0.1.2 神様の殴り方_(後)
強い風を感じた。
うっすらと開く瞼の先は眩しくて、まだ目を細めたままにしてる。
いや、それよりも風がものすごい。
瞼が開けないと言った方が正しい。真っ白な景色に反して嵐の中にいるみたいだった。
『オマエっ! やっと、起きたー!』
「……?」
声が聞こえた。
どこからだ? 方角を探す。だが、それも嵐の影響か風に切られてしまい掴みにくい。
『詳しく話してる暇はない! このままだとオマエまた死んじゃうよ!』
「…………?」
何となく聞き取れたが、言っている意味がわからない。また死んじゃう? 状況を把握できてないが、風がどんどん強くなってきてることだけはわかった。
『今、右手に持ってるものだけは離さないで!』
右手。握っている。
確か、女神とやらが持っていた棒のような柱のようなものを手に取った気がする。
その後、≪扉の番人≫がしがみついてきたと思えば突然飛ばされて――
『それでアイツを殴る! タイミングはこっちで計る!』
今も飛ばされているのではないか?
「ちょっ、待……」
『ごー、よん……』
猛スピードで小さな点がこちらに近づいてきてる。
それはだんだん大きくなり、見覚えのあるものに形作っていく。
踏み込んだ足は空を掻く。
しかし不安定な体勢はどこか固定されていた。
突風が吹き溢れる中、動かせる右手を持ちあげて、俺は思い切り振りかぶった。
――*――*――*――
『……ぬゥ?』
女神は独り取り残されていた。
誰もいなくなった仮の異世界を見渡してから、抜け出した存在がいることに気が付く。
『おのれ、≪扉の番人≫め。成り損ないの転生に乗じて抜け駆けしおったな。……まぁ、良い。それも想定済みよ。先に≪鏡の管理者≫の力をうばっ――継承して良かったわい』
女神は深々と椅子につく。手元が寂しいが、少しだけの辛抱である。
左手だけを伸ばし、虚空の狭間から次元の穴を穿つ。手探りで欲しいものを思い浮かべながら、まさにその形状をした鏡を取り出す。片脚分だけの≪扉の番人≫の力にも馴染んできたみたいだ。
『どれ、鏡には……まだ、何も映らぬか』
≪鏡の管理者≫の鏡は、異世界を映し出せる。
世界を管理する者に与えられたそれは、今、女神の手元に渡っていた。
『ふぅむ。……まだかのゥ』
人間の霊魂が神の元に辿り着いた際の取り扱いは、ここ十数年で定められたルールに則る。
一、<世界>への転移もしくは転生
二、<想像>された異世界の抽出
三、始まりと終わりの異世界<設定>
四、本人が望む見た目の変更
五、最低限生き抜くに必要な<能力>の譲渡
これらが決定さえすれば、人間の霊魂は容易に適応し全うし始める。
『だが神の力ですぐに書き換えられる。無論、死なせるわけにはいかまい。全うさせるための異世界。故に、な……』
しばらくして鏡の中に何かが映し出された。
気づくか気づかないかほどの大きさ。徐々に近づくように大きくなっていく。異世界が決定したのだろう。
ということは、転生が始まったというわけだ。
能力は人間の子が喜びそうなものが適当に選ばれてるか。
あとは、直々に物語設定を修正するだけである。
『……くっく』
まだ気が早い。笑いを堪えるんだ。
女神は鏡に映し出される異世界を待った。
しかし、背景は変わらず鏡は一向に異世界そのものを映し出そうとしない。
『…………おかしい』
目を凝らすと、ようやく小さくへばり付く塵のような点が見えた。
グッと身を乗り出して、鏡に映るものをまじまじと見る。
そこに現れたのは、椅子のようなものであった。
どこか見覚えがある。
グググッとさらに近づいて見た。
誰かが座っていて、何かを一心に見つめているようであった。
『ま、まさか……っ!』
女神は見上げた。
いや、見上げてしまった、といった方が正しいかもしれない。
鏡に映し出されていたのは、ここにいる女神そのものであったのだ。
上方を見たことは女神にとって悪手であった。
椅子にしがみついた状態で、無防備な女神が見上げた先にあったのは、落ちてきた人間の子が掲げた質量の塊であった。
それを避ける隙もなく、女神の顔面へと向けて近づき、
『――ゔぁちみゅっ!』
直撃した。
――*――*――*――
『おゔっ、のぅえ……』
相変わらず汚い声だ。
女神の呻き声を横耳に、こめかみを掻く。
右手に持つ柱のようなものを軽く肩に乗せた。
それも今は形が変わって、とても力を籠めるに適した形状をしていた。色は変わらず黒く、持ち手である細長い棒の先にこれまでかという質量の塊が固められている。ハンマーとか槌とかメイスとか、そう表現するのが正しいだろうか。
急に上空へと飛ばされては落下中に勢い余ってぶつけてしまったが、どこかスッキリした気分でもあった。
よくわかんないけど、とりあえず良しとしよう。
『やっほー。オマエ、転生諸々上手くやったな!』
聞き覚えのある幼げな声が耳に入る。
見渡すと、白い世界の次元を切り裂いて、小さな黒髪の少女が顔を覗かせていた。片側だけ生えた角のようなものが、大きく跳ねた髪の毛に混じっていた。
……さも当たり前のように「次元を切り裂いて」と表現したが、目に見えてる光景はそうとしか表現しようがなかった。手品というのも信じがたい。
そもそも、この少女は何者だ。
『ってその顔、わかんない? ウチよ、ウチ。……あー、≪扉の番人≫って言えばわかる? さっきはほんと、ウチも助かった!』
≪扉の番人≫と名乗る者は、先の記憶とはかけ離れた小さき姿をしていた。
『そんなことより。早く逃げよ! アイツがいるところ、気が
そう告げて、小さな≪扉の番人≫は自ら次元の狭間に潜り込んだ。白の世界にぽっかりと避難口ハッチみたいな四角い穴が残された。
あそこに入れと言うのだろうか。
『……ぐぅ。き、貴様ぁ!』
「――っ!?」
怒りを露わにした女神が足を引きずりながらこちらに攻め寄ってきた。
前の事故はまだしも、今回ばかしはこちらに非がある。ここはとんずらするしかない。
しかし、この小さな≪扉の番人≫が開けた小さなところに、自分は入り切れるのだろか。疑問は誰も答えぬまま女神の呻き声だけが近づく。
今は他に方法がなかった。
つま先からその切れ目に入れる。
水に初めて足をつける動物のように、本能が少しだけ触れることを拒否していた。
勇気を振り絞り、ズブズブと沈めていく。どちらかというと水ではなく沼に近しい。思ったよりも細い脚のおかげで、すんなりと始まりは良かった。
『あ゙ぅ、成り損ないめ。吾をこんな目に合わせた上に、吾と同じ姿を騙りおって。逃げ切れると思うな……っ!』
気を押し付けてまで次元の穴に身体を
腰まで浸かり、腕を上げた状態で中に押し入ったあたり。
突然その動きを封じられてしまう。
引っ掛かったわけではない。手元を見上げると、右手に持っていた槌のようなものをあの女神が必死な形相で掴んでいた。腕は奇妙にも伸びており、女神本体はまだ遠くにいる。女神が人ではない何かであると理解するには十分な光景であった。
これをあいつに渡しちゃいけない。
嫌な予感が働き、咄嗟にそれを引っ張る。
今回は女神も分が悪かった。
ぐしゃぐしゃの顔を抑えつけたまま、残りの片手だけでハンマーを掴んでいた。俺は柄の部分を両手で握っていた。
最初の時より有利な条件ではあった。
しかしながら、女神を侮っていたわけではないが、握力だけでもこちらと拮抗してしまう。
俺の両手でやっと、あいつの片手と力が平等なのか。
『これだけでも、渡さん……渡さんぞっ』
綱引きの駆け引きのように、引いては引き返されてを繰り返す。女神の力は底なしだろうか。少しずつだが、確実に近づいてきている。こちらの方が消耗も激しくなってきそうだ。
黒いハンマー越しの鋭い眼光と目が合う。
女神は顔を抑えていたもう片方の手を伸ばし、ハンマーを奪い返さんとする。
歯を食いしばって、一心不乱に力を籠めた。
「……あ゙ぁっもう。渡せばいいんだろ! 知らねえぞっ」
最後の力を絞って、柄を握る。
全体重を乗せて一点に集中させる。
「ウルァ!」
そのまま、女神が引っ張る方向へと押し込んだ。
『ゔぁちみゅべらぁ!!』
ハンマーを伝って鈍い感触がした。それと同時に、ハンマーにかかっていた引力が、急に抜ける感覚がした。
俺はその隙を逃さず、次元の狭間へと一気に潜り込んだ。
この時の行く末は全く考えていなかった。≪扉の番人≫の言う通りに、次元の彼方へと我が身を任せた。
――*――*――*――
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