第〇世界 <白ノ異>

0.1.1  神様の殴り方_(前)




 真っ白な世界。


 気付いたら、そこに俺はいた。

 前後左右何処を見渡しても真っ白。

 暗くもなく、かと言って明るすぎるわけでもない、真っ白。雪原のような青みがかった眩さでもなく、鶏卵の殻のように赤みを帯びた生命の色でもない。


 真っ白な世界。


 純白と表現するのが正しいのだろうか。むしろ、何も色がないといった方が近しいのか。


 ――だれか、いるのか?


 声は無常にも白に飲み込まれていった。


 ――どこなんだここは?


 ――どうなってやがる?


 ――聞こえてたら返事してくれっ!


 次第に、自分の口から言葉が発せられていないことがわかった。

 聞こえるも何も、そもそも叫んですらいない。言葉だけが意識内で反響するが、それが台詞として表れていなかった。


 そして、手が無いことを知った。

 腕も足も、身体だって見当たらない。

 ゲームで自分視点になったモニターの主人公のような、そこにいるという認知の自我。

 それでも、意識ははっきりとしていたし、少しずつ前に進んでいるようにも感じ取れた。


 ここにいる経緯がわからない。記憶の大部分が削られてしまったようだった。


 ――夢か……?


 夢の中で夢だと思うのはおかしな話だ。

 頬をつねろうにも、触れる指がない。


 諦めて、変わらない白の景色を歩いた。相も変わらず足はない。


 何か見えないのか。何か聞こえないのか。

 進んでみると、形として視界に影が映った。


『――…………ッ』


 鈍い音が鳴り響く。

 最初に聞こえたのは声ではなく、モノとモノがぶつかったような音だった。次いでそれに反応するように、短く噛み締めるような悲鳴が耳に入ってきた。


『……この戯けが! 人間の子いくらも逃すなぞ、前代未聞であろうっ』

『ウゥッ……。見つからないものは、見つからな……』

『言い訳は聞かん。もう≪扉の番人≫も降りた方が良かろう。われに役割を渡せ。さすれば上に報告することなく済ませよう』

『ア゙ァッ…………くッ』


 ひとりだけではないようだ。

 白銀色の長い髪をした者が、足下に転がる小さな者をしいたげていた。背中全体を覆うほどの長い髪のせいか後ろからではよくわからない。棒のような物で叩いているように見えた。


 圧倒的弱者を苛める強者の図。


 見てて心地いいものではない。

 傍観することもできたが、身体は勝手に立ち向かっていた。


『まだ抵抗するか。フン、構わないがな。貴様はもう滅びる運命だ。神を怒らせた貴様が悪い』

『ハァ、ハァ……』

『何だ、その目は。けがらわしい。そんなにもう一度痛みを味わいたいかっ』


 白銀の髪の者が右手に持つ折れた細長い柱のようなものを振りかざす。


 ちょうど俺はその真後ろにいた。振りかぶったその柱に手を伸ばす。さっきまで無かった腕が伸びていった。まだぼんやりとしている手が、柱の先端を掴む。


『…………ァアン?』


 白銀の者が違和に気づき、振り返る。赤い目がこちらを睨みつけた。


『なんだ、成り損ないが。転生漏れでもしたか。フン、下手な真似は……やめておけっ』


 言い切ると同時に柱を思い切り振り回された。身体が持っていかれそうになった。踏みつけた足で必死に堪えるが、せっかくの腕がちぎれそうだった。


 ――っ!


『この……このッ!』


 白銀の髪の者とは逆の方向に引っ張ろうとした。

 それでも力の差が大きく現れ始めた。握力も続きそうにない。汗ばんだ手のひらで、柱から手が離れそうになる。


 ――……あっ


 というか、離れた。


 白銀の髪の者は勢いよく柱を引っ張った。俺が抑えてた分の力が無くなったせいで、急ブレーキをかけられてない。力んでて目を強く閉じていた。敵ながらちょっとお茶目だ。

 もうこちらが掴んでないことに気づいていないのか、はたまた力が抑えきれないのか。

 柱にかかった慣性はそのまま働き続けていき、目の前の顔面にぶつかっていった。


『――ゔぁちぃ!』


 ――…………


 痛みに耐えかねずその手から柱は地に落ちる。

 こんな汚い声をあげてるが、とても艶美な女性が目の前にいた。


 白い肌の生地にホイップクリームを重ねたような滑らかな衣を身に纏っている。少しだけ露わになっている胸の豊満さは想像するに容易い。見てる俺が恥ずかしくなるくらいだ。よくこんな格好が出来るなと。

 目を逸らすと、水流のように長く半透明な白銀の髪が裸足の床まで垂れていた。くしゃらせるように頭を抱え込んではいるが、その身丈は人並みよりも明らかに大きな存在であった。


 一言で表すならば、この方は女神様だ。


 その女神様が右手に持っていたものを俺は拾った。

 棒のような、柱のような。黒く質感を持つ石柱。見た目より重くない。よくわからない銀色の紋様が描かれていた。何とも言い難い形状をした黒いそれは、女神様の額にある綺麗な打撲痕と同じ幅があった。


 ――これは、うん。痛いやつだ


 言葉にならない言葉が漏れる。


 ――てか聞こえてんのかな。もしもしー?


『無礼者……ッ。成り損ない風情で、われを愚弄するかッ!』


 ――おー、聞こえてた。良かった、良かった


『フン。自分が置かれた状況がよくわかってないみたいだな。貴様は吾達われらが神に歯向かったのだ。その上、吾が美しき顔に傷をつけた。その罪の大きさは計り知れな……』


 ――……などと供述しているが、自分で自分の顔をぶっただけだろう。事故だ。俺は殴ってすらない。


 流石にそこまでは言わなかった。


『うるさいッ! 貴様が傷つけたのだッ』


 めっちゃ聞かれてた。


『くッ……。≪扉の番人≫よ。いつまで寝そべっているつもりだ。はようこの成り損ないを吾が異世界に送るのだ!』

『……ウゥッ』


 足下を見ると、さっきまでやられっぱなしであった者が転がっていた。確か≪扉の番人≫と呼ばれていた。


 ≪扉の番人≫は自力では立ち上がれないほどぼろぼろの姿であった。小柄ではないが、この女神様が大きすぎて存在が小さく感じた。

 よく見ると、片足が根本から失われていた。血は流れてないが、足の断面が黒ずんでいた。白の世界にある黒は、やけに映えて見えた。


『ち、力が……』


 ――……神様ってのは、ボロボロになっても救ってやらないのか?


『あァ? 貴様、吾に逆らうつもりか。身の程知らずが』


 神のくせに尊厳もクソもないのか。

 口調の悪い女神は、右手が空を掴み、ようやくぶつがなくなっていることに気づく。


『おい、成り損ない。それを返すが良い。貴様に扱えるものではなかろう』


 ――だね


 即答。

 そりゃそうだ。返す理由もない。俺だって叩かれたくない。むしろ叩き返したいくらいだ。


 とはいえこの黒い柱のようなものが何なのかはさっぱりわかっていなかった。木の枝でもなければ、大剣でもない。鉄骨のような、細長く割けた黒曜石のような。杖にしては不格好だ。表現すらし難いそれを地に立てる。


 ――ほほーん。大事なものなんね。だったらなおさら返せないなあ


『まだ抗う気か。まァ、異世界に送れば早い話、手放さざるを得ないだろう。……フンッ』

『ア゙ア゙ァッ!』


 女神が右手をかざすと、≪扉の番人≫が悶え始めた。


 片足のない状態でゆっくりと立ち上がっては、ゾンビのように両腕を前方に突き出していた。次の瞬間にはこちらへと振り向き、俺の胸元あたりへと飛びかかった。この時、無くなっていた自分の全身が形として現れ始めていたことを知った。


 ――な、何をして……


『…………』

『ふはっはっは。霊魂たましいをいじっているのだ。成り損ないには何もできまい。せいぜい流るるがままに身を任せてみた方が気が楽だぞ』


 女神の方を睨む。いつの間にかあった背もたれの大きな椅子に座っていた。赤い目で卑しくもこちらを見てニヤつく。頬杖立てながら、白く長い髪をくるくるといじって弄んでいた。


『………………ッてて』


 ――えっ


『≪扉の番人≫よ、何をてこずっとる。変な真似はしようと思わないことだな。吾はこやつの元に≪鏡の管理者≫の力ですぐにでも追いかけることもできるのだから……』


 女神のその言葉を最後に、俺はその場から一瞬にしてどこかへと飛ばされてしまった。



 

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