第11話 金曜日

美術室の周りに人がいないことを確認し、私はそそくさと侵入する。

こつん、と扉に音を立てて、小声で「空です」と言った。

ほどなくしてかちゃりと鍵の音がし、ゆっくりと扉が引かれた。


「おはよう。今日は名乗ってくれたんだ」

カズが微笑んだ。

「だって、私以外の人が来た時わからないじゃないですか」

「うん、おかげで緊張感なく開けれた」

いつも賭けで開けていたのかと思うと思わず吹き出す。

「それ、だいぶ危ないですよ」

「じゃあ、ノック二回とか決めようよ」

「いいですね。でもノック二回は他にする人いるだろうから、四回?」

「いや、四回もいそうだよ。コンコンコンコンって、リズムいいし」

「それならとりあえず五回でいきましょう」

そう言うとカズは満足そうに頷いたあと、

「それと、敬語やめてほしいな」

と、控えめに言った。

先輩だから話しにくいな…と思ったが、そちらから言うのだから承諾する。

「わかりました、あ、間違えた、わかった」

早速カタコトになる私を見てカズは少し目を細めて笑った。



この前と同じように座布団のように段ボールを敷いてくれたので、そこに腰を下ろす。

「なにこれ?」

脇に置いた鞄から覗く漫画にカズは興味を持ったようだ。

「これ?私がハマってる漫画。昨日新巻の発売日だったから帰りに買ったんだー」

ため口を意識して話しながら漫画を取り出す。

差し出すとカズはおずおずと手を伸ばして受け取った。

「『百戦百勝ひゃくせんひゃくしょう百子ももこ』?」

百々ひゃくひゃくって呼ばれてるの。聞いたことない?」

「うーん、俺、こういうの疎いんだよね」

そう言いながらもしげしげと表紙を眺めるカズ。

「主人公の百子がすごい小柄なんだけど実はちょう強くて、悪い奴を倒す話。でも周りの人たちには正体隠しているの。戦闘のシーンがかっこいいし、スカッとするよ」

ざっとあらすじを説明してみると、カズは「面白そう」とこぼした。

「え、読む?貸すよ」

思わず食い気味に申し出ると、こくりと頷く。

私の周りにはあまり漫画を読む人がいないので、誰かと共有出来ると思うと気持ちが弾む。

「じゃあこれは五巻だから、明日一巻と二巻持ってくる」

「明日は土曜日だよ」

前のめりな私にカズは苦笑いを浮かべる。

「それなら、月曜日の朝に」

とさっきよりは落ち着いて言うとカズは「ありがとう」と呟いた。


「漫画も読んでいないなら、いつもここで何してるの?」

話題を少し変えることにする。

「んー、本は読んでるよ」

カズは頭の後ろをぽりぽりと書きながら答える。

もしかして物凄い読書家?本を読みたいから授業に出てないとか?

そんな馬鹿らしいことを考えてしまう。

何しろここに居る理由が未だに見当もつかないので、全て繋げてしまうのだった。


私が「そうなんだ」と薄めの反応をすると、カズはおもむろに立ち上がり、扉とは反対側の小窓の方へ歩いて行った。数メートル先のそこに行くまでには段ボールや作品棚の間にできた狭い道を通るのだが、細身の彼は障害物に一切当たる事なく進む。

蜘蛛の巣が張ってそうなカーテンの真下にある作品棚らしき物にもまた、色味の消えた布が掛かっていた。

カーテンのような役割をしているであろうそれをカズがめくると、そこには様々な大きさの本がギッシリと詰まった本棚が姿を現した。


ここからではどんな本なのか認識できないが、カズの方に向かうと狭くなるだろうから座ったままで観察する。

「どんな本があるの?」

そう声をかけると、カズは適当に数冊の本を引き抜いて戻ってきた。

それらを私たちの座布団の間に広げる。

「こういう美術の参考資料も多いけど、意外と小説も沢山あるんだ」

それらは日焼けや黄ばみはあるものの、埃っぽい様子はないので、カズが最近手に取ったのだろうと予想する。これだけの量があればかなりの暇つぶしになるだろう。


「これ、美術部の子たちが探してたりして」

そう言って様々な絵画が掲載されている分厚い資料をパラパラとめくると、

「もう一年くらい準備室が使えてないんだもんね」

とカズはいたずらっ子のような表情を見せた。

新しい部分を覗き見たような気がして、思わず目を逸らす。


「ていうかそれ、一年生の頃からここでサボってるってことじゃん」

はは、と笑いながらカズを見ると、彼はあからさまに“しまった”という顔をした。

「いいじゃん。そんなことより、なんか空の周りの話聞かせてよ。何かないの?」

強制的に打ち切られた感じがしたが、初めて名前を呼んでくれたことにより、意識はそっちに向かう。

「あ、ああ、私の話?」

動揺したのが伝わってしまいそうな返しをしてしまった。

とくとくと心地良いリズムの心音を感じながら、他の事を考えようとすると、これしか思いつかなかった。

「私の仲のいい友だちに彼女ができたんだって」


カズはもちろん私の友人関係を知らないのだから、何とも反応しづらい話題を振ってしまった。何だか今日は、間違えた選択をしてしまう日だ。

カズは「へえ、おめでとうじゃん」と口にしながら少し考える素振りを見せた後、

「寂しいの?」

と真面目な顔つきで聞いてきた。

「寂しいね、少し」


自分の口から漏れた言葉で初めてそう認識した。

「そうなんだ。寂しいんだ、空。仲良しの友だちを取られちゃうから」

カズが少し悪い顔をして、茶化すようなことを言うので、

「でも別にカズがいるから寂しくないよ。今だってすっかり忘れてたし」

なんて言ってしまう。


何故だかこの人の前では糸で引っ張られたかのように喉の奥から言葉が出てくる。

しかしその言葉もまた、間違えた選択をしてしまったようで、目を見開いたカズを見て、

「他にも友だちいるしね。麻里奈とか、コマちゃんとか、有佳子とか」

と早口で付け足す。

自分の顔が熱いのを感じる。

「今日はもう行くね。ホームルーム始まっちゃう」

鞄を掴んで立ち上がり、ドアノブを掴んだ。

カズは「うん」と言って私を見上げている。

私はじゃあ、と小さく手をあげて扉を数センチ引き、美術室の中の様子を確認して準備室を出た。


その時、閉まりかけの扉から、

「でもその子は空を放っておくわけじゃないと思うよ。今まで通りだよ」

なんて声が聞こえた。

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