第5話 行動

今回遅刻して入室してきたのは日吉たち四人組だった。軽めに説教されながらそれぞれの席に散る。仲間の一人は学級委員長だったため号令をかけなければならないのだがその声は少し不満気で、担任が悪いとでも言いたげだった。日吉はというと気にする様子もなかった。


授業が始まると先生が生徒たちの作品を収納していた箱を一番前の席にどんと置き、各々が自分のものを迎えに行く。その中こちらの席に寄ってきた先生は麻里奈に約束のやすりを手渡していた。麻里奈は今回の授業に熱が入っているようで、元気に礼を言うと黙々と作業に取り掛かった。


このようなざわついた中、集中力のない私は志乃ちゃんに話しかける。尤も、特別仲良くはないが全く絡まなくもない人が隣なのは沈黙が気まずいのだ。それに加えて今日は、背中に視線を感じる気がしてしまうのだ。もちろんそれは私が真後ろの美術準備室の事を意識しているからなのだが、もし今もいるのならこんな会話も聞こえているのだろうかなどと考えるとどうしても意識がそちらに向かう。


最初は進み具合の話から、だんだん私生活の話になっていた。私が「バイトしたーい」とこぼすと、志乃ちゃんはしているというので驚いた。バイトは基本禁止で、事情がある人は届けを出せば許可証をもらえるのだが、その過程はかなり面倒くさいと聞く。


「許可証もらってるの?」

厳しい今田先生が教室を巡回している手前、周りは静かではないが一応声量を落とす。

志乃ちゃんは首を振った。

「親戚の飲食店の、手伝いをしてるんだ」

「へえ。どこ?行ってみたい」

「小さい店だし、遠くだから知らないと思うよ。そらちゃんってこの辺りに住んでるんでしょ?」

そう言って述べられた地名は、確かに電車で三十分ほどかかる所だった。そんな所から通っているんだ、と豪邸を想像してみた。また、確かにそれだけ離れていたら先生に見つかる可能性も低く、許可証を出す必要もないなと納得した。


「なんでバイトしてるの?」

志乃ちゃんはきっとそこそこのお嬢様だと思う。漫画で見るような典型的なものではないが、女子高生にしては仕草に品があるし、使っている物もどことなく“いいもの”感が漂っている。雰囲気でわかるものだ。

「親戚に誘われて。あと親にいい経験になるからって勧められて」

なるほど。私はガリガリと石を削りながらいいな、と感想を漏らした。


高校生にとってアルバイトをしているというのはステータスのようなものだと思う。実際にバイトをしている人たちはそんな風には思っていないかもしれないが、なんだか社会の仲間入りをしたような、一足先に大人になったような、そんな感じがする。

私の仲の良いグループのコマちゃんこと駒井春香も「あー今日バイトだ、だるー」と、全くだるそうな様子も見せずに定期的にぼやいていた。実際バイト先に彼氏がいるようで、シフトが被った日は特にウキウキしていた。そうすると大体隣にいる梶本有佳子が話を催促し、コマちゃんが気持ちよさそうに聞かせていた。私たちはこの二人に麻里奈を加えた四人で行動することが多い。


そんなこんなで志乃ちゃんと話しながら手を動かしていたら授業終了の時間が近づく。先生のそろそろ片付け始めろという声の元腰を上げる。一向にやめる気配がない麻里奈の背中を「課題終わってないんでしょ」と叩くとハッとして片付け始めた。

チャイムが鳴り始めたところで一旦号令がかけられ、片付けが終わった人たちは「ありがとうございましたー」と美術室を出ていった。


さあ、ここからが今日の本題だ。美術のだらだらとした気持ちから切り替える。

急ご、と片付けを終えて急かす麻里奈に小走りでついていく。次の情報の授業があるパソコン室に続く階段の踊り場まで来たところで

「あ、教科書忘れてきちゃった」

という予め考えておいたセリフを口に出す。

「また?私課題しないといけないから、先行くね」

麻里奈は予想通りの言葉を口にして駆け出した。

パソコン室まではあと少しだし、何より今日は時間の限られた課題があった。これで一緒に引き返すはずはないと確信していた。


ここまで上手く事が進んだことに満足しながら来た道を戻る。

いつも麻里奈の次くらいに片付けの遅いコマちゃんと有佳子とすれ違い

「また教科書忘れたのー?」

とコマちゃんに声をかけられる。先週も教科書を取りに戻り情報の授業に遅刻した私は、みんなの前で「なんで取りに戻るだけなのに遅れるのか」と質問攻めにあったため印象に残っているのだろう。普段温厚な中年男性の牛島先生は思ったより面倒くさかった。同じようなことを繰り返し聞かれても状況をみんなの前で説明するわけにもいかないので、あーとかんーとか言ってごまかしていたら諦めたようだった。

有佳子がすれ違いざまに「遅れないようにね」と笑う。美術の授業は早めに終わったし、普通に行って戻るだけならば遅れようがない。有佳子もそう思っての言葉だろう。


この前の情報の授業で、お手本として表示されていた牛島先生のパソコンに、娘にデレデレの家族写真が誤って写るというプチハプニングがあった。そのため麻里奈たち三人は授業後にその話題で盛り上がり、私の遅刻については触れられなかった。だが今日遅れたらそういうわけにもいくまい。この前のことも含め根掘り葉掘り聞かれるだろう。上手くごまかせる自信もないので、絶対にすぐ引き上げようと心に決める。



美術室のドアノブに手をかけると、自分が手汗をかいていたことに気づいた。そもそもいるのかもわからないし、私の事を覚えているかもわからないし、何よりここにまた来た自分がよくわからない。わからないことが多すぎたので、どれも考えないことにした。ノックしているか確認して帰る、それだけ。うん、そうしよう。どうして知らない人がいるのか確認したいんだ、と少し面白くなったが、考えても仕方がないのでそれもまた考えないことにした。


電気の消えた美術室は薄暗く、やはり放課後のようだった。遠くで聞こえる笑い声が、部活に向かう人たちのような錯覚になる。


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