〈第1章〉 夢のなかで(1)

1.奇妙な夢


 ひぐらしの鳴き声も遠く、雑木林外れの河川敷。男は、呆然と立ちすくんでいた。

 頬をしたたる大粒の涙を、男は手の甲で乱暴にぬぐい去ると、濡れてしまった日記帳を静かに閉じた。


 人影もない河原は、厳しい残暑の熱気も冷めたのか。涼しさを感じる程に、穏やかな川風が男の湿った頬を、やさしく愛撫する。

 それは愛するひとの甘い薫りが漂う、が奏でる恋の名残なごりだった。


 幻想的で柔らかな♪♪月の光♪♪は、男の後ろ姿を静寂の川面かわもに切なく浮かべる。

 辺りの景色は、黄昏のトワイライトから、夜空のスターライトへ、その主役の座を譲ろうとしていた。

 


 夢か幻か、未だに男は、幻想の世界を彷徨さまよっている。

 事の全てが、白日夢の出来事だったのだろうか。

 現実と呼ぶには、とても信じ難く、異次元の世界を象る。

 夢と考えるには、余りにも長過ぎて、時空間をも超越する。


 男の手には、愛しいひとの温もりが。

 その頬には、愛しい女の残り香が。

 そして何よりも、男の掌が受け止めているぶ厚い日記帳の重みは、純然たる事実なのであった。


 事の始まりは、遡ることちょうど四年前。残暑も厳しいある夏の日だった。

 薄暗い八畳和室にポツンと置かれた硬いベッドの上で、男は重たいまぶたをむき出した。


「痛い、痛い! 涙が痛い!」

 頬を伝う冷え冷えの涙の跡を、男は手の甲で乱暴にぬぐい去る。


 今朝も男は、昨日とまったく同じ悲しい夢の中にいた。

 無精髭の隙間からヒーヒーと漏れる息苦しさが、鬱陶うっとうしくまとい付く。

 そのうるさい自身の息に、目が覚めた。

 男は夢から醒めるとき、まるで地獄の底からい上がるような、重苦しさを感じた。


 どうして、こんな奇妙な夢を見るのか。何故、いつもいつも同じ夢なのだ。これには、きっと何か理由があるはずだ。迷える男は、重たい頭を抱え思案に暮れた。

 そしてある仮説に、ようやくたどり着く。


 最近のTVで、時代劇を観ることが多くなった。そのせいで、あんな古びた夢を見てしまうのか。

 しかし、夢の内容ときたら、TVで見たどんな場面とも違い別物である。

 元々時代劇など好きではないのに、近頃よく観るようになったのも不思議なのだ。


 男の妄想は、心のシワを徐々に延ばすように、おおきく大きく広がった。それは折り畳まれた紙風船が、ジワジワと膨らむように。


 やがて男の妄想は、一つの着想に帰結する。しかもかなり確信的に。

「もしかして、この夢は、『』なのでは?・・・・・・」


 前世の懐かしさから、魂のレベルで無意識のうちに時代劇を観てしまうのかも知れない。あまりにも荒唐無稽な発想だが、そう考えると説明がつく。それはかなり確証的に。


 奇妙な夢が始まったのは、一月ほど前からで、最後に見た夢は、七度目を数えた。

 そして夢の中身ときたら、毎度毎度まったく同じ展開であり、濃灰色のうかいしょくのモノクロームな、古びた時代劇の映画でも見るようであった。

 

      ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

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