贄の夜

オダ 暁

第1話

 下総の山間にある一僻村のことである。

 

 村では毎夜のように、寄り合って、年の瀬に上納する年貢の対策を練っていた。が、どれだけ話し合ったところで、事態は悪くなっていく一方だった。夏のおわりから度々、近年まれな大嵐に襲われ、稲の生育に甚大な被害をこうむっているのだ。

 いろりを囲み、だだっ広い板間に座りこんだ長老の十蔵をはじめ村の衆二十名余が頭をかかえ途方にくれながら打ち出した方策は、生贄の生き血を豊穣の神に捧げるという、村に伝わる忌まわしい風習であった。


「もう残された道はこれしかあるめえ」


十蔵は苦虫をつぶしたような険しい顔つきで言った。深いしわとシミだらけの顔は、このところの気苦労でますます老けこんでしまったようだ。もとより薄い、真っ白な髪は更に抜け落ち、今や見るも無残といった風である。


「しかし誰を生贄にするのじゃ」


若衆のひとり次郎吉が、とつぜん、素っ頓狂な声を上げた。先刻までの暗い、よどんだ空気がたちまち緊張の色を帯びる。そうなのだ・・村の二十戸、総勢約百名のうちの誰かが犠牲にならなければいけないのだ。皆がうつむいてしまったり、不安げに顔を見合わせているなか、口をひらいたのはやはり十蔵であった。


「昔から神への生贄は生娘と決まっておる」

「生娘!」


男どもは一斉にどよめいた。静まれ、と十蔵は彼らに一喝し、さらに言葉をつづけた。


「それも若くて美しくなければならぬ、村にそのような娘はいたかの?」

 

 束の間、場はしんとなり、皆いっせいに深刻な面持ちとなった。うかつに名指しをしていいものだろうかと困惑したが、それは義理と人情のあいまった複雑な思いであった。娘の名前を上げること、すなわち、それは彼女の死を意味することになるのだから。


「このままでは年貢を納めることはできまい・・・たとえ納めたところで、我々はおそらく飢え死にじゃ。なあ次郎吉、わかるであろう、やむにやまれぬ事と」


 次郎吉は肥えた赤ら顔をおもむろに上げ、仕方あるめえ、と小声で言った。異議をを唱える者は誰も出なかった。ここまでくれば一蓮托生、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。一人の娘が犠牲になってくれれば切羽詰まった事態は乗り切れるのだと、そうすれば皆が助かるのだと、それぞれの胸の内で勝手に思いはじめていた。


「器量良しのおなごと言えば、やはりタツじゃろう」

「いんや、あれはいかん、乙松が夜這いをかけおったと先日さかんに自慢しておった、生娘じゃねえわ」

「ほんとかい乙松、わしゃ全然知らなんだ」


 羨望まじりの幾つもの視線を受け、場の片隅にいた乙松は男前のりりしい顔を臆面もなく崩した。タツが生贄の候補から外されたという安堵の苦笑いであった。


「ではツルはどうかの、あの娘まだ手付かずのはずじゃ」

「おお、ツルがおったわい」


 その途端、あいつはいかん、と悲痛な叫び声が上がった。次郎吉だった。鼻の穴をふくらませ、鬼のような形相で


「わしは昔からツルが好きなんじゃ、一緒になるつもりじゃからあいつだけは勘弁してくれ、一生のお願いじゃ」


と、一気にまくしたてた。

 次郎吉の必死の訴えに、では他のおなごをと、そのあとも次々と候補の娘が名指しされたが誰かれの反対にあって、ことごとく話はつぶれていく。とちゅう候補外だったオミツやチヨの名まで上がったが


「とうが立ちすぎておる」


だの


「あんな不細工な娘を捧げたら、かえって逆効果じゃ。神様がお怒りになるやもしれぬ」


と、たちどころにその案は消えていった。

 十蔵はうなだれ、しまいには白髪頭を両手で抱え込んだ。


「これでは何時がきても決まらぬ、もはやくじでも引いて決めるしかあるまい」


苦渋にみちた長老の言葉に、皆一同ふたたび顔を曇らせ、水を打ったように静まり返った。十蔵は威儀を正すと、まわりの面々を見やりながら


「異存がある者は申し出よ」


と今度は強い口調で申し伝えた。

 村外れにいる流れ者の娘はどうじゃ・・・

 乙松の隣にいる若者が、ぼそりと沈痛な面持ちでつぶやいた。先刻、二人の妹を候補に出されたばかりの、村の知恵袋と言われている八兵衛だった。妹たちの孝行ぶりを淡々と話し、周囲の同情を買うことにうまく成功したのだったが、くじを引くという予期せぬ事態が起こり、とっさに口にしたのがこの言葉であった。


「そうよ、あの者どもをうっかり忘れておった・・たしか年ごろの娘子がおったの」


 乙松はすぐさま同調し、しきりに切れ長の目をしばたかせながら、八兵衛の方に首を傾けた。どうあっても恋仲のタツを助けたい乙松。そして、いかなる手を使っても妹を救おうとする八兵衛。二人はいわば同じムジナだった。いや彼らばかりではない、その場にいた殆ど全員が同様の反応を示した。

 件の一家がこの村にやってきたのは、半年程前の春のはじめである。ボロをまとい手押し車を引いた女と、その三人の子供は、ある日ふらりと村に現われた。歳の頃十五、六の娘はしっかりと見据えて、幼い弟妹の手を握り大きな風呂敷包みを背負っていた。

 村人らは彼らを遠巻きに眺めるだけで、声を掛けようとはしなかった。よそ者の侵入を歓迎しなかったのだ。一家は村のはずれにある神社の境内で夜を明かし、いつのまにか廃墟になっていたあばら屋に住み着いていた。山菜や木の実を採って細々と暮らしはじめた彼らに、殊更とがめる者もいなかったが、手を差し伸べる者もいなかった。かつかつの自給自足の生活に他人を顧みる余裕などないのである。

 春はゆるやかに過ぎていき、村は田植えの時期に入った。そうして梅雨も明けると本格的な夏の到来だ。今年は猛暑で日照りが続き、梅雨時にためた井戸も枯れていくばかりで村民のあせりは日増しに高まっていった。そんな折だった、流れ者一家の母親が重い病に伏したのは。娘は血相を変え、水を請うて村中を奔走して回ったが、ただの一人として分け与えることなく、それどころか流行の病と口汚くののしり、むげに追い返すありさまだった。それから程なく、母親のむしろを土に埋める子供らの姿が目撃されたが、皮肉なことに、大嵐が村にあふれんばかりの水をもたらしたのは、その直後であった。

 これまでの経緯を思い浮かべ


「かんたんに、承諾はすまいのう」


と十蔵はつぶやいた。


「承諾さすのじゃ」


間髪いれず、口をはさむ八兵衛。


「そうじゃ、説得するのじゃ」


と援護する乙松、そして次郎吉。残りの者も三人の若衆に扇動されたのか、賛同の意を口々に唱えはじめ、場は一気に騒然となっていった。


「よかろう、ならば八兵衛おまえに任せよう、乙松と次郎吉と共に話をつけに行けい」


十蔵の、長老としての最後の決断に、任務を命ぜられた三人は大きく頷いた。まわりの男衆も、やれやれと肩の荷が下りたようで、皆一様に安堵のため息をもらしていた。明朝決行ということで、話はくくられ、その夜の寄り合いはお開きとなった。

 

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