0.2.4  転生の始め方_(4)




 あと五メートル程。


 大きなポリゴン片が頭上高くで宙に溶ける。


 色がほとんど失せた世界は、白に染まっていく。


 足元がじんわりと光り輝いた。

 崩落による予兆というより、下から光が漏れているようであった。


「この、真下っ」

『いくよー! タイミングはこっちで計る!』


 両手でハンマーの柄をバットのように握る。となると俺は投球を待ち構えた野球選手のようだ。

 直球か、変化球か。

 <>が動かないとも限らない。小さいとも、でかいともわからない。

 ただ、自分なりに最大限の力が籠められるように腰を低くして構えた。


『ごー、よん……』


 異世界の地表ほとんどが消えかけていた。消えた地面の下方数メートル先に、光の塊が佇んでいた。


『――貴様ァ! 無駄な足掻きをッ!』


 光の下に小さな陰が佇んでいた。それがあの魔女神ダイズだと気づいたのは、思い返した後の話だ。


『にー……』


 白の異世界に、影が伸びる。魔女神ダイズの両腕が太くなって光を包みこむように遮る。


『いち……』

「――ウルァッ!」


 上半身を大きく捻り、全身を使ってハンマーを一回転させる。


 掛け声と共に踏み込んだ足が空を掻いた。

 体勢は気にせず、ハッチのタイミングだけに他を任せた。


『――……くっく』


 <>は外部からの接触を守るように光のバリアに包み込まれていた。

 何かに拒まれて弾かれるような衝撃が手元より伝わってくる。


『――くはっはっは。成り損ないめ。常識は、ここでは通用せぬぞ。≪扉の番人≫の入れ知恵かもしれぬが、成り損ないごときでは<>には到底触れられまい』


 魔女神ダイズは片手を大きく伸ばして、ハンマーの柄をつかみ取ろうとする。俺がすっぽり収まりそうな手の影が、こちらまで襲いかかろうとする。


「…………っ」


 <>は壊れないのだろうか?

 殴ってみなければ、わからなかった。


 そして今、殴った。弾かれようが、光る何かを殴っていた。

 それも、殴れた、という感覚があった。

 これだけでも、壊せるという確信はあった。


 <>は壊せる。


 では、力量が足りないのだろうか?

 力で押せないなら、もっと大きな力を押し込めばいい。


 ただその一心で、さらに全体重をハンマーに乗せた。


「ウルァァァァアア!!」


 壊せない?

 誰が決めたのか。そんな常識や概念は。

 壊れないかどうか、壊してみなければわからない。


「――概念を、ぶっ壊せ!!」


 ハンマーを振り降ろす力が徐々に増していき、防がれていた何かを除けるように突破していく。

 光のバリアが視認できるほどに削がれていき、その勢いでハンマーは<>を捉えた。


 ほとばしる光線。

 ピキピキとひび割れる音。

 次いで聞こえたのは断末魔のような叫び。


『ば、馬鹿なッ!』


 瞬時に、ものすごい爆風が俺ごと吹き飛ばした。


『貴様ァ! 許すと思うなよッ』


 魔女神ダイズの姿が一瞬だけチラつく。ハンマーの打撃を受け、片方の腕が形を失っていった。


「へっ。残念だったな」


 眩しい光が全身を包み込む。

 焼けるような熱さを感じる。


 <>の破壊に、成功したのだ。

 異世界の<>がなくなれば、異世界そのものが消失する。


『……だが、貴様は所詮人間の子。転生するしかない成損ないの身体。我が元に返ってくるのだ、その霊魂たましいよッ』


 体の感覚が失せる。

 形を失う。


 やはり、始めに戻るのだろうか。記憶は失われないといいが。転生するにしても、あのクソッタレみたいな魔女神の元へ帰るのはごめんだ。


 異世界が崩壊し、ポリゴンの欠片が飛び交う。


 手を伸ばそうにも、伸ばす腕がない。

 声を叫ぼうにも、叫ぶ口がない。

 空を掻くにも、支える身体がない。


 ――…………ッ


 形を失った異世界で、ハンマーも元の姿に戻ろうとする。質量を失い、無機質な黒い柱のようなものが宙をクルクルと回る。


 魔女神が残りの片手をこちらに伸ばした。黒い柱はすんでのところで魔女神の指をすり抜け、俺の方に寄ってくる。


『――何だと!?』


 黒い柱はまるで魔女神を嫌がるように、こちらを選択していた。


 魔女神はこれ以上こちらを追いかけようとしなかった。何かの気配を察知したかのように、片腕が砕けたままの魔女神は不意に見上げた。つられた俺の視界に、その影は否応もなく入り込む。


 <>を失った異世界に、闇が広がった。闇は反り立つ城壁のように、長く、高く展開していく。

 この闇には見覚えがあった。俺があの白い異世界から、ここまでに移動した手段として。


 次元の扉。


 ハッチが移動するのに用いた扉が、異世界を包み込むように大きく広げられていた。


 ――でっ……かっ!


『馬鹿なッ。有り得ぬ。≪扉の番人≫め、何をしている!?』

『…………』


 崩壊したポリゴン状の<>は宙に溶けていく。異世界が次元の扉に飲み込まれた。


 扉の先から、何かが近づいてきた。それは海を渡る船首が橋の影から顔を出すかのように、こちらへと動いていた。


 余りにも大きすぎる次元の扉に、初めは距離感が掴めなかった。だが、近づいてくるそれが密集した木々の一部分であるとわかり、そのスケール差に圧倒されてしまう。


 木々が、森が、大地が。異世界が、次元の扉の先から姿を顕にする。

 先程までの異世界とは形が明らかに違っていた。やけに大きい。大きすぎた。新たな異世界は、虚無と成り果てた異世界の穴を埋めるように侵略する。


『ええい、≪扉の番人≫め。気でも狂ったかッ。成り損ないに悪影響を受け、暴挙に至ったな!』

『これは……ウチの、選択だ!』


 俺は新たに出てきた異世界のはるか上空にいた。そのほとんどが森に覆われてしまっていたが、開けた先に街のようなものが見えた。切り裂かれた谷底に大きく架けられた橋があった。規模は以前の異世界とは比べ物にならないほどだ。


 そして異世界が出てきた頃合いから、俺の身体も徐々に形を取り戻していった。これも異世界があっての転生なのだろうか。

 足が、腕が、身体が、形作る。


 ――よくわからねぇが、うまくいったのか?


 異世界は未だその全貌を見せていない。ドス黒いオーラを放つ城が頭角を現す。その周辺には荒野が広がり、森と隣接するそれは不思議な配置となる。


『……ッ! この異世界は……』


 魔女神の顔が歪む。

 小言を呟きながら、魔女神はその姿を一瞬にして消した。消えてしまった、と表現した方が正しいかもしれない。自ら引いたのであれば、俺も転生を果たしたため、こちらの作戦勝ちである。


「……ん? やばくねえか?」


 以前にも転生した直後にこのようなことがあったような気がする。


 今や俺の姿は具現化された。転生を果たしたのだ。それはいい。

 真下を見ると、荒野が広がっていた。後ろには大きな黒い城が聳え立つ。それもいい。


 俺は、荒野の――異世界の真上にいた。

 普通に考えれば、このまま空中に佇むわけにもいかまい。


「…………うわあああ!!」


 強い風を感じた。

 それは全身にかかる重力と共に襲い掛かってきた。


 最悪な転生の始まり方だ。もう少し安全に始められないものだろうか。


 ……俺は今、落ちていた。




 *――*――*――*――*



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