第2話

次の日の早朝。昨夜起こった事などつゆ知らず、流れ者の娘とその弟妹はいつものように朝餉の膳に向っていた。雨漏りが朽ちかけた板間に、耳障りな音をたてている。


「二人とも、さあお上がり」


いろりの鍋が沸き立ち、わずかな山菜と草の根っこだけの汁が白い湯気を立てていた。


「ねえちゃん、おら白いマンマ食いてえ」

「わらも、もうこれ飽いた」


と、ぐずる弟と妹。


「そんな我儘言わんでおくれ、ねえちゃんだって・・」


娘がそう言い掛けたとたん、突然どんどんと、戸口がけたたましく叩かれた。


「ごめんよ」


威勢のいい声と同時に戸が開かれ、せまい土間に現われたのは八兵衛、そして乙松、次郎吉の三人の姿であった。


「何なのさ、おめえらは」


娘はすっくと腰を上げ、弟妹を両手でかばうようにして、男らの前に立ちはだかった。薄汚れた衣を着ているが、姿のいい、黒目がいきいきとした娘である。

 なるほど、生贄にはうってつけの娘じゃわい・・八兵衛は、血を流し苦悶に歪んだ娘の顔を想像し、にやりと笑った。その後ろで乙松と次郎吉が、不自然な笑みを無理に作ろうとしていた。


「あやしい者ではない、実はおまえに頼みがあって参ったのじゃ」

「頼み?いったい、何だい」

「ここでは申しにくい、外で話を聞いてくれぬか」


娘はいぶかしげに八兵衛の顔を見た。真四角の広い額をした、その顔のどこかに狡猾さを隠し持っている男だと思った。油断はできない、けれど相手が男三人では多勢に無勢、娘は渋々と男について外に出た。

 空気の澄んだ気持ちのいい朝だった。遠くまでなだらかに広がる田圃に昨夜の嵐の爪痕が無残に残っていた。稲が持ちなおすか否かは、これから先の天候しだいなのだ。

 村人たちの期待をずっしりと負い、八兵衛は娘に「頼み」の内容をゆっくりと語りはじめた。乙松は端正な眉をひそめ、両目を伏せている。次郎吉のいつもの赤ら顔は血の気を失っている。


「・・・という訳じゃ」


八兵衛は村の窮状を説明し、娘の前に頭を下げて懇願するように言った。


「身勝手は百も承知でお頼み申す。こうなれば生贄を・・生娘の生き血を捧げるほか道はないのじゃ。なあ、おまえが引き受けてはくれまいか」


 娘は仰天した。これは冗談か悪い夢ではないか。にわかには返事が出来ず、束の間のあと、やっとのことで声を上げた。


「なんで、おらが生贄にならねばならんのか、そんな話は理不尽じゃ」

「おお、そうとも、だがのう、村の寄り合いでそう決まったのだから仕方あるまい。なに心配には及ばん、弟妹は我らが責任をもって面倒みよう」

「いやじゃ、いやじゃ」

「潔くあきらめよ、もはや逃げる道はありはせん、見張りを立てようぞ」


 八兵衛の両のまなこが、ぎらりと残忍な光を放った。娘はびくりとし、そのまま黙り込んだ。しばらく間があった。ぬかるみに立ち尽くす四人の頭上を、キーンと黒い鳥が飛んでいった。乙松と次郎吉はうつむいている。八兵衛もさすがに後ろめたいのか、言葉に窮している。娘は静かに言った。


「わかったよ・・」

「まことか」


男どもが同時に叫んだ。


「まことじゃ、逃げも隠れもしねえ・・ただし、こちらも頼みがある」

「頼みとな、何なりと言ってみい」


興奮して、上ずった声で尋ねる八兵衛。


「生贄になる前に腹いっぱい白飯を食いたい、それに新しい着物がほしい、弟や妹の分もな、せめて最後くらい着飾りたいのじゃ」

「おうおう、わかった、なんとかしよう」


乙松と次郎吉が、八兵衛の傍らで、ほっと胸をなでおろしていた。やはり良心の呵責よりも何よりも我が身がかわいいのだ。

 娘の承諾を得た三人は、その足で、長老のもとへと報告をしに行った。十蔵は米と着物をどうにか用意すると、娘の元へ届けさせ、近いうちに贄の儀式をとりおこなう旨を伝えた。稲に致命的な嵐が来てからでは手遅れだし、何より娘の決心が揺らぐと面倒なことになる。が、それを聞いても娘は抗うことなく従順な態度を見せた。

 儀式の前夜。雨はないが風の強い夜だった。

 寄り合いに集まった男衆は前祝いと騒ぎ、酒を飲みかわし前後不覚に酔ったあげく、雑魚寝になって眠り込んだ。女子供や年寄りのいる家は、とうに寝静まっていた。

 灯りひとつない闇が、村をすっぽりとおおっている。風の音以外、何も聞こえない。家も山々も田畑も気の遠くなりそうな、異様な空気に包まれていた。


 松明の灯りが、どこからともなく闇の中に現われる

 漁り火のごとく、ゆらゆらとうごめき、村を横切っていく

 その火は次々と、家の軒下に放たれる

 狂ったように泣き叫ぶように、吹き荒れる風

 火は燃え上がり、見る見るうちに家々を飲み込んでいく

 漆黒の空に火柱が立ちのぼる

 きらきらと紙吹雪さながら舞い踊る火の粉


「あはははは・・燃えよ、燃えよ、ぜんぶ燃えてなくなっちまえ」


娘は、闇を切り裂かんばかりに、声高らかに笑った。その両脇に、弟と妹がしがみついていた。

 三人は小高い神社の境内から、村の、火炎地獄と化した光景を見下ろしてした。


「おっかあを見殺しにして、今度はおらを生贄だって?ふざけんじゃないよ・・おとうが罪人だったせいで、さんざんいじめられて村八分にされて、やっとたどりついた先がこれじゃ、あんまりじゃないか。当然の報いさ、おっかあの仇討ちじゃ、おらは後悔はしてねえ」


娘は、涙でぐしょぐしょになった顔を袖でぬぐい、母の遺髪の入った巾着をかたく握りしめた。


「ねえちゃん、これから、どこ行くの?」

「さあ、どこへ行こうかね・・・」


燃えさかる村に背を向け、三つの影は歩みだした。新しい着物をまとい、米を積んだ手押し車を引いて。

 神社の裏から山道に出ると、風は弱まり、夜明けが近づいている。


「あっちへ行こうか」


遠くを指差す娘。


「うん」


元気よく答える弟と妹。


その後ろ姿は二度と振り返ることはなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

贄の夜 オダ 暁 @odaakatuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ