第4話 午前

 その日は久しぶりに暖かかった。

この前までブラウスのみで登校する生徒がほとんどだったのに、ここ最近は急に冷え込んだためブレザーを羽織る姿が多くなっていた。

この坂は電車が着く時間と被ると、うちの学校の生徒でごった返す。寒くなって来ると、まるでお葬式の参列のように、背中を丸めた黒い姿が坂を埋め尽くすが、今日は真っ白なブラウスばかりだ。


住宅街からの坂の入口で合流した日吉が

「金木犀の匂い」

と楽しげに言う。

「いっつも言うね、それ」


私たちは一緒に登校する約束をしているわけではない。

私が家を出る時間が日吉と鉢合わせになる事が多いので、いつの間にかこうなっていた。だからいないようだったら先に行くし、朝の準備が遅くなる時も急がない。


日吉も途中で暑くなったのか、腕に脱いだブレザーを引っ掛けていた。最近は部活が充実しているようで、専らその話ばかりだ。


うちの学校はかなり部活動、特に運動部に力を入れていて、県外から来ている生徒も多数いると聞く。サッカー部も例にもれず、県大会は六連覇中だ。今年も、とみんなの期待の集まる中、日吉はレギュラー候補だというのだから驚きだ。ちょくちょく開催されている小さな大会には、二年生になってからはほとんどレギュラーで出ている。詳しく知らない私はそのまま県大会も、と思うがそんなに甘いものではないらしい。


「あれ、そんなのついてたっけ」

サッカー部は革製のスクールバッグと別に部活のリュックサックを背負っている。そのリュックサックに、見慣れないキーホルダーのような物がぶら下がっていた。

「これ?マネージャーが作ってくれたお守り」

日吉は頬をほころばせてそれに触れる。

サッカー部の青を基調したユニフォームのデザインが細かく再現されていて、真ん中には日吉の背番号だと思われる数字が刺繡してあった。

「あの先輩が作ったの?ほら、髪型がボブで美人の」

「あー、佐藤先輩?」

「名前は知らないけど。最近日吉がよく話してる人?」

「そう、それがあのマネージャー」


ここ最近日吉がサッカー部の話とともによく話題に出すのがその“佐藤先輩”だ。マネージャーということはわかっていたが、サッカー部のマネージャーなんて何人もいるだろうし、その先輩のこととは知らなかった。

またその先輩は結構有名だったが、基本“京子先輩”と言われているので日吉の話に出る“佐藤先輩”とは結びついていなかったのだ。


「週末に大会があってさ、選抜メンバーに入れたんだよね」

そう言うとまたペラペラと話し続ける。

小学生の頃からサッカーを習っていたという日吉は、サッカーに対する思いが大きい。

私たちが仲良くなったきっかけは高校一年生の初っ端の、出席番号順の席が隣だったという、いたって普通の出会いだ。その時の印象はフレンドリーな目立つ方の男子、というようなものだったが、それは今も大して変われない。

ただ、みんなで群れて目立っておきたい、という今まで周りにいたうるさい男子たちとは違い、ひとりで目立っても構わない、というか、みんなと違っても気にしない、というような強いものだったと思う。こうして朝に私と登校していることでもそれがわかる。

高校二年生なんてデリケートな年なのだから、クラスの男子たちは女子と一緒に登校するところなんて見られたくないはず。たまに見かけたとしても周りに見せつけたいようなカップルだ。

だからこうして二人で登校することも私もほとんど気にならない。それに何だか、気が楽だった。


「そら今日機嫌いいね」

隣で日吉がそう言う。

「そう?なんでかな」

そんなことに気付く日吉に感嘆するとともに、少し恥ずかしくなり歩幅を大きくする。

しかし普段から運動三昧の日吉には関係ないようで難無く並んだ。いつも私に合わせてくれていたんだ、と初めて気付いた。

「なんかあるの?今日」

「いや、なにもないけど。やっぱり暖かいと気分がいいですなぁ」

なんてよくわからないことを言う私に「天気で気分変わるような奴じゃないだろ」と笑う。


そこからはまたいつも通り日吉の部活の話とか、話の長い担任の愚直を言いながら校門を潜る。朝は楽器の音の響いていない部活棟の前を通過し、校舎の入り口まで来たところで

「おはようございまーす」

と環境委員会の男女のやる気のない声に迎えられる。

各クラスの当番が順繰りでしているその活動の今日の担当はサッカー部の人だったらしく、日吉を見つけると少し照れたように「おう」と手を挙げた。


校舎に入るとざわざわとした喧騒に包まれる。やっと長い坂を登りきったところなのに、今度は階段を下らなければならない。これが運動不足の私にはしんどかった。

二階の教室に着くとのんびり靴を履き替える私をおいて日吉は教室に飛び込む。日吉の周りの人たちの明るい声が聞こえた。


朝の教室には比較的静かだと思う。まだみんなしっかり目が覚めてはいないのか、昼休みなどと比べると勢いがない感じだ。

数人に挨拶をして席に着くと、前の席の麻里奈がメロンパンをくわえて振り返った。

「おはよ、英語の課題した?」

見ると、麻里奈の机には英語のテキストと朝ごはんが散乱していた。

したよと答えつつ次に言われる言葉を想定して課題を差し出す。

「ありがと、間に合うかな」

英語は三時間目だ。授業の合間の十分休みにすればギリギリ間に合うだろう。

麻里奈は口と手を忙しく動かしながらも

「あーこれ美術の時間にできないかなー」

とこぼしている。

「麻里奈、やすり頼んでたじゃん。それなのに使わないわけにはいかないでしょ」

そう返すと

「ほんとだ、よく覚えてたね。ていうか第一、今田の授業で副業する勇気ない」

とせっせと手を動かしていた。

副業というのは、授業中にこっそり他の作業をする事を指す。

そんな麻里奈を横目にロッカーから教材を取り出しているとすぐにチャイムが鳴る。登校の遅い私の朝休みは短い。


その数分後、もう一度チャイムが鳴るころには担任が入ってくる。担任は英語の教師であるにも関わらず、ちょうど死角になる席だからか、麻里奈はコソコソと課題を続ける。しかし斜め前の席の子がふいに前屈みになると、先生から自分を隠すものを失った麻里奈はゆっくりペンを置き、まるで今まで真面目に聞いていたかのような雰囲気を出していた。

今日のホームルームも相変わらず長い。確かに、朝の職員会議であったであろう話を軸に大事な内容を話しているのはわかるが、もっと要約出来るはずだ。この時間暇を持て余している私は最近、自分ならどれだけカットして話せるかを考えるようになっている。先生から見れば真剣に聞いているように写っているだろう。

案の定、長いホームルームから解放された麻里奈はぷりぷり怒りながら階段を駆け上がっていた。


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