第7話いつかの彼女の デュクス




 彼女はいつも笑顔だった。


 いや、違うな。私は彼女の笑顔ではない顔を見たことがなかった。


 婚約者と初めて顔を合わせた5歳の誕生日。私は初めて恋をした。

 プエラフロイスという少女の、笑った顔を目に留めた瞬間、雷が頭の上に落ちたような衝撃に襲われて。それが恋だと誰に言われずとも自覚した。

 彼女の笑顔が好きで。笑顔を見るだけで幸せな気分になれて。会う度に振る舞われる可憐な笑顔に夢中になり、その笑顔の虜となって週に何日も彼女に会いに行った。様々な贈り物をしては、彼女の笑顔のお返しに心が綻んだ。

 彼女の笑顔だけが好きだったわけではないけれど、笑顔が一番好きだった。





 だから、その笑顔が無くなった今、私は彼女を持て余している。


 酷い話かもしれないけれど、私は彼女の笑顔に恋をしていた。他の誰でもなく、彼女の笑顔だけが私を癒し満たしてくれていたから。

 なのに、それがある日突然無くなった。

 彼女は、プエラはあの笑顔を失くしてしまった。


 記憶を失った彼女は、私に会うとぎこちない笑みを浮かべる。困ったような戸惑ったような歪な笑みを。

 それはとても私を不快にさせた。まるで別人のような、見知らぬ女の笑顔が薄ら寒かった。


 けれど、彼女は彼女だ。私が恋した少女に変わりはない。

 それでも、記憶のないプエラは、まるで外側だけを似せたて作られた贋作にしか見えなかった。


 そこで気が付いた。

 私は彼女の笑顔しか愛していなかったのだと。


 他の顔など、笑顔以外、見たくも無いと。




「やあプエラ。今日も綺麗だね」


 記憶喪失になったその日から、無理矢理時間を作っては毎日プエラの家を訪れた。

 私が愛した彼女の笑顔はもう無いと頭で理解していても、どこかで期待している自分がいたからだ。またあの笑顔を見れるのではないかという望みを抱かずにはいられなかった。

 けれど、会う度にそんな甘い希望は打ち砕かれた。プエラは、3日経っても7日経っても10日経とうとも元に戻らなかった。


 私は大いに落胆し、新たなプエラを嫌悪した。八つ当たりと言っても良い。

 その表情、言葉遣い、仕草、返答、立ち振る舞い。以前のプエラとはかけ離れたその全てに嫌悪し、それらが目に触れる度に彼女に指摘した。元に戻って欲しい一心で、元の彼女を今の彼女に強要した。

 だけど、どんなに私が注意をしようと、彼女は前の彼女と同じにはならない。どんなに真似をさせても、私が恋して愛したプエラフロイスには戻らない。

 それなのに、私は彼女に会いに行くのを止められない。淡い期待を抱かずにはいられない。


 そうしてまた惨めな望みを胸に、常の日課になった訪問をすると、彼女の隣には邪魔者がいた。


「い、いらっしゃいませデュクス様。立て込んでおりまして、出迎えができず申し訳ございません」


 彼女の勉強部屋には、家庭教師の他にも、とある男が立っていた。

 前々からプエラの周りには男が多かったが、不思議と鉢合わせることは無かったというのに、記憶喪失を機にしてか、良く顔を合わせるようになった。


 その最たるのが、家庭教師のコンシリアトル。小さな知の巨人と呼ばれる、この国で有数の天才学者。数々の新しい発見をして、この国を飛躍的に発展させた功労者。

 そんな国の宝を、プエラの父は金と権力を駆使して、娘の家庭教師へと貶めた。それほど娘を猫可愛がりしていたのかと世間は生温かい目で見ていたが、実際はコンシリアトルの頭脳を手中に収めたかったからだ。莫大な研究費を支払う代償に、娘の教育と研究の利権を求めているそうだ。


 そんな家庭教師とは別に、彼女の近くにいた男。


「エクエス。なぜ君がここにいるんだい?」

「これはこれはデュクス様。我が主君の部屋へようこそ」


 プエラの隣には、見覚えのある忌まわしい男が立っていた。彼女と片手を繋いだまま、こちらを挑戦的な目で睨んでいる。


 エクエスは、数ヶ月前に行われた剣術大会で優勝した男。私とは3回戦で争い、見事な立ち回りで私を負かした。武では右に出る者がいない、言い換えれば脳まで筋肉で出来ている男だ。

 プエラの幼馴染だと話には聞いてはいたけれど、実際に会話をしたことなどない。そんな者が、己の婚約者に触れている。手と手を合わせ繋いでいる。


 果たしてこれは、独占欲というものだろうか。腹の内側がざらりとしたものが触った。どこまでも不快で、不愉快で。


 いくら彼女が私の愛したプエラではなくても、その隣にいるのは私でなくてはならない。

 何故だかそんな考えが頭を占めた。


「あの……デュクス様?」


 我に返ると、プエラの手を取り、指と指を絡めていた。エクエスとは逆の手を、奪って無理矢理に自分と繋がせた。

 いよいよもって、これは独占欲だろうと思い知らされる。あるいは嫉妬か。


 こんなにも醜い感情が己の中に潜んでいたのかという驚きよりも、こんなにも変わり果てたプエラに対してまだ執着があったのかという発見に衝撃だった。


「……プエラ……」

「はい」

「私とエクエス、どちらか一人を選んで?」


 そう口にした私は、果たして独占欲か、嫉妬か、あるいはただの執着か。

 この時の私はそれを判断するすべを持ち合わせていなくて。ただ、繋いだ手を離したくなくて。握る手に強く力を込めた。




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