毛玉、挨拶する
第1話 エント村の人々
毛玉に対する母の反応は想像通りで、賢者のお墨付きはやはり強かった。
しかし、実母を前にしたヒナゲシには、村人たちの時と同じような感傷に浸れる時間はない。何せ、ヒナゲシの手には母に頼まれた土産の果物どころか、託されたはずの虫取り網すら握られてはいなかったのだから。
そんなこと、と思うかも知れないが、期待の分だけ裏切られた傷は深い。
それが食べ物のことなら、なおのこと。
かくして、毛玉そっちのけで母に詰め寄られたヒナゲシは、愛想笑いを浮かべながら、今晩は飯抜き確定だと心の中で涙する――と。
「こんばんは」と挨拶しながら玄関扉を開いたのは、キャシー。
昼間、不可抗力とはいえ、ヒナゲシを一時的に拘束してしまったことを謝りに来た彼女は、件の虫取り網を手にしていた。
どうやらあの時に落としていたらしい。
が、母に指摘されるまで忘れていたヒナゲシにとっては、持ってきてくれただけで救いの神である。ついでに、治安は悪くなくとも夜道の一人歩きは危険だ、とついてきたケビンを荷物持ちに、お詫びの品の果物をたくさん持ち寄ってくれたなら、ひれ伏すしかない。
――現実でやると困らせるだけなので、あくまでヒナゲシの想像上で、だが。
「……キャシーの頼みでさえなければ」
ケビンの恨み節はヒナゲシの耳にしっかり届いていたものの、裏切りを埋めるにあまりある果物を喜ぶ母を前にしては、胸の中で合掌するだけに留めておいた。
こうして無事、夕飯にありつけたヒナゲシ。
翌朝の出勤前にキャシーが訪れたのなら、躊躇いがちな含みのある頼みでも、引き受けないはずがなかった。
(なるほど。だからキャシーの様子が変だったのか)
エント村で毎日行われる朝礼。キャシーに乞われ、その会場である村唯一の食堂兼酒場を訪れたヒナゲシは、向けられる視線の数に少しだけ目を見張った。
朝礼の主な目的は、村の暮らしに関する情報の伝達。だが、村人の大半がそれぞれ仕事を抱えた農家なら出席率はそう高くなく、伝達する情報にしても、それほど多くない上に代わり映えするものでもない。
正直、毎日行う意味があるのかさえ不明だ。
ヒナゲシにしても、顔を出すのは多くても三日置き、後は警備職の役人として用がある日ぐらいなもの。
となれば、自然、見る顔は毎日決まっている――はずなのだが。
未だかつて、この食堂がここまで埋まったことがあっただろうか。
立ち姿はないため、村人全員が集まっている訳ではないが、ヒナゲシが一歩動く度に移動する視線は、それだけで息が詰まりそうだ。
(向けられる先が自分だったら、入るのもイヤなところだけど……)
ヒナゲシは肩越しに、今日も今日とて後ろをついてくる白い毛玉を見た。
朝礼参加者とヒナゲシの注目を一身に浴びているにも関わらず、弾むようにコロコロ転がる動きに変わりはない。ヒナゲシの跡をついてくることから、周囲を知覚できてはいるはずだが、興味が在るモノ以外には無頓着ということか。
(まあ、たまたま来た村で、なんとなく近づいた川に落ちるくらいだから)
昨日、質問を重ねて得た毛玉の情報を思い出し、心の中だけで苦笑する。
「おはようございます、村長。皆さんも」
配膳カウンターの前で立ち止まったヒナゲシは、仁王立ちで待ち構えていた、厳めしい顔の村長と場内の村人へ挨拶する。
「おはよう、警備の。朝早くから悪ぃな」
「いえ、多少は予想していましたから。……思ったより人が多いくらいで」
迫力は満点だが、低い位置にある村長へ首を振りつつ、客席の集団へ目を向ける。
当然ながらどれも知った顔だが、読み取れる感情は様々。
しかし――。
(こうしてちゃんと見ると……もしかして、予想も違った?)
キャシーの様子といつもより多い朝礼参加者から、やはり、いくら賢者のお墨付きとはいえ、さすがに魔物は受け入れがたかったのだろうと、そのための朝礼への参加要請だと思っていたのだが。改めて真正面に見た村人たちの目には、魔物への畏怖や嫌悪よりも、好奇心や何かしらの期待を込めたような輝きがあった。
(となると、これはつまり――)
ヒナゲシが一つの答えに辿り着いたなら、それを発する前に村長が言った。
「あー、もしかしなくても勘違いさせてたか? 確かに俺もここにいる奴らのほとんども、キャシーづてにしか聞いてないし、キャシーもお前さんから聞いただけだろうが、その魔物に危険がないって賢者様の話は疑ってないさ」
「はあ、そうでしたか」
直前で気づいたとはいえ、気を張っていた分、肩透かしを食らったような気持ちになる。ついでに、村人に蔓延する賢者への厚い信頼を、今回ばかりは喜ぶべきか迷ったなら村長が付け加えた。
「もちろん、伝手がキャシーとお前さんだからってのは大きいがな」
言外に伝わる、信頼しているのは賢者だけではないという思い。
照れくささを感じるが、
「……まあ、キャシーに関してはいい子過ぎるから、お前さん以外から聞いた話だと言われると、信憑性は、なあ? 少しばかり……」
最後はゴニョゴニョ濁す村長に、何とも言えない顔になるヒナゲシ。
村長は切り替えるように咳払いをすると、ここでようやく、ヒナゲシを朝礼に呼んだ目的を切り出した。
それは、村人たちの顔を見て、ヒナゲシが導き出した答えそのもの。
「で、だ。警備の。お前さんが使役するってんなら、その魔物――何ができる?」
獣使い一人あたりの使役数に明確な制限は設けられていないものの、一般的には四、五体が適正とされている。これは、獣使いが使役獣を賄える魔力量の平均値というより、使役獣が能力を補い合える数ということらしい。
かく言うヒナゲシも、この適正を踏襲するかのように、レティとポチの他に二体を使役していた。――使役するに至った理由は、適正数とは全く関係ないが。
そして、警備の番犬として認識されているレティ以外の三体にはそれぞれ、獣使い本来の役目とは関係のない、エント村での仕事が任されていた。
毛玉に向けられていた熱い眼差し。
その理由に、ヒナゲシは村長含めた村人たちへ、逆に問う。
「……見た感じ、何ができると思いますか?」
この魔物に――この毛玉に、期待できそうな仕事とは。
一応、魔法を使うことはできるが、警備職としては魔物においそれと使用させる訳にはいかない。となれば、この見た目と動作で何の仕事ができるというのか。
皮肉ではなく、ヒナゲシ自身が知りたいのだと問う。
顔を見合わせた村長含む村人たちの答えは――。
「あー……なんだ、朝早くに悪かったな、警備の」
「いえ、こちらこそ」
誰からともなく聞こえてきた「あ、そろそろ仕事に戻らねぇと」という言葉が合図だったように、似たような挨拶を交わし、村長以外いなくなった朝礼会場。
気まずそうな村長に首を振ったヒナゲシは、「では、自分も仕事に」と挨拶しかけ、「ああ、そうだ」という声に振り返る。
「まあ、お前さんも分かっていると思うが、オジさんには改めて挨拶しとけよ」
「はい」
「それと」
「はい?」
「……その白いの。お前さんが飼い主になったなら、名前、つけたんだろ?」
「ああ」
獣使いと使役獣は、厳密に言えば飼育関係にはない。
しかし、外からどう見えているか分かっているヒナゲシは、すんなり頷くと、白い毛玉へ視線を落として言う。
「モフです。見た目がもふもふしているので、モフ」
軽い口調で話せるほど安直な名付けだが、実のところ、この名前に決まるまでレティから何度かダメ出しを食らっていたヒナゲシ。当の毛玉――モフは、ヒナゲシのつけた名の全てに、今のように伸び縮みで歓迎の意を示してくれたのだが。
(……まあ、名付けに関して、レティには何も言えないからな)
魔物相手の安直さが気に入ったのか、「憶えやすくてイイ名だな!」と笑う村長の裏で、ヒナゲシはこっそり息をついた。
あの日、拾った毛玉 かなぶん @kana_bunbun
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