第8話忘却の彼方で席を立つ
騎士と言う名の圧政男ことエグに、右手を人質もとい繋がれたまま家に帰ると、ケリーが出迎えてくれました。
「お帰りなさいませお嬢様。……と、エグ。貴方まで帰って来たのですか」
どうやらケリーと自称騎士は顔見知りのようです。エグを見て隠すことなく珍しく表情を歪めています。
その調子で追い出してくれないでしょうか、この暴力男を。
家へと向かう馬車の中、私の手を強く握ったまま、エグはしきりに己の半生を語ってきました。武力という名の恐怖政治に完全敗訴を期している私は、抵抗する気力も起きず、その身の上話を延々と聞かされ続けたのです。
以下は、その要約です。
この国の中流階級の三男坊に生を受けたエクエス少年は、幼い頃より体を鍛えることに精を出していました。
彼の実家は歳の離れた双子の兄二人が仲良く継いで、事業もそこそこ順調でしたが、中流階級では真の繁栄は望めませんでした。なぜなら目の上のタンコブである上流階級の家々が幅を利かせていたからです。そこで考えたのが、家の名を高めることでした。
そして白羽の矢を立ったのが、まだ幼かったエクエス少年でした。産まれた時から体の大きかった彼を、名誉剣士にして家名を轟かせようとしたのです。
ですが、彼は三男坊。当国で家名を名乗ることが許されるのは家を継いだ者のみ。既に兄が家名を継いでいた為、エクエス少年が継ぐことはできません。
一家は苦悩しました。如何にして名を売れば良いのかと。一家が悩んでいる間も、エクエス少年はひたすら体を鍛え、剣を振るう毎日。
月日が経つのは早いもので、エクエス少年は10歳になりました。その年、ちょっとした事件がありました。剣術の稽古をしていたエクエス少年が怪我をしたのです。幸いにも大怪我には至りませんでしたが、体に痕が残るほどの怪我でした。名誉剣士には見た目も大事。そう考えた両親は、万が一にも傷が増えぬよう、稽古時は必ず鎧を着るよう命じました。
怪我が治りかけの体に重い鎧での稽古は、まだ成長途中の少年には想像を絶する苦行だったそうです。稽古半ばで耐えられずに泣き出すほどでした。
それを見ていた双子の兄は、名案を思い付きました。軽い鎧を作って、それを着たエクエスが剣術大会で優勝すれば、良い宣伝になるのでは無いかと。
それからは研究と研鑽を重ねて、より軽く、より頑丈で、より動き易い鎧の開発を一族総出で行なったそうです。
ようやく完成した今年は、運良く5年に一度の剣術大会の年。逞しい青年に成長したエクエスは、軽く、丈夫で、しなやかで、蒸れない、破れない、壊れない鎧を纏い、見事大会で優勝を果たしました。
どこかで聞いたような文句かと思ったそこの貴方、鋭いです。そうです、その鎧、あの不思議な紙で出来ているのです。正確には、同じ成分から特殊な技法で鎧作りに応用したとのこと。
国中に鎧と家名が知れ渡り、エクエスの実家は大喜び。これで一族の躍進と安泰が約束されました。
エクエスはお役御免。長年にわたる家のしがらみから解放されたのだそうです。
自由を手に入れたエクエス。残るの生涯を親愛なる主君に捧げたい、その主君こそプエラフロイスその人なのだと、馬車の中で大泣きです。言葉通り見た目も中身も大きいはずの、大の男の涙でぐしょぐしょに濡れた、主君と呼ばれた我が手。
以上、エグの半生でした。
他にも好きな食べ物や、何時に寝て何時に起きて朝食は何を食べて毎日何をして鍛えてるかなどなどなど、数多くの情報まで語っていましたが、私の特技「忘れっぽい」を駆使して、どうでも良い情報は直ぐさま忘れさせて頂きました。
生憎、午後の勉強を控える私の脳味噌には、無駄なことに割く容量など無いのです。
「騎士は家じゃなく人に仕えるものだから、主君が居ない家に帰れないんだ。だからプエラの記憶が無くなったって聞いてびっくりしたよ! ちょっと用事で実家に行って、帰って来たら門前払いだもん。憶えてないのに騎士も何も無いって、プエラのお父さんは一点張りだしさ。だから、ずっとプエラが外に出て来るのを待ってたんだ。プエラに会えることさえ出来れば、また騎士としてプエラと暮らせると思ったからさ」
泣き止んだエグの言葉です。訂正したい箇所と確認したい箇所が満載で、頭が痛くなりそうでした。
「他に行きたいところも、行く宛も無いんだ。俺にはプエラしかいないんだ。ねえ、お願いだから側に置いてよ!」
家に帰るまでの間、狭い馬車の中で大男にそう泣きつかれ、私は曖昧に頷く他ありませんでした。
だって、怖かったのです。剣術大会で優勝した大男ですよ? しかも特製の鎧を今も着ているのですよ? 私に勝ち目など微塵も残されてなど無かったのです。屈する他なかったのです。
そうして冒頭に戻るのでした。
「ケリー。余っている部屋を彼に宛てがいたいのですが……」
「はい。先日まで彼が使用していた部屋がございますので、そちらが宜しいかと」
どうやら本当の本当に、この鎧男は我が家で騎士をしていたようです。ああ、間違いだったらどんなに幸せだったことでしょう。希望とはかくも儚く散り行く運命のようでございます。
「何ですか、これは?」
勉強部屋に入って開口一番の、コン先生のお言葉です。
さっき街で会った男が家にも居ただけで、そこまで眉間に皺を寄せなくても良くないですか先生。そんなに大男が同じ部屋に居るのが嫌ですか先生。比べるまでもなく己のほうが小さいと知らしめられるのが嫌ですか先生。身長を気にし過ぎですよ先生。
午後の授業を始めるべく、勉強部屋で予習をしていた左隣には、自称騎士のエグが座っています。相変わらずしっかりと左手は彼の右手と繋げさせられて。わざわざ手を人質にしなくても逃げないというのに。
「そのまま授業を受けるつもりですか?」
「致し方ない事情がございますので……」
「貴女が良いなら私は構いません。では前回の続きから……」
常よりも大分離れた場所、扉の近くに先生が立ったまま、午後の授業が始まりました。
構わない人のすることでしょうか? もっと近くに寄っても良いんですよ先生。いつもみたいに近付いて上から見下ろしてくれて良いんですよ先生。隣にいる大男など気にしなくて良いんですよ先生。
そう、心の中で先生を小馬鹿にしていた私に、バチが当たったのです。
「やあプエラ。今日も綺麗だね」
なんと、ややこしい時にもっとややこしい方がいらっしゃたのです!
今会いたく無い殿方堂々のナンバーワン。婚約者、デュクス様のご登場であります。
彼を見るや私の背筋は自ずと天井へ向けてピンと伸び、私の表情筋は総出で笑顔を取り繕おうとし、私の胃は緊張で鈍い痛みを発して、私の額には冷や汗が頬まで伝い落ちます。つまり正直、彼は苦手です。会う度にいろいろと無理難題を押し付けては、出来ないと不機嫌になって責めてくる婚約者を、どうして苦手ではなくなれましょう。彼の口から放たれる言葉責めは、私の耳から脳へと毎度見事に貫通して私の心を即死させるのであります。詳しいことは口にするのも悍ましく思い出したくもありませんので省きます。
それにしても、なんと間の悪いのでしょう。
勉強中のはずの私の左手は、今もエグに捕まったままだったのです。傍目から見ればまるで恋人のように絡まった指と指。これを婚約者に見られるのは流石に気が引けます。と言うか、不味いです。また責められてしまいます。早く言い訳しなければ。
「まだこんな男と付き合っていたのかい? 友人は選べと言ったはずだよ」
弁解する前に、早速責められてしまいました。
そして、弁明するならば、いつ言われたのでしょうか? 私が記憶を失う前なのか、それとも私が忘れっぽいだけなのか。判断し兼ねますが、とりあえずここは謝るが花な気がします。
「も、申し訳ございませんデュクス様。これには深い訳が……」
「俺とプエラのことをデュクス様に口出される謂れはありません」
なんと、自称騎士が口を出してきたのです。
ぎゃー!! やめて! これ以上ややこしくしないで!
「いつまでも幼子のように騎士ごっこをされても困るんだよ。プエラももう子供ではないからね」
「ごっこも何も、俺達は騎士の誓いをした仲だ。何者にも邪魔はできない」
「いつまで大昔の子供の真似事を引き摺るつもりだい? そろそろ大人になりたまえ」
男と男の言い争いは、見ていて気持ちの良いものではありません。いえ、性別など関係ありません。争いなど何も生まれないので、即刻やめてくださいよ。何より怖いです。火花がバチバチ鳴っています。火の粉がこちらに来たらすぐにでも大炎上しそうなほど、私は木造平屋で出来ているのです。火気厳禁、取扱注意なのです。誰か消化器を持ってきてください! 即効性のあるものを!
そしてコン先生、貴方の逃げ足は折り紙付きですか? 先程まで扉の近くに居たはずの姿は、もうどこにもいらっしゃいません。帰りましたねあの人。
現実から目を逸らしに逸らしていると、ペンを持っていた手をデュクス様に掴まれました。
「プエラ。私とエクエス、どちらか一人を選んで?」
どちらか一人? 何を、ですか?
注文の多い婚約者か、武力で我が道を突き通す自称騎士の大男か。
……これ、どっちか選ばないといけないのですか?
「……まずはお二方、手を放してくださいませ。これでは選ぶに選べません」
「うん、そうだね」
「わかったよプエラ」
二人は言われた通り、ゆっくりと手を離しました。
と、この機会を逃す私ではございません。
離された両手でそのままドレスの裾を掴んでたくし上げると、一目散に扉へと駆け出しました。全速力です。迅速果敢です。呆気に取られた二人を残し、私は必死で逃げたのです。向かうは扉の向こう。ここでは無いどこか。
扉の傍に控えていたケリーが開けた隙間に体をを捩じ込むと、通り過ぎるのを見計らってケリーは扉を勢い良く閉じて通路を塞いでくれました。それを確認する余裕もなく、縺れそうになる足を叱咤し、苦しく荒くなる息を精一杯吐いては吸い、吸っては吐いて、私は無我夢中で逃亡したのです。
問題は逃げ場所。外へ行くか、庭に隠れるか、家の中に潜むか。
迅速果断。私は階段を駆け登りました。幸いにも階段には上質な厚い絨毯が敷かれていた為、駆け上がる足音が階下に響くこともなく、追っ手は付いて来ませんでした。
上がる息を整える暇もなく、次第に装飾や彩りが薄らいで行く階段と壁に気付きもせず、一心不乱に登った先には、装飾もない簡素な一枚のドア。
私は勢いのままにドアをこじ開け、倒れるように中へと雪崩れ込みました。
「………姉、様……?」
誰もいないと思った部屋の奥から、声が聞こえたのです。
逃げた先は、義弟の部屋だったのでした。
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