第7話 旋律
夜。
日向はこのオルゴールを見ると思い出す。
日向には年の離れたいとこが居た。結構歳が離れてたから、今は大学も卒業して社会人になってるはずだ。その人はいかにも姉御肌といった感じで、小学生の頃の日向はよく親が家を留守にしていたので、その人が家までよく面倒を見に来てくれていたのだ。とても仲が良く休日もいろんなとこに連れてって貰っていた。たしか、向日葵畑にも行ったはずだ。日向は彼女を本当の姉のように慕っていたし、彼女も日向のことを実の弟のように感じていた。
率直に言えば、当時の日向少年は彼女に好意を抱いていた。優しくされたから? その通りだ。遊んでもらえたから? もちろんそれもある。
だがしかし、彼女は自分と同じ子供でもなければ、周囲の大人とも違う。子供と大人の境界に属する存在。その青年期独特なバランス感覚とも言えるものが彼女にはあって、日向はそこに神秘性の様なものを感じていた。
今。日向は当時の彼女に年齢で追いつきはしたが、未だにその頃の彼女とは年齢では表せない大きな溝があるような気がした。
今、彼女はどこで何をしているのだろうか。
今はもう連絡を取り合ってないから分からない。
どうせあの人の事だからどこでも上手くやっていけているのだろう。
そもそも、どうして今になってそんなこと思い出しているのか自分で自分が分からない。
オルゴールを持ってきた柑奈を想像する。
日向は、柑奈がそのいとこと似た雰囲気を持っていることをなんとなく感じ取っていた。
なにか大事なことを忘れている気がする。
もういいや、寝よう。
日向は机と部屋の電気を消しベッドに身体を預け、深い闇に落ちていくのだった。
☆
日曜日。日向はマリーと家で一日中遊んでいた。
折り紙して、お料理して、一緒にテレビを見て……それなりに楽しい時間を過ごしていた。しかし、日向はどこか上の空といった感じで心置きなく遊ぶことは出来なかった。頭の隅にずっと残り続けるカビのようなものがあった。
カビの正体はなんでもない一枚のプリントだった。
進路希望調査。
夜ご飯も風呂も終わり、日もすっかり落ちきった頃。日向は再び、因縁の相手と決着をつけるべく部屋に籠り、一枚のプリントに勝負を仕掛けていた。
Q:あなたの志望する進路はどれですか?
一、四年制大学
二、二年制短大
三、専門学校
四、就職
五、その他 ( )
※その他を選んだ場合、空欄に当てはまるものを書きなさい。
……だそうだ。奴はこれから何十年、それどころか一生の方向性を決めさせる重要な決断を、弱冠17歳の歳若き青年に強いているのだ。正気の沙汰ではない。だが、日向は思う。そうだ、ここが勝負時。
今さら後には引けない。絶対に怯んではいけない。妥協は決して許されない。
夏の湿っぽい空気が充満する部屋の中、蚊が日向の決断を急かすように周りを飛び回っている。言われなくとも分かっているさと独り言を呟く。
日向はまず、四年制大学を考える。やりたいことが決まってないのなら、大学の四年間で見つければいいじゃないか。一般論だ。確かに進学すれば四年間のモラトリアムは得られるだろう。しかし、日向は四年間したくもない勉強をしなければならないのか甚だ疑問だった。将来なりたい職業が見つかった時、大卒が最低条件かもしれないぞ。これも一般論。だが、日向は現在文系を選択しているが近いうちに物理学に目覚めてまた入り直すことになるかもしれない。なら短大は? 四年制から二年制になっただけだ。変わらない。なら専門学校は? 論外だ。まだやりたいことが見つかってない。なら就職は? まだ社会に出れる自信が無い……。
言い訳だった。全ての選択肢にもっともらしい反論を言ってるだけの、子供の我儘に過ぎない。自分が嫌いだ。やりたいことも見つけられず、だからと言って決断する勇気もなくて、ただ問題を先延ばしにすれば事態は好転すると、誰かが助けてくれると思っているだけの。ただの子供だった。自分が……嫌いだ。自己嫌悪の波に呑まれる。あの感覚。視界がぼやける。今になって部屋の気温が高いことに気づく。違う。部屋ではなく自分が暑いのだ。どうして?分からない。まともな思考が出来なくなる。今まで自分が何をしてきたか分からない。分からない。分から……
――これは君が不安に陥った時に使って――
日向は手探りで引き出しの中からブツを取り出す。ぼやける視界の中、手の感触だけで取手の部分を回した。
すると、記憶に懐かしい音楽が流れる。暗闇に刺す一筋の光。日向はまるで、永遠に続くと思われた長いトンネルを抜けるように自己嫌悪の濁流から抜け出し、いつしかその旋律に聴き入っていた。
自然と心が落ち着いてきた。いつもそうだ。日向が将来について悩み出すと、いつも決まってあの感覚に陥るのだ。今回のはいつにも増して酷かった。まるで、誰かに頭を改造させられたのではないかという気さえしてくる。未来を考えるのは辞めなさいと、そう言われてる気がしてきた。
自分はいつからこうなってしまったのだろう。幼い頃は普通に未来に希望を抱いてて、学者やらスポーツ選手やらパイロットやら、なりたいものが沢山だった。なんにでもなれる気がしていた。
いつからだろう。未来を想像出来なくなったのは。
日向はもう寝ていた。
オルゴールはしばらく子守唄のように旋律を奏で、日向をまどろみの闇へ誘うのだった。
☆
次の日の朝。俵正美は日向が教室の椅子に腰を下ろすと、開口一番にプリントを要求してきた。
「日向くん、今日締切だよ?」
「……」
「大丈夫だよね?」
「……」
「書けた……よね?」
正美の言葉を遮り立ち上がる。右手には一枚のプリント。それを見た正美は表情が軽くなる。
「一番に丸つけといて」
日向はそう言うと、正美にプリントを押し付け教室を出ていった。後ろから正美の小さな溜め息が聞こえる。結局、日向は決められなかったのだ。自分自身では、何ひとつとして。日向は勝負に負けたのだ。オルゴールの旋律はまだ耳に残り続けていた。
夜の向日葵 米騒動 @komesoudo
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