0.2.1 転生の始め方_(1)
――*――*――*――
青い空。
薄白い雲。
風になびくのは緑の草原。
黄色く点在する花々。
遠方に
色の情報はどこか新鮮であった。少しだけ眩しくも、目に潤いが増す。
「ん……。ここは……」
撫でるように柔らかな風が心地よい。
今いる地点は高原のようだ。果てしなく広がる草原を一望できる。所々に木々が立っていた。近くには小川も流れていた。
田舎とも呼べるような風景。人里のような形跡は一切見られなかった。
『起きたー?』
「――うわっ!」
突然視界に現れた少女の顔を見て、思わず尻もちをついた。ふんわりとした草が手に絡みつく。上半身だけ身を乗り出した≪扉の番人≫は次元の中に納まっては、もう一度姿勢を整えてこちらに顔を覗かせた。
『そんな驚く? というかさ、その顔でびっくりするのはやめてほしいー』
「その、顔……?」
首を傾げる。ふわっとしたものが肩に引っ掛かった。それが自分の長い髪だと気づくには少しばかり時間を有した。
そして、肩から腕へ、手を見つめる。どこか頼りげないというか、妙に細かった。
ここに来る途中もまた、脚がやけに細く感じた気もしたが、どうやら見間違いではなさそうだ。
小さな手を顔に近づける。そのままふと視線を落とすと、普段見慣れないものがあった。
「……なんだ、これ?」
『自覚ない? オマエ、きちんと転生した。だから、決してしっ……』
一回だけ掴む。胸元に膨らみがあったが、自分の身体のようでくすぐったい。というか、胸そのものが膨らんでいた。
「おっ…………」
『――ぱいはしてない』
「――女ぁ!?」
叫んだ自分の声が全然鈍くなく軽やかな声であった。
跳ねるように身体を起こして、急いで小川に向かった。キラキラ煌めく小川の水面で、反射した自分の顔を見つめる。
小顔で色白の肌をし驚いた表情がそこにはあった。
赤い眼が大きく見開く。長く白い髪が、水面に触れて波紋を作る。頬に手を当てると、水面も真似して小さな顔をぺちんと叩いた。
ついさっき殴り倒したあの女神そのものの顔が、自分の顔として映し出されていた。
身に着けていたものに触れる。脇腹、肘、腿、尻。肩から爪先にかけて全身を覆う真っ黒なエナメル質のラバー材生地。格好ははっきりとはわからない。近しいのはライダースーツだろうか。バイクに乗ってる人はこんな格好してたような気がする。漫画や映画の見過ぎな気もした。否、漫画も映画も何も思い出せはしなかった。
ともかく服装はあの露出度の高い破廉恥な姿ではないようだ。
「ちょっと待て。待て待て待て。じゃあ俺には……っ」
急いでエナメルパンツを広げた。きちんと下着なるものは履いていたようだ。問題はそこじゃない。それよりも深淵にあたる、俺が俺であるはずの象徴たるものが無くなってしまったのではないか?
「……なんか、あるな」
無くなっていなかった。
『何がある?』
「……いや。……あったなって」
『んー? ウチはわからない。転生してるから、姿形ははっきりとする。転生の時に思い描いた人物像になる。オマエはそのまんま、
≪扉の番人≫はやれやれといった態度をわざとらしく示す。
『アイツが好み?』
「はぁ? んなわけあっかよ。あんな奴」
『顔に合わないこと言ってるよ、オマエ。不満? 不満でも、オマエはもう、オマエ』
「不満っつーか、何つーか。こう、ギャップって言うんかな。俺の意思と声と身体の半分が異なってて。しかも顔がこれだ。何これ? 嫌ってわけじゃねえけどよ。いや、嫌だ。嫌じゃない。嫌。わからん。わかんねえ、もう全然っわからねえ」
思い返せばあの女神も『自分の姿を騙った』とほざいていた。転生とやらのタイミングでとうにこうなってしまったようだ。
その場で頭を抱える。
転生。自分は一度死んで、生まれ変わったのだろうか。生前の記憶がない。情報がなさすぎる。ここには「俺」という自我しか残されておらず、姿形は丸々っと変わってしまった。
大の字になって寝転がってみた。日光は温かくもなく、冷たくもなかった。目を閉じて考え直してみたが、やはり理解が解釈に追い付かない。
「……ん?」
手元に違和を覚えた。
岩のようなそれは、先程あの女神を叩くときに使った黒い槌だった。あの時よりもしっかりと角ばったハンマーの形をしていた。
ハンマーはちょうどこの手元に落ちてきたようで、地面を大きく抉って刺さっていた。相当な質量を持ったものだ。だが、手に取ってみると見た目よりもそこまで重いものではない。
腹筋の要領で身体を起こして、胡坐をかく。あまり気にせずに肩に担いでみた。普通ならば肩の骨にまでめり込んでいただろう。今も柄を持ったまま、テニスラケットを弄ぶようにくるくると回すことができた。
「ほんと、わからねぇことだらけだ……」
ため息をつく。頼れるのは、自分が自分である意思と、あとは謎に付き纏う存在であった。
『……どうしたよ? 元気ー?』
健気に聞いてくるな。
純粋な瞳をした≪扉の番人≫は、こちらのことを気にせずに次元の狭間から身体を乗り出しては移動するを繰り返していた。
一番の謎は、こいつじゃねぇか。俺は心の中でそっとぼやいた。
「…………」
『……んー? 何か顔に付いてる?』
「いや、違う。……なんだか助けてくれたっぽいけどよ、そこんとこは感謝してるが。お前は何だ? 飛んだりちっちゃくなったり移動したり。今更だって話だが」
『そっかー。ウチはウチ。≪扉の番人≫って呼ばれてる、≪扉の番人≫よ』
元気にワープを繰り返す少女は、自らを≪扉の番人≫と名乗った。名前というものは存在しないらしい。
『名前って、確かに人間にはそんな文化があったねー。名前、名前ー。オマエも名前ある?』
「あるってか、俺が転生したばっかじゃ名付け親もいないし何もねえだろ」
『名付け親。親……。転生前はどうなの? 地球で生まれて死んだんでしょ』
転生前の記憶はない。
それは転生前も今も確かにわからなかった。
そのことを告げると、≪扉の番人≫はさもびっくりしたように瞼を広げた。
『記憶喪失? なんでー?』
「いや俺に聞かないで」
『転生する時に普通なら記憶が残る。途中混ざっちゃってどっか飛んでっちゃったなー』
まっそれでいっか、と軽く流された。
「良いのか……」
『知らない方が良いこともある。死ぬ寸前が長かった人間の個体とか、苦しんだまま転生しちゃう。地球で若くして薬漬けの日々を送ってた人間が来た時とか、見てるこっちもムズムズするような感じがしたー』
えぐい話をさりげなくするんだな、この≪扉の番人≫とやらは。
『地球のルールも知ってるとやりづらいってこともある。意思疎通は可能みたいだから、転生してもオマエは大丈夫!』
「転生っつーてもな……」
辺りを見渡す。聞こえるのは小川のせせらぐ音に草むらが擦れる音。自分の姿は今やあの女神と似たそれになった。あまり実感はわかないものだ。
「転生っつーのは、ただただ生まれ変わってるだけなんか?」
『違うー』
「違う? あれか、生まれ変わると同時にチートとかスキルとか与えられてるんか。本で読んだことあるぞ。いや、あったかはわからねぇけど。あった気がする。俺はこのハンマーか?」
『んー……。そうだけど、そうじゃない』
「あ? 言ってる意味がわからん」
≪扉の番人≫は動きを止めた。ちょうど頭上あたりで逆さになってこちらを覗きこむような姿勢であった。何故だか、≪扉の番人≫の髪は重力に反していた。
『オマエは生まれ変わっていない』
「……は?」
『転生したからって、生まれ変わらない。生まれ変わったなら地球にちゃんと還ってる』
「じゃあよ。さっきから言ってる『転生』って何だ? 俺は死んだからこうして生まれ変わったんじゃないのか?」
≪扉の番人≫の顔が近づく。一切の瞬きをしないため、奇怪にも感じ取れた。
『早い。早いよ。転生は生まれ変わることじゃない。オマエっていう人間が死んで、オマエっていう
「難しいことはわからんけどよ。それを生まれ変わった、って言わないのか?」
『……むー』
目の前の頬が少しだけ膨らんだ。拗ねたな。なんだこいつ。
『オマエ、ここがどこかわかる?』
「知らん。宇宙のどっか」
『ここは異世界』
「そうだろうな」
『異世界は地球にも宇宙にもない』
「まぁ、そうとも言われるな。知らんけど」
『神が創る』
「神は大変だ」
『うん。異世界には必ず<限界>がある。ちょうど、後ろ』
「後ろ……?」
≪扉の番人≫が指差す方向。膝を立てて、後ろを振り向く。
「…………」
『あれが<限界>。異世界の領域外』
俺が見たのは、緑広がる草原が続く緩やかな坂道――のはずだった。
十数メートル先。ちょうど小川まで駆けてきた距離の五倍くらいだろうか。そのあたりから、草原が徐々に失われつつあった。そこから、草とは思えない無色のポリゴンの物体がぽつぽつと現れ始めていた。ポリゴンの数はこちらから遠くなるほど増していき、次第には何処かで見たことのある白い異世界へと変貌しているようであった。
草原の中で徐々に分離しているポリゴン。見えない世界への境界がそこにはあった。
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