〈第1章〉 夢のなかで(2)

2.不憫な魂


☆☆☆ 男が見た奇妙な夢 ☆☆☆


「こっ、今度、生まれ変わっても・・・・・・。か、必ず・・・・・・」

 吐血で喉を詰まらせながら、素浪人が言葉を吐いた。


「・・・・・・来世で、こっ、今度こそ」

 素浪人は、隣に横たわる遊女の黒い手を取り、最後の息を声にした。


「きっ、きっと・・・・・・」

 遊女も、かすれた声で一言残すと、息絶えた。


 不遇の時代の風雨に晒された不憫な二つの魂の誓約は、息を引き取る間際に交わされた。春とは言え、早朝の河原の風はまだまだ肌寒く、哀れな男と女の亡骸を、冷たく浚っていた。


 時は、江戸時代も終わりを告げる頃。素浪人は、大江戸吉原で出逢ったばかりの遊女と禁断の恋に落ちた。遊女は、錦絵にでも描いたような、それはそれは妖艶なる美しさ。


 名も無き素浪人は、取りつぶされた元旗本の御曹司。寺子屋の手伝いをしながら細々と暮らしていた。やっとの思いで貯めた小判をふところに、初めてやって来た吉原だったが、素浪人の望みは叶わなかった。 


 素浪人は、夜毎の夢のお告げに現れる花魁姿の美しい女を探していた。人探しなど、容易たやすいものではないことは分かっていたが。諦め切れぬ素浪人は、吉原の遊郭を彷徨さまよい始め、来る日も来る日も夢の女を探し続けた。


 そんな日々が、半月ほど続いたある日。梅の蕾が膨らみ始めたばかりの、寒さも残る春の芽吹きの頃、ようやく遊女を見つけ出す。

 愛の魂の執念とでも呼ぶのか、それは宿命の出逢いだった。運命の赤い糸で繋がっているのか、二人は直ぐに恋に落ち相思相愛の仲となる。


 貧乏な素浪人は、遊女のところに通いたくとも、そんな懐の余裕などない。しかし、素浪人の募る想いは、日増しに大きく膨れ上がった。

 出逢いから半月の時が経ち、冷たい夜風が身にしみる薄暗い月夜のこと、素浪人は一大決心をした。


 さびれた遊郭の裏手にある外堀のほとりに、可憐な花を咲かせる小さな桜の木があった。その木の下で、三日月とそれに照らされた寄り添う二つの人影が、冷たい水面みなもにぼんやりと映る。

 遊女の宿に通いきれぬ素浪人は、人目を避けて今夜もこっそりと、無言の逢い引きをしていた。


 暫らくすると、素浪人の言葉が静寂を破った。

「拙者と一緒に! こんなところは」


 一息おいて、遊女が答えた。

「お前さん、そっ、それは、無茶というもの・・・・・・」


「無茶だって?」


「さようですよ。・・・・・・遊女には、この堀だって、生きては渡れぬ。それはそれは厳しい掟が」


 遊女の白くか細い手を、両手でしっかりと握り締め、素浪人は訴えた。

「何が掟だ! このままじゃ、どうせ生けるしかばね。・・・・・・死ぬ覚悟で、逃げよう!」


「それを仰るなら、お前さん! いっそのこと、一緒に死んでおくれと・・・・・・」

 素浪人の痩せたふところに身をゆだね、遊女はすすり泣いた。


 最後の遊女の言葉は、寄り添う二人を静寂の嵐に飲み込むと、時の流れをも止めてしまった。


 その夜更け、思い詰めた素浪人は、とうとう死をも覚悟で、無理やり女を連れ出し夜逃げをした。いわゆる、禁断の足抜けである。


 最初は、追っ手を巧く振り切り、吉原を抜け出せたと思えたが、ひ弱な女の足では逃げ切れるはずもない。

 逃亡の二人は、三本の川を無事に越えることはできたが。川幅がこれまでの倍以上もある四本目の大河に差し掛かったところで、とうとう追っ手に阻まれた。


 そこは川風が冷たく身をさらう渡し場。船に乗り遅れた二人は、あっという間に追っ手の刃の餌食となった。


 哀れな素浪人と遊女は、絶命する間際に身も心も融け合った。まるで一個体の生物にでもなったかのように、強くて固い抱擁であった。

 手負いの二人は、途切れ途切れの虫の息、最期の気力を振り絞り、震える血まみれの手に手を取って、来世でのめぐり逢いを誓い合った・・・・・・。


☆☆☆ ******** ☆☆☆



 夢は、ここで終わりを告げ、こぼれる涙に男は目を覚ました。

 夢に出て来た「寒さが身にしみる渡し場」とは、江戸川を越えるためにあった渡船場で、現在の『矢切の渡し』跡に違いない。

 そこを無事に渡り切れば、江戸を脱出することができた。そして、追っ手から逃れて、生き延びる望みもある最後の砦だった。

 愛の逃避行がもう直ぐ叶うという、ゴール寸前のところで、不憫な魂の愛は、儚く散ったのだ。

 

 

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