第11話 メーアゾルカの盾:2

 破裂音と共に水球が飛び散り、銛も見事に砕け散る。完膚なきまでに砕けたのがむしろ幸いした。軍船すら揺らす大衝撃を生む水球だ。一歩間違えば砕けていたのは、ミアの肩から先だったろう。


「ミアっ!? なんてことをするんだっ!」


 それをクーは十分に理解している。頬まで血の登った顔を一瞬で青ざめさせて、危うく弓すら海面へ投げ出しかねない勢いで振り向き、ミアの前で膝を着く。


「大丈夫か!? 骨は折れてないか、腕は──ああ、もう、なんて無茶をする……!」

「て、手がっ、腕が痺れっ、れてててててて」


 ミアの腕は、長時間頭の下に敷いて眠ったあとのようにビリビリと痺れていた。もしかすれば、多少腱を痛めたくらいのことはあるかもしれない。だが痛みの自覚は無かった。

 その代わりに、笑っていたのだ。空を見上げる目を細めて、唇の端を思いっきり吊り上げて。心配そうに覗き込むクーの顔より先に、手の中にわずかに残った銛の柄を見て、それをあっさりと海に投げ捨てた。


「……ふぅ、っ……頼む、あまり驚かせないでくれ。君に何かあったら、私はリネットに顔向けが──」


 安堵の溜息を長く吐き出す、クー。その目には、自責の色がある。

 楽しい旅に連れていってやるつもりが、遊び相手の子供が、思ったより力が強くなっていた。それでも自分なら守り切れると踏んでいたが、この有様だ。

 数十年、鍛錬を怠ってはいなかったが、他者と力を比べあうような急場に放り込まれてはいない。力量を見抜く勘が鈍ったのは、やはりブランクが大きかったか。もしこれで、ミアに傷ひとつでも負わせて帰ったのならば、自分は──。


「クーさん」

「むぐっ」


 ミアの手が、クーの唇を上下まとめて摘んだ。クーは間の抜けた鳥のような顔になって押し黙る。


「楽しいです。すっごく」

「んん、んんんんん」

「今、私、嘘みたいなお話の中に居ます。村のお祭りとか、誰かの結婚式とか、そんなのじゃなくって。……ありがとうございますっ!」

「んん……っ!」


 口を塞ぐ指が離れる──そのまま、ミアの手が船縁を越え、海面に延びた。

 そうして拾い上げたるものは、先にクーの矢によって水面に落ちた、水竜の鱗であった。遠目に見れば小さな鱗一枚。されど側へ寄ってみれば、ミアの上半身をすっぽり覆ってしまえるだけの大きさがある。


「わっ、見た目より軽い。……そっか、水に浮くんだもんな。材質は……」


 こん、こん。手の甲で鱗を叩く。返ってくる感触は、かなりの強度を示している。鍛治を趣味とし、日々鉄鋼の加工を楽しんでいるミアの感覚は、この鱗が鋼などより余程頑強な素材であると導き出していた。それでいて重量は、木材などより軽いのだ。海水中の微小な物体に洗われてか、表面は研磨されたようにツルツルとしている。

 裏返す。水竜の体に張り付いていた部位は、表面に比べてザラついている。当然だが、取っ手のようなものは無い。


「……ミア? まさかとは思うが、君──」

「そのまさか、ですっ!」


 縁に手をかけ、ぐわあっと。ミアは水竜の鱗を頭上へ抱え上げ、巨大な傘のようにした。


「さあ、来ーいっ! 」


 クーはぽかんと口を開けて、その様を見ていた。

 水竜さえも、次の攻撃を行わず、首を100m程の高さに留めて、じいっと小舟を見下ろしているだけだ。


「あれっ? ……さぁ、かかって来いっ!」

「……ミア、それじゃあダメだ。防御にはならない」

「えっ?」

「水球を受けた鱗が君の頭を殴りつけるだけだ。首が折れるぞ」

「げっ」


 両手と頭部の三点で保持するのだから、衝撃がそのまま首に来る。考えれば当然なのだが、浮かれきったミアには考えも及ばなかったことである。


「縁を掴むだけでは、把持も弱い。だから、こうやって──海の子よmee azoruka,少し待ってくれpon vete yat!」

「……う、うむa-ah


 クーは手際良く大弓の弦をほどいた。太く強い蔦草を乾燥させ、加工し、金属弓の張力にも負けぬよう誂えた強靱な弦。幾度も折り返すように弓に掛かっていたそれは、ほどいてしまえば、ロープとして転用できるだけの長さが有った。

 それを水竜の鱗に巻き付け、大弓に括り付けていく。固く、多少の衝撃では緩まぬように、完全に一体化させると──


「ふぅ、良し。ミア、ちょっと持ってみろ」

「はいっ。よいしょ、っと──あっ、なるほどこれなら」


 クーの大弓がそのまま、盾の持ち手に変わった。両手で握り締めて把持できる、金属の持ち手である。重量も十分に有り、手の中からすっぽ抜けていく事は無いだろう。


「ミア、もうちょっと下の方を両手で持つんだ。足は前後に開く。左右の別は問わない」

「こんな感じですかね……?」

「そうだ、いいぞ。で、私は──よいしょっと」

「ふぇっ!?」


 何より良い点は、持ち手の長さと盾自体の大きさの為、二人がかりで把持できる点にあった。

 クーは長身と手足の長さを用いて、ミアの背に覆い被さるように立ち、大弓の──盾の持ち手の上部を掴む。これで盾を支えるものは、四本の腕、四本の脚だ。飛躍的に固くなった守り。クーは自慢げに一度鼻を鳴らし、水竜へ向けて不敵な笑いを見せた。


 一方で、それどころではないのがミアだった。彼女の意識は前方ではなく、濡れた衣服越しに押し付けられた体温の方に向いていた。

 背に心音を感じる。脈が速い。ふたりの肌を隔てる布の枚数が、たった二枚しか無いことにミアは気付いていた。

 激しい戦闘で体温が上がっている。暖かい。それは良い。問題なのは、その暖かさが描く輪郭まで感じられる程、意識が研ぎ澄まされてしまうことだ。


(あっ、案外背丈の割に細身──────じゃ、なくてっ!)


「……ミア? 大丈夫か?」

「は、はいーっ!」


 があん、と船底を蹴るように、両脚に力を込めた。

 鍛冶で日夜酷使する両腕を、ぎゅうっと固めて盾を持つ。


「いつでもいけます!」

「──だそうだ、海の子よ!」


dunay maisa


 遊びの続きが始まった。

 次の〝雨〟は空から降るのではなく、海面近くから横殴りに叩き付けるものに変わっていた。

〝戦いごっこ〟の不文律。パンチは大振りで、受け止められるものにする。少し痛いくらいなら良いが、怪我をさせてはいけない。皆で遊んでいるうちに、子供は自然とルールを学んでいく。

 水竜は、手加減を習得し始めていた。……が、それはあくまで、全長数百mを優に越える巨躯の主観。飛来する水球の衝撃たるや──


 ぱぁあんっ!


「うひゃあああぁっ!?」

「むぅっ!」


 ミアとクーが手足を突っ張る。

 当然、それだけでは、船を揺らす大衝撃を支えきれない。風矢を放つ代わり、その余力で強力な追い風を起こし、鱗を裏側から押し込むことで、衝撃のかなりの割合を軽減している。

 それでも、気を抜けば後ろへ倒れ込んでしまいそうな威力だ。

 そして当然のように、〝雨〟は一粒では止まない。


 ずどっ。どっ。どっ、どっ、どっ、どどどどどどど──


「うぐっ、ぐぐぐぐぐぐぐ──クーさぁん! 大丈夫ですかぁ!?」

「射貫いてる方が楽だったかも知れない……!」

「後の祭りですねー!」


 十数秒の間、横殴りの雨が降り続いた。ふたりはどうにか、両足を船底から放さずに耐え抜いた。

 竜の表情は、人には読めない。厳密には人ならざる者、クーにもだ。だが不思議と水竜の、悠々と首を巡らしてふたりを眺める様を、この場に居合わせた誰もが、あれは満ち足りたのだと感じていた。

 そして、あの歌のような声が、海域に響くのだ。


次だbesut


 水竜は、この遊びの結末に相応しい一撃を求めていた。


「良いだろう。渾身の一発を見せてやろう──」

「あっ、クーさん!」


 ならばやることは決まっている──とばかりに、クーは弓を再び手にしようと、蔦草のロープを解きにかかる。が、その手をミアが制止する。

 なんだ、と問おうとしたクーは、ミアの目を見て、やめた。何らかの確信に至った者の、真っ直ぐな目だったからだ。

 だから代わりに、こう訊ねた。


「私は、どうすればいい?」

「矢の代わりに、この船、撃ちだしましょう!」


 クーは少しの間、腕組みをしてその提案を検討し、


「なるほど、それは名案だ」


 と、言った。

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田舎騎士の炉 ~剣と魔法と精霊と百合~ 烏羽 真黒 @karasugakaa

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