第8話 朝休み
翌日。
いつもより速足で坂を上っていると、「今日早くね」と日吉が並んできた。
「あれ、おはよ。そっちこそ」
今日はいつもより三十分も早く家を出たのだ。大抵遅刻ギリギリの日吉と会うとは思っておらず、拍子抜けした声が出た。
「ちょっと先輩に用事頼まれて」
「ああ、京子先輩?」
サッカー部の先輩たちに雑用を頼まれた時の顔ではなかったのですぐにわかった。
日吉は「そ」と優しい目つきで返す。
「マネージャーの仕事を手伝うの?」
「いや、先輩かなり押し付けられてたからさ、ちょっとだけね、声掛けただけ」
なにも責めているわけではないのに言い訳のような言い方をする。
「えらいじゃーん」
と流し、更に足を速める。
校舎に入った所で、「今日用事あるからここで」と足を止めた。
日吉もひらひらと手を振って階段を降りていく。
その背中を見送ってから私は美術室の方に向かった。
ただ、美術室は開いているのかなって、確認するだけ。
もし開いていたら、ついでに準備室も確認するだけ。
そればかりを心の中で唱えながら遂に到着。
心臓が早鐘を打っているのがわかる。
もう会うのが三回目になる人に会うだけなのに。
初対面の人と話すより、よっぽど緊張している。
美術室のドアに手をかけ、開いていなければいいなんて思う。
ていうか、朝から鍵がかかっていなかったらおかしいでしょ。
しかし力を籠めてみると、木製のそのドアは少し重いものの意外にもすんなりスライドして動いた。
鍵、かかってないんだ・・・。
美術室に踏み込む。
私の目的はこの教室の奥にある扉だ。
入ってすぐ左が教卓で、その前には広めの作業机が三列で計十五台並んでいる。
教室の両側の壁のほとんどを窓ガラスが占めていて、カーテンは全開だった。
朝日の当たりにくい西側に位置する教室とはいえ、今日は雲一つない快晴。電気を点けずとも細かい作業ができるくらい十分に明るかった。
机の列の間をゆっくり進む。
深呼吸して、コン、コンとノックをすると、ほんの少しの間があってかちゃりと音が聞こえて扉が引かれた。
なんとなく居るような気はしていたのでさほど驚かなかった。
人一人通れるくらいの隙間ができ、扉の動きが止まったのを確認して顔を出す。
「お、おはようございます」
そこには、今日も少し大きめの制服姿のカズが立っていた。元々華奢な体つきなのだから、ぶかぶかめの制服を着ると更に細い腕や薄い身体が強調される。
「おはよう、入っていいよ」
と小さな声で言うカズに心の中で、いやここあなたの家じゃないのよ、なんてツッコミを入れておく。
「外の方のドア、閉めてる?」
用心深いカズに「閉めましたよ」と返しながら背中を向けて準備室の扉もそっと引く。
「ていうか美術室って、鍵かけられてないんですね」
私がそう話題を振ると
「ううん、今田先生が早く来て開けて行くんだよ」
という答えが返ってきた。
それを知っているからカズはこんな朝のホームルーム前なんて時間からここにいるのだろう。
「へえ、早いですね」
と驚いた顔をして見せる。
「たまに美術部の子が来るんだよね、だから開けておいてるんじゃないかな」
「なるほどー」
準備室はそれなりの広さがあるにも関わらず、作品棚や段ボールでほとんどが埋め尽くされている。今田先生が、準備室が開かなくても困らないというようなことを言っていたが、それに納得する。
突入したはいいものの、例によって人が座れるような場所は扉手前の二畳程しかなかった。
カズはすぐ横に立て掛けられているしなしなになった段ボールを広げて床に敷いた。
そしてその上に腰を下ろす。
立ち尽くしたまま見下ろしていると、カズはまた手を伸ばし手頃な段ボールをもう一枚広げると、
「どうぞ」
と、まるで座布団のように勧めてきた。
いたって真面目な顔でカズが言うので、苦笑いしながら「ありがとうございます」と腰を下ろす。
向こうが靴下でいるので、私も一応足は段ボールの外に投げ出して体育座りをした。
よく見るとカズの後ろにはスリッパが揃えてあった。
「もう自分の家みたいになってるじゃないですか」
と笑って指差すと、カズは僅かに口角を上げ、
「そうだよ、ここが俺の家」
と返してきた。
「ほんと、まさかこんな朝っぱらから居るなんて。住んでるみたいじゃないですか」
若干気を許してくれたような気がして、軽口をたたいてみる。
頭上の汚いカーテンがさわさわ揺れた。
小窓はほんの数センチ開いているようで、換気までしてどこまでも居心地の良い場所を作ろうとしている図々しさが少し面白い。
「でも、来てくれたんだ」
カズは心なしか優しい目で私を見つめた。
確かに今の言い方だと、居る保証は全くないのに会いに来た証明になっている。
決まり悪くなって視線を逸らす。
ていうか、よく考えたら女たらしみたいなセリフ言ってない?漫画やドラマで見る、怒りながらも結局来た子に女慣れしてる男が悪い顔して言うセリフじゃない?いや、今の状況は全く違うけどさ。
なんて考えながらもう一度顔を見やるとカズは何も読み取れない表情のままで、変なこと考えてごめん、と内心で謝罪をする。
カズのことを何も知らないから、一つ一つの発言の真意が見えないし、どう受け取っていいのかもわからない。ただ何となくだが、純粋無垢な雰囲気が漂っている。しかしそれが自然のものかも人工のものなのかも見当がつかない。
あと何回ここに来れば、カズのことを知れるだろうか。
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