏みをしただけでは何も起きない。地面に埋まっているのだろう。異世界が完全に崩落すると、姿を現すのかもしれない。
しゃがんで、地べたに触れてみる。これから崩落するとは思えないほど、いたって普通の地面。少しだけ掘ってみてもわからなかった。
『<中核>は普通隠してる。異世界に転生した人間に見つけられたら悪影響与える』
「ハッチはどこにあるかわかるんか。悪影響って、どうしてだ?」
『<中核>は異世界の存在を凝縮したようなもの。いじられるだけで異世界に影響が出てくる。この崩落もアイツが<中核>をいじったから。神にしかこなせないから、ウチじゃ扱えない。人間なら猶更。触れられるかまではともかく、わかってても下手に触らない方が賢明。<中核>がある限りは、この消失が起きてもさっきの白い異世界みたいな形が残る。最悪<中核>がなくなると、異世界ごと消える』
「おっ。すっげぇ策を思いついた!」
『……うわ』
明らかに怪訝そうな顔だ。ハッチの下半身は既に別の扉の中に嵌っていた。
『一応聞く。でも……嫌な予感しかしない』
「<中核>を、壊す」
イチかバチかの賭け。
目の前の≪扉の番人≫は、今までに見せたことのない苦虫を嚙み潰したような表情で口をへの字に大きくひん曲げていた。
「すげー顔だな」
『う……。異世界が無くなると、オマエ、死ぬよ』
「それでいいんじゃないか? ハッチなんだろ、俺を
『死ぬのは怖くない?』
「……そんなこと言ってらんねえ」
正直、言った今になって後が引けなくなった。
ここでびびり散らかして撤回するようでは、漢じゃねえ。
『そんな上手く事が進むかわからない。むしろ、オマエの霊魂は
「
『オマエならそう言うと思った』
希少な<中核>を壊すなんて。そうぼやく声がした。気がした。
『そして、止めろって言っても無駄なのもわかった』
「他に案があるってなら、別だけどな」
『ない。承知する。先に、転生した後のことも考える。またアイツに追われちゃ身が保たない。うん、異世界は決めた。ここよりもっと大きな、時が巡った異世界。大きな異世界なら、アイツも早々手出しはできない。アイツにとっても異世界は大事。……ウチも覚悟を決める。もうアイツの元には帰れない』
「言っちゃあ何だが、<中核>は壊せる代物なのか? そもそも触れられないとか言ってたような気ぃするが」
『わからない。やったことがない』
神にも前例があったならばとは考えたが、流石にないか。
とはいえ、ハッチの反応を見るに不可能ではなさそうだ。一縷の可能性があるならば、それに賭けてみようではないか。
『
「概念、ねえ。ようはやってみりゃわかるってか」
ハッチは完全に次元の扉の中に潜り込んだ。俺の顔の傍にある穴から、声が響いてくる。
『ウチは異世界側の準備をする。<中核>はオマエの真下。やるって決めたなら、ひと思いにやっちゃって』
「わかった。ハッチ、またカウントダウンを言ってくれ。そっちの方が、俺を拾いやすいんじゃないか?」
『了解する。あと、背中借りるね』
「んあ? ああ」
異世界の崩落はもう数メートル目の前まで迫っていた。
ポリゴンの欠片が宙に舞う。遠くを見渡すと、あの白い異世界そのものに戻っているのだとわかりやすかった。
ハンマーを握りしめる。出会って間もないが、ハンマー自体がうずいているのがわかった。今か今かと、衝動を押さえつけるかのように。
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