第21話 知りたい

冬に近づくにつれ、美術室の静さも際立った気がする。元々音のない場所であったが、ここでいつも美術の授業があっているとは思えないほど、人に忘れられた空間のように感じた。


しん、としているその教室を歩き、準備室まで辿り着く。ここにも、人がいるとは思えなかった。この扉の向こうにカズがいるのは分かっているのだが、昔のようにただの物置の準備室だと思えてならなかった。


何故だか準備室が抜け殻になっているような不安に襲われ、扉をぐっと押した。

そこにはいつも通りの位置に座りこちらを見上げるカズがいて、

「なんか今日は勢いがいいね」

とキョトンとした顔を向けていた。

「おはよう。寒いから、カズが凍えてる気がして」

自分の心のどこかにあった心配を伝えようとして口から出たのはそのセリフだった。まあ、強ち間違ってはいない。


しかしよく目をおとしてみると、カズは何やら暖かそうな毛布を膝掛けにしていた。

「暖かそうじゃん」

と口に出しながら横の段ボールに腰を下ろすと、カズは毛布の端をこちらに引いてくれたので、有難く侵入させてもらうことにする。

「これ、大介がくれたんだ」

「へえ、いつ?」

「さっき。もの凄いバタバタしてて、これ放り投げてすぐ行っちゃった」

「ああ、なるほど」

朝の日吉の大荷物に合点がいった。それにかすかに日吉っぽい匂いがする。日吉っぽいというか、日吉の家の洗剤の香りだと思う。


カズの周囲には数冊の漫画が置かれていた。これもきっと日吉だろう。

手に取ってパラパラとめくってみる。題名だけは聞いたことがあるような漫画だった。

「空もこれ知ってる?」

手元のページを覗き込んでそう聞くので、フルフルと首を横に振って見せた。

「ここ退屈だから助かる」

こちらに顔を向けたカズはにっこりと笑って言った。


思えば、出会ったころと比べカズは大分砕けた表情をするようになった。加えて距離も近くなったと思う。大きな毛布の中でお互いが触れないような、真ん中に折りたたんだ分が挟まっているような、そんな状態で私たちは座っている。

少し前まではこんな風にすんなりと近づくことなんて無かっただろうな、とも思うが、カズは何にも考えていないんだろうな、とも思う。また、何も考えていなければいいな、とも思う。

例えば今私が手を伸ばせば、カズはまた距離を置いておびえたような顔をするのだろうか。

近づけたような気がしても、彼は決して中に踏み入れさせてはくれない。まだまだ私は何も知らないし、知る必要はないのか。知りたいと思うべきではないのか。取り留めもない思考が頭をめぐる。


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