〈第2章〉 夢の出逢い(2)

2.運命の人


 腕時計の長い針は、ひと回りもしそうなほどの時を刻んでいた。待ちくたびれた男は、全身麻酔にでもかけられたような、心の麻痺を感じ始めた。


その時だ――――

 うな垂れた男の頭上を、人影がよぎるのを感じた瞬間。男を取り巻く空間は、『柔い光やわいひかり』に包まれた。

 それは雲の切れ間から差し込む「天使の梯子」と呼ばれる薄明光線のように、優しい光のベールであった。


「ゴメンナサーイ! お待たせ致しました・・・・・・」


 突如、男の眼前に、白い天女が舞い降りた。


「・・・・・・はじめまして、トワです。よろしくお願い致します」

 指名のホステスは、頭を深々と下げながら、男の左隣にすうーっと音も無く座った。


 たなびく様なストレートロングの黒髪に、純白のノースリーブドレスを身に纏ったその優美な姿は、夜毎の夢に現われた白い天女。男が胸を焦がし続けた夢の天女そのものであった。


「先の常連さん、なかなか離してくださらなくて。ホーントごめんなさい!」

 白いホステスは、頬を赤らめながら、男の手の甲にそっと掌を重ねてきた。


「いいえ・・・・・・」

 楽園の女神に幻惑されたのか、男は言葉を喪失し、目のやり場すら見つからない。頭を横に小さく振るのが、精一杯だった。


「ずーっとお一人で、待っていて下さったなんて・・・・・・。トワ、とっても嬉しいわ!」

 白いホステスは、優しく言葉を掛けると、男の横顔をじっと見つめた。


 彼女の「とっても嬉しいわ!」の言葉は、分厚い雲に覆われていた男の心の曇天を、一瞬にして快晴にした。

 しかし男は、白いホステスの視線を感じるのだが、照れくさいのか、彼女を直視することができないでいた。


「ホント! 会いたかったよ。トワさん。さっ、もっと傍に・・・・・・」

 男は、ようやく言葉を取り戻した。


「はい! それでは失礼しますね」

 白いホステスは、肩が触れ合う程にぴったりと寄り添うと、そっと男の手を取った。


 溜まりに溜まっていた男の熱い想いは、このあと言葉の洪水となって溢れ出した。

「実は、先週も来たんだけれど・・・・・・、君、お休みだったでしょ?」


「えぇ! 先週ねぇ。わたし、やっとこ、お休み、頂けたの・・・・・・」

「やっと、だってぇ?」


「そうなの! 先月の開店日以来、一日も、お休み、無かったのよ・・・・・・」

 白いホステスは、甘えるような笑みを浮かべて、男の肩に手を当てた。


「それは、それは・・・・・・」

「やっぱり、新規オープンの店って、最初が勝負なのよね。仕方がないわ!」


「ホント、あの日は残念だった・・・・・・。俺は、不味まず自棄酒やけざけに、なってしまったよ」

 男はかりかりと頭の後ろを、何度も掻いた。


「まぁー、ホントにぃ? それはそれは、ごめんなさい!」

 白いホステスは、男の左手を両手で包みながら、何ともすまなさそうに答えた。


「ホームページの写真を見る度に、もう、会いたくて、会いたくて、また来てしまったよ!」

「あらー、お店のホームページ、見てくださったの?」

 彼女の大きな瞳は、キラリと輝きを増した。


「最初に、君を見つけたのも、偶然、あのホームページで」

「よかったわ。恥ずかしいから、写真、載せるかどうか、迷ったの?」


「ご謙遜を! 恥ずかしい、だなんて? ・・・・・・写真のトワさんが、一番素敵だったから・・・・・・、会いに来たんだ!」

「ホントに? ・・・・・・勇気出して、載せてよかったわぁ!」

 彼女の嬉しそうな瞳は、満面の笑みに浮かんで煌めいた。



 会話も弾みに弾み、男の心は踊りに踊った。

 眼前の白いホステスの眩しさに、男はすっかり酔いしれていた。


「今日は、とうとう会えたんだ。俺、とっても嬉しくて、堪んない!」


「ありがとう! トワも嬉しい。・・・・・・お待たせしちゃった分も、サービスしちゃいますね!」

 白いホステスは、男の肩にさらりと手を当てた。


「それは、それはありがたい。トワさん!」

「何か、新しいお飲み物で、乾杯しませんか?」

 白いホステスは、飲み残しがある男のグラスを取り上げた。


「ハイ! トワさん・・・・・・」

「お替りのお飲み物は、何になさいますか?」


「ハイ! 何でも・・・・・・」

「でも何か、選んでくださいな?」


「トワさんと一緒なら、どんな酒でも、旨い酒。・・・・・・君に、お任せ!」

「では、わたしのお奨めので、いいかしら?」


「ハイ! お任せ!」

 天にも昇る気分に、男は「ハイ!」と二つ返事で返すのが精一杯なのだ。心はすでに満杯であった。


 お奨めのシャンパンを開けると、男は、魂の再会を祝う乾杯の音頭を取った。


「またこの世で、出会えたことに・・・・・・乾杯! トワさん」


「はい乾杯!」

 グラスを合わせた瞬間、彼女の愛らしい笑顔が弾けて、男は眩しかった。


「・・・・・・でも、この世でって? 大袈裟ねぇ! 何か意味深なこと?」

 白いホステスは、不思議そうな面持ちで首を傾げた。


 彼女の問い掛けを機に、ここぞとばかりに男は語り出した。その弁舌ときたら、まるで講談師のように冴えに冴え渡った。

 二人のこの出逢いが、夢にまで見た運命の出逢いであることや、不思議な時代劇の夢の話まで、男は懇々と語り聞かせた。

 白いホステスは、突飛な話に言葉も出ないのか、只々頷きながら聞き入っていた。

 

 

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