余談

 本文中でのお約束通り小さい思い出話をひとつ。それは十数年前、京都は東山の清水寺周辺でのこと。わたしは詰め襟の学生服を着ている。今と同じく痩せぎすの体に細長いあごである。目に生気は、あまりない。

 中学三年当時のわたしと今のわたしで大きく異なることといえば、当時はまだ、夏の午後の授業のつれづれに教室の後ろの席から見える、女の子のワイシャツに透けたブラだけでセクスが怒━━━━とどめ置く。書き出しにそぐわない描写だ。

 冒頭に好もしいのはもっとみずみずしい描写だろう。たとえば、暮れなずむ空を夕日が赤く焼く。そんな放課後に、校舎の屋上からたそがれつつ空と校庭とをかわるがわる見やる。明日もきっと今日と同じような日が来ることに安心と期待と、少しの反発を覚える。放課後の校舎から、吹奏楽部のあのコの奏でるフルートが聞こえてくる。その音色は優しく耳に心地いい。まるで奏者を澄んだ鏡で映すかのよう。姿を一目見たいと思って、わたしは校庭から校舎の音楽室の窓へと視線を移す。あのコといつも一緒にいる同じ部活の親友は見えるが、あのコの姿はここからは見えない。内心がっかりしているのだが、まだあちこちで部活に励んでいる同級生たちの目を気にするわたしは、自嘲気味に、ほんの一瞬あるかなきかの苦笑いをしてからその場を離れる。赤く勢いを増す夕日がわたしの頬まで赤く染めていた。等々。まったく今となっては空想だったと思えるような話だ。

 出だしからいくぶん飛んでしまったが、ようやく十数年前の京都は東山へと帰りきたる。わたしの中学校の馬鹿たちとほかの中学校の馬鹿たちが、互いに修学旅行という特殊な環境に浮かれて虚勢を張り、ひょんなことから喧嘩になった。よくありがちなことで、こちらの馬鹿たちは平生からも隣接の中学校の馬鹿たちと争っていたから、新幹線で京都に運ばれてきたからといってその加減に変化があろうはずもなかった。ましてや、昨晩わざわざ教師の目を盗んで男部屋にまで来て騒いでいた図々しい女の子たちのグループとも同道していたので、彼女らの手前、彼らの血気はよりいっそうの盛り上がりを見せていた。これも昨晩教師の目を盗んで秘密を共有したことによる親密さがもたらすものなのだろうか。図々しくも男部屋の布団の大部分をその福良(ふっくら)とした尻で占拠する彼女らに対し、眠たいからとっとと帰れとひそかに思いながらも夜遅くまでUNOやらポーカーやらに笑顔で付き合わされていたわたしには、いささか解しかねた。

 だがこう辟易していたかのように語る当のわたしも、昨夜の彼女ら、特に後述するクラスのアイドルの、風呂上がりにドライヤーをあてたとて未だ乾ききらぬ艶やかな髪をゲームの合間合間に盗み見ていたことは事実だった。細かく思い返せば、その洗い髪の匂いまでさりげなく嗅いで悦に入っていた次第で。俗物なら俗物らしく振舞うべきで、そうしてしまえばそこからはもはや桃源郷が待っている。下手に仙人を気取って無欲のふりをすれば、そのメッキが剥がれた時が一番惨め。強情張っていつまでも下界をさげすんでいても良いが、ゆく道は昇れば昇るほど空気は薄くなってゆき、いったいいつまで耐えられることやら。卒倒して落下したが最後、気が付いた時には下界の偽物の天女に囲まれて、夢中になって違う天へと昇れるか。そして最後には、決まって不満そうな天女に上目遣いで睨まれる。

 さて、訳のわからん話は置いておいて、ふたたび京都東山の街角に戻る。不良中学生同士の一触即発の場面。まずは風紀委員を務めていたわたしの、いつもの校内での仕事と同様形式だけでまったくやる気のない和平の努力が示された。次いで、相手の無礼な態度、それに続くこちらの馬鹿たちの言い返しがあった。交渉決裂。特命全権大使引き揚げ。開戦。

 その頃心外にも変人のたぐいという心無い分類わけをされていたわたしは、もともと味方の数にも数えられていなかった。まぁそのために猿山のなかで昨今よくあるいじめというやつにも遭わずに済んだのだが。わたし自身も、こちらの馬鹿たちに加勢するのも、向こうの馬鹿たちに応戦するのも馬鹿らしく、こんな野蛮な喧嘩からは途中でうまく抜け出てしまおうと企んでいた。そして同じグループにいたクラスのアイドルを避難させる名目で、当面は彼女と二人きりで観光できればという魂胆だった。誰もわたしが戦力になるとも思っていなかっただろう。隣の中学校との喧嘩にさえ、「行く」と言って行かないのだから救いようがない。

 わたしはさも護衛が男の責任であるかのような顔をしてクラスのアイドルの手を取り戦場を離れた。幸いにも、観戦に夢中の女友達らには見つからなかったようだ。その頃から歴史に関する物知りを気取っていたわたしであったから、説明が理解されるか否かは別として、とにかく自分の話を途絶えさせずに京都をまわる自信はあった。ちなみに、彼女には知性のかけらすら見つけることができなかったのは、言うまでもないだろう。少なくともその時は、そんなことはさして重要ではなかった。さりとて、わたしは特別彼女を好いているわけでもなかった。もちろん、彼女の美しい顔と膨らんだ胸に惹かれることは避けられなかった。だが、それだけだった。他に何が要るかと問われれば分からない。こゝろとでも言っておけば無難か。

 喧嘩の現場からようやく離れて、三年坂を少し遠くまで下った時、わたしは改めて彼女と二人きりで話そうと思い、優しそうな表情を偽って、クラスのアイドルを見た。続いて、後方に置いてきた人たちを面白おかしくからかって、田舎のアイドルから笑顔を頂戴しようと思った。しかしその直後、彼女からはまったく予想もしていなかった言葉がぶつけられた。

「卑きょう者」

 その当座、わたしには彼女が何を言っているのか分からなかった。しかし、ややあってから、彼女がわたし、いや男全般に対してか、果敢に敵と戦うことを望んでいたのだと気づいた。彼女には平和も反戦も厭戦も冷笑もない。あるのは男のカッコ良さだけか。その美貌と早熟な胸に欲情するわたしは、男であって男ではなかったのか。無論、この考えは今のように言語で秩序立てられたものではなく、子どもらしい感覚的で単純なものであったのだが、その時のわたしは確かにそう感じていた。半世紀以上前にも大きな戦を前にして同じ国で同じようなことがあったのかもしれない。ちなみに、その後のわたしがどうしたかと言うと、行動としては特に何も起こさなかった。二人とも、今さら互いに別行動をする特段の理由もなく、結局二人きりで東山から祇園、四条大橋を渡って河原町の繁華街へと沈鬱に歩いた。わたしの歴史に関する解説付きで。だが、その一々に彼女が気のない返事をするあいだじゅう、わたしの頭中では、彼女に対する知的な面と性的な面の双方に関する罵倒が繰り広げられていた。その出来事があってからである、わたしが教養のない人間を恐がり、それを馬鹿にすることでごまかそうとし出すのは。

 とまぁ、ここまで紀行文とはほとんど関係のない単なる思い出話を記してきた。しかもその思い出は締めくくりにふさわしい明るい話では決してない。人によっては恥ずべき暗い話である。わたしはまったくそうとは思っていないのではあるが。そして、紀行文と大した関連も有さない以上、本文中に挿入することも憚られた。よって本文とは完全に独立させて余談の形にした。これは単に、本文中に不覚にも自らの学生時代の回想に筆を滑らせてしまった筆者が、それを回収する責任を果たすためだけのものであった。

 ただ、この告白の余談において、図らずも当の紀行文よりも遥かに赤裸々な筆者自身の真情の発露を見たことは、はなはだ皮肉なことだと言わざるを得ない。

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【紀行文】嵯峨野紀行 紀瀬川 沙 @Kisegawa

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