白鷺03

S町の郊外に設置された貸倉庫。

リボに指定された番号のトランクルームを開けると、男が一人転がされていた。

後ろで縛られて鬱血した手足。口に嵌められたボールギャグが唾液で濡れている。眼は閉じていて、どうやら失神しているらしい。随分前任者に痛めつけられたようで、体の節々に痣が残っていた。

これをやった悪趣味な魔法少女はどんなひとだろう、と白鷺は考える。

白鷺は他の魔法少女と共同で仕事をしたことがない。淡々と単独任務をこなし続けてきた。

労働環境を共有させないことで私を酷使しようとするリボの魂胆だろうか。

——労働なんて。と自嘲する。これは使命なのだ。それに、リボは魔法少女のナビゲーターだ。ただの手先にすぎない。魔法少女に命令を与えているのは、彼の背後にある魔法少女同盟の上層部である。

使われて上等だ。私は怨敵に復讐できればそれでいい。

「起きて」

男の肩を小突く白鷺。ボーグギャグを外してやる。

すると、眼を覚ました男は開口一番。

「ヘゲモニー!」

けたたましく、鳴いた。

覇権? 政治的合意や文化的同調の調達、利益供与による支配体制の維持?

魔法少女に監禁されている状況下でそんな言葉を発する理由はない。

意味が、わからない。

——気持ち悪い。なんだこいつ。

男に対する優位を保つために無表情をキープするものの、白鷺は内心戦慄する。

こういう時は聞き流すに限る。馬の耳に念仏。私は馬ではないから、こいつの発する言葉は全て蝉の鳴き声だ。そう心掛ける。

ハジケリストは、魔法少女同様に特殊な能力を行使する。中には、精神操作系の能力者もいる。この男もその類の輩かもしれない。奇矯な振る舞いにも何か重大な意味が隠されている可能性がある。油断しない方がいい。そう自分に言い聞かす。

男は言った。転がった姿勢のまま白鷺を見上げながら。

「お美しい魔法少女様。小生を奴隷にしてはくれませんか?」

……違う気がする。こいつはただのド変態だ。

ハジケリストではない可能性すらある。ハジケリストたちのアナーキズムに共鳴しているだけの社会不適合者。

そもそも、ハジケリストと常人を隔てている根本的な境界とは何だろうか? 魔法少女になった時に教わったような気もするが、上手く思い出せない。白鷺は武力担当の魔法少女であり、そうした定義付けは得意ではなかった。

白鷺が沈思黙考していると、男は調子づいたのか、さらに質問を重ねてきた。

「お名前は何と申しますか? 魔法少女様」

とにかく意味のある会話をしなければ尋問にならないだろう。そう判断し、白鷺は名乗った。

「白鷺です。あなたは?」

「ご返答賜り非常に光栄です、白鷺様。小生の名はロシアデスマン。矮小で、いつも寒さに震えている、人間以下のちっぽけな存在です。ですから、覚えて頂かなくて結構です。むしろ《クリープ》と渾名で呼んで頂きたい」

ロシアデスマン。ハジケリスト流の、奇妙な自己の再定義。ハジケリストには過剰に尊大に振る舞う奴と、過剰に卑小に振る舞う奴がいて、おそらく男は後者のようだった。どちらにしても、彼らは人を殺すし、魔法少女も殺すのだ。

「あなたと渾名で呼び合う関係になるつもりはないわ、ロシアデスマン。あなたに答えて欲しいのは、ただ一つだけのこと。

——殺した魔法少女のことを、あなたはどうやって知ったの?」

「………………………………………………………………………」

沈黙か。

想像していた通り、簡単に喋るつもりはないようだな、と白鷺は思う。

ロシアデスマンは、魔法少女殺しである。しかも、魔法少女がS級ハジケリストに次いで優先して殺害すべきA級に指定されている。

それは何故か。

ロシアデスマンが殺した魔法少女が、魔法少女同盟にとっての最重要人物だったからである。

魔法少女・エスメラルダ。

彼女の固有魔法は偉大で、白鷺はリボに「君はエスメラルダの出来損ないの妹みたいだ」と罵倒されたことを、今も根に持っている。

エスメラルダの能力は、自分に関わる事象の完全なる未来予知。

その能力を買われて、エスメラルダは主に魔法少女同盟の経済活動に携わっていた。株式の売買において不正を疑われない程度に能力を活用していたと、白鷺は聞いたことがある。その成果によって、裏社会での魔法少女同盟の権勢がかなり拡大したとも。

つまり、エスメラルダは凄い魔法少女だったのだ。

それに比べて、白鷺の能力は弱い。

同種類の能力なのに、エスメラルダが魔法少女同盟に保護されていたのに対して、自分は下請けのような仕事をさせられている時点でそれは明白である。

魔法少女稼業をアイデンティティとする白鷺は、その苦々しい事実を思い返して俯いた。唇を噛む。

何故彼女に比肩する能力を自分には与えてくれなかったのか——天与を恨む気持ちが少しだけ出てくる。

普段抑えつけている他人に認めてもらいたい、褒めてもらいたいという赤裸々な願望が、自分以外の魔法少女のことを考えると、どうしても表出してしまう。

だから自分は孤独に仕事をこなすしかないんだ——そんな風な考えもよぎる。

——もう止そう。今は仕事中なのだ。しっかりしなくては。

白鷺は両手で自らの頬を強く叩いた。

エスメラルダ自身に戦闘能力は皆無だったとはいえ、護衛の魔法少女たちの目をすり抜けて彼女を殺害しているのだ、自分の目の前にいる男は。

どんな愚かな振る舞いをしていたとしても、気を引き締めて掛からなければならない。

問題なのは、ロシアデスマンがどうやってエスメラルダの情報を入手したのかだった。

現実の魔法少女は、アニメや漫画のように、魔法を使う際に変身して専用のコスチュームを着る必要など全くない。

例え魔法を使っている最中でも、それが異常な光景を実現せしめるものでなければ、ごく普通の人間にしか見えない筈だ。

そしてロシアデスマンは、ごく普通の人間にしか見えない魔法少女エスメラルダを殺害した。

つまり、エスメラルダが魔法少女である、という情報を殺害に及ぶ前に把握していたに違いないのだ。

ロシアデスマンは無差別殺人鬼ではない。エスメラルダだけをピンポイントで殺害している。そのことからも、先ほどの推論は確実と言えた。

同盟の規約で禁じられているが、ごく稀に自身が魔法少女であることを肉親や恋人に明かしてしまう魔法少女もいる。

しかし、ロシアデスマンとエスメラルダに何の縁故もなかったことが、エスメラルダの私生活を知っているマスコットによってはっきりと証言されている。

ロシアデスマンに、エスメラルダの情報を漏らした者がいる。

それは、魔法少女同盟に裏切り者が潜んでいる可能性を示唆していた。

白鷺は、改めて眼前の奇怪な男に相対した。

ブラウンのスウェットとパンツを着ていて、それも土で汚れている。

肉体労働者だろうか。

ハジケリストの多くは社会的地位が高く、それを犯行やその隠匿に利用する。

だから、何というか、それ相応の凝った服装をしている。

白鷺は、このような格好をしているハジケリストは見たことがなかった。

この尋問に当たって、彼女はこの男のバックボーン——職業、生活環境、政治的主張、何もかも一切を知らされていない。

魔法少女エスメラルダを殺した男というだけだ。

殺害現場に能力の痕跡は発見されなかったことから、ハジケリストであることすらも疑わしい。

おそらく魔法少女同盟は、この男について有益な情報は何も得られてはいないのだろう。

——こんな難題、どうしろというのだ。

拷問を行って無理やり吐かせろと、魔法少女同盟は暗に指示しているのだろうか。

私はサディストじゃない。嗜虐的な振る舞いは好きじゃない。

それこそ、男を捕縛し、悪趣味なファッションを施した前任の魔法少女にやらせればいいじゃないか——。

白鷺は、先ほど自分が男の口から取り外したボールギャグを見つめる。

それでふと気になって、尋ねた。

「この道具をあなたに噛ませた魔法少女は誰?」

白鷺は前任者の名前を知りたくて言ったつもりだったのだが、予想外の答えが返ってきた。

「……それをやったのは小生です」

恥ずかしそうに身体をくねらせている。

まるで宿題をやり忘れて廊下に立たせれている小学生のようで、それを成人した男がやっている光景は相当に不気味だった。

無意識に後ずさる白鷺。だが、こんな奴に負けてはいけないと、尋問を続ける。

「なんで、そんなことを?」

言い訳がましくロシアデスマンはボソボソと言う。

「……小生は自らの口を封じてしまいたいのです。小生の口は無駄口ばかり叩きます。言ってはいけないことを口にしてしまいます。口が言うことを聞かないのです。意味の過剰は、むしろ意味を希薄にします。小生は壊れたスピーカーです。小生の言葉はノイズなのです。ピーピー、ガーガー。ですから、小生の言葉に耳を傾けてくれる人は誰もいません。だから小生は唖になることにしたのです。そうしていたら、観念が私の脳内で氾濫を起こすのです。イメージが乱反射するのです。小生はその状態を好みません。耐えられないのです。すみませんね、こんな下らない繰り言をお聞かせしてしまっていて」

あの悪趣味な口枷を、自ら着用していたらしい。

それ以降の湯水の如く湧き出てくる発話は、どういう意味があるのだろう。

意味の過剰は、むしろ意味を希薄にすると、彼は言った。

その逆で、自らに口枷を嵌める行為は、何か発せられるべき真実を秘めているのだと、そう主張したいように感じられた。

「申し訳ないけど、私にはあなたの言うことはよくわからない。けれど、あなたについて、私は一つだけ知っていることがある」

「さて、なんでしょうか?」

男は首を傾げた。

光が微量しか差し込まない倉庫の暗がりで、転がる男が首を傾げるさまは、まるで生首が真反対に直立しているように見えた。

「あなたがエスメラルダを殺害した動機」

男は溜息を吐いた。

震えているようだった。

「…………あの少女は、エスメラルダと言うのですね。白鷺様がただいま仰った発言についてですが、対面のあなたが私の殺害動機を知っている筈がありません。このことは、まだ誰にも言っていないのです」

「そのようね。あなたはエスメラルダ殺害からすぐに、護衛の魔法少女たちに捕縛されたのだから。でも、あなたの思っていることなんて、あなたの言葉を聞かなくてもわかる」

返答を寄越さない。

このテーマは、まさに彼の傷口であるようだった。

ならば、その傷口を穿つような言葉を突きつけてやる。

「あなたの言葉はね、必要ないのよ」

ボールギャグのバンド部分を摘んで拾い上げ、見せつけるように微笑した。

「お似合いね、このアクセサリー」

ロシアデスマンの表情が苦悶で歪んだ。

平静を取り繕うように、真顔に戻る。

こうしたつぶさな感情の動きを観察すると、彼がただの人間のようにも思えた。

「では聞かせて戴きましょうか。小生の殺害動機をあなたが本当に知っているのか?」

「交換条件よ。もし私が殺害動機を当てることが出来たら、あなたは誰からエスメラルダの情報を得たのか、包み隠さず打ち明けなさい」

白鷺は想起する。

この昏い密室は、まるでキリスト教会の告解室のようだと。

自分のことを話す相手がいないのは、白鷺も同じだった。

「……承知致しました。約束しましょう、白鷺様」

男は首肯した。

確証を得た白鷺は、男の真実を語り始める。

「あなたはエスメラルダの予知能力を利用して、今後自分の理解者が目の前に現れるのか知りたかったのでしょう? でも、あなたは勘違いしていた。エスメラルダの魔法は、自分に関する事象の完全なる未来予知。自分の未来に関しては見通すことが出来ても、あなたのことは皆目わからない。だから、エスメラルダはこう言った。『あなたは誰にも理解されずに死ぬ』。当然でしょうね? 予め自分を殺すと判っている相手に、優しい言葉をかける人なんていない。そして、答えに激昂したあなたは彼女を殺した」

拍手の音がした。

ロシアデスマンが縛られた両手を叩いているのだった。

白鷺は意外に思った。

激しく怒りを露わにすると予測していた彼の表情は、恍惚に弛み切っていた。

思わず素の自分に戻って尋いてしまう。

「どうしてそんな顔をするの」

ロシアデスマンは嗤った。

「どうしてかって。あなたが小生の見込み通りの人だったからですよ、白鷺様。素晴らしい。最高です。あなたが述べた殺害動機は論理的に正しいし、小生のことを知り抜いた上でしか想起し得ない推理だ。それはある意味では真相と言えます。

しかし、気を悪くしないで下さい——あなたの推理は間違っている」

もちろん白鷺は、そのことで気を悪くしたり動揺したりはしなかった。

自分の推理が確実性を伴わないことを承知していたからだ。

白鷺の能力は、エスメラルダのそれのように完璧ではない。

だが、ロシアデスマンの次の言葉には愕然とさせられた。

「おそらくエスメラルダは、魔法少女同盟に自身の能力を偽っていたのでしょう。彼女の能力は、過少申告されていた。彼女の真の能力は、他人に関する事象さえ含めた完全予知。他人に関する事象すらも予知することが出来るとしたら、それはほとんど全知と云うほかありません。魔法少女同盟の暗部さえ知ることが出来てしまう、いや知ってしまう。だから彼女は能力を偽っていたのでしょう。同盟からの粛清——味方殺しを避けるために。

なぜ、小生がこのような結論に至ったか。

小生が自分の未来を問うたとき、彼女はこう言ったのです。

『あなたの理解者はもうすぐ現れる。それは、白鷺と云う魔法少女だ』、と。

小生は用が済んだので彼女を殺しました。あまり他人に自分の悩みを知られたくないんですよ。いくら喋りたがりとは言っても、そこは他人と同じなんです」

かぶりを振る白鷺。

そんなことは認めたくなかった。

「嘘だ、ありえない」

否定を口にする。

すると男は破顔して、

「信じてください。あなたは、小生の救世主なんです」

と追い打ちをかけた。

「違う……エスメラルダが、そんなことを言うわけない……」

会ったことのない相手の人格を根拠にしてまで否定しようとするその態度こそが、事実として受け止めてしまっていることの証左だった。

手足を縛り付けられている敵を眼前にして、壁まで後退した。

白鷺は、明らかに窮地に追い詰められていた。

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魔法少女・偽史 足摺飯店 @yuki1220

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