第18話 有佳子という人

情報の授業はチャイムが鳴る数分前に終わった。

階段を降りると授業中の教室がずらりと並ぶ廊下に出る。

教師の声が漏れ聞こえる廊下に二人の足音がパタパタと響く。


私たち四人はそもそもパソコン室を出るのが遅かったので、もうほとんどのクラスメイトが戻ってきていた。

有佳子が自分の席から素早く数学のテキストを取り出し、私の前の麻里奈の席にどかりと腰掛けた。私の机に広げられたテキストを覗き込む。

「もうほとんど終わってるじゃん。今日の課題ここまでだよ」

「ん、でも当たるから、確認」

珍しいな、と思った。

有佳子は指名されても平気で「わかりません」と素早く切り返すタイプだ。

それに、そこに書かれている回答はほとんど私と一致している。

「合ってるよ。まあ私のが正解かはわかんないけど」

照らし合わせていたテキストをパタンと閉じて椅子に背もたれすると、有佳子がシャーペンを置いて顔を上げた。


「私、ああいうの苦手なんだよね」

「ああいうの?」と聞き返そうとして、すぐに合点がいった。

心臓の辺りがキュッとした気がした。


もうすぐ麻里奈たちが戻ってくるからか、有佳子はいつもより早口で言う。

「気にしないのよ、あんなの」


ヨーグルトの上に落とす蜂蜜がとろとろと白い部分を隠していくように、じんわりと不安が埋まるような感じがした。

何と言っていいのか、正解の言葉が見つからず、「ありがとう?」と疑問形で言ってしまう。

有佳子はその言葉が聞こえなかったかのように、

「なんていうかさ、他に楽しみがないんだろうね」

とこぼした。


有佳子は綺麗な顔立ちをしている。

朝に時間をかけて創り上げたものではなく、飾っていないものだ。

私は有佳子が、ランニングや筋トレを継続的にしていることを知っている。

肌ツヤの良い顔をまじまじと眺める。自信が内側からにじみ出ていて眩しかった。


「私も、何が自分のしたいことかわかんないな」

目をそらしてそう言う。

「別に趣味とか興味あるものとかは人それぞれだし、それに対しては何でもいいんだけど、ゴシップに食いついて振り回される人生って、可哀想に思っちゃう」

ちくりと細い針が私を刺した気がした。

有佳子はいつも私なんかより広い世界を見ている。それはなんとなく分かっていたが、こんな風に意見を正面から聞いたのは初めてだった。

有佳子が言う人の中には、周りの目を気にして流されてばかりな私のことも含まれている気がして言葉が出てこなくなった。


「ふたりだけ答え合わせしてるのー? ずるい」

教室に戻ってきた麻里奈が、自分の席に座っている有佳子の膝の上にどかりと座った。

「おっも」と有佳子が言うと、

「うるさー」とケタケタ笑いながらテキストを広げる。

机の真横に立つコマちゃんが「もう終わってるじゃん」と覗き込む。

ガヤガヤした教室の音は、あっという間に私たちの声を飲み込んだ。




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