第5話 「はい」・「いいえ」毛玉

 レティは花が好きだ。

 アレルギー持ちでもない限り、嫌いと言われる代物でもないため、その理由を聞いたことはないが、ヒナゲシよりも好きだということは断言できる。

 現に、それまでなかった類いの感情の揺れが、彼女の尻尾に現れていた。

 反して、花塗れとなった毛玉を見るヒナゲシの目は厳しい。

(……証明として、花。偶然? それとも、相手レティの嗜好に合わせた?)

 どちらかと言えばこれまで、レティほどの緊張感もなく、毛玉と接していたヒナゲシ。しかし、明らかな特異性に気づいたなら、否が応でも警戒せざるを得ない。

(しかも、レティがこの反応ってことは、この花は幻覚でも、魔法で創り出した物でもない、本物の花。つまり、召喚したモノ)

 数ある魔法の中でも召喚は特殊だ。別の場所にあるモノを変質させず、そのままの状態で指定の場所に出現させるには、相応の魔力と精確な技量が必要となる。召喚された花は、そこまで時を置かず消えているようではあるが、一定の量を保っている様子から、消えると同時に同量の召喚を行っていると推測できた。

 それだけでもとんでもない話だが、更にとんでもないのは、それを未だ解けていないレティの結界内で行っていること。対魔物用の結界である以上、閉じ込められた魔物は、魔法も魔力も封じられるか半減する。だというのに、花は際限なく降り続け、狭い詰め所を華やかに香らせている。

 指し示すのは、この毛玉が、見た目ほど生易しい存在ではない、ということ。

 ヒナゲシの足が、無意識に毛玉から遠ざかりかける。

 と、花塗れの毛玉が震えた。

 一瞬、身構えるヒナゲシ。

 だが、散らばり落ちる度に消える花から、ふわふわな白い毛が現れたなら、少しだけ力が抜けた。

 花塗れになる前までは、ずぶ濡れだった毛玉。

 それが花を召喚し、こうしてふわふわになったということは――。

『ま、まあ、いいでしょう』

 花玉から毛玉へ戻ったのが目に入ったのか、それまで花に魅入っていたレティがわざとらしく切り出す。尻尾は心情を隠せておらず、声もどこか上擦っているのだが、口調は尤もらしく、尊大に、

『敵意がないことを花で示すとは、見た目によらず、風流――いえ、気障なことをするようですが、お前の意思は伝わりました。それはきっと、主様も――』

「いや、レティ。水を差すようで悪いけど、たぶんこの花、自分の毛の水分を抜くために出したんじゃないかな?」

『っな!?』

(……あれ?)

 振り返るキラキラした瞳へ、つい今し方導き出した考えを告げれば、固まった三角耳の向こうで毛玉が変な動きを見せる。

 大きな震えの後に、上下に膨らんだり萎んだり。

 それがどういう反応か捉えかねていれば、毛玉に向き直ったレティが、威嚇に頭を低くし、鼻に皺を寄せる。

『確かに主様の言う通り、すっかり乾いているようですね。……花が証明などと、早合点した私が愚かでした』

 屈辱だと言わんばかりのレティに、毛玉が左に傾いたり右に傾いたりする。

 そんな彼らを上から見ていたヒナゲシは頬を掻いた。

(もしかして、私の考え違いだった? 本当は逆だった、とか。レティへの証明に花を出して、ついでに自分の水気を吸わせて乾かそうって順番だとしたら……)

 結界内で召喚魔法というでたらめな能力を見せながら、レティに睨まれてオロオロするだけの毛玉。敵意があるとは思えない様子に、余計なことを言ったかも知れないと思い直す。

「レティ、ごめん。ちょっと待って」

 ヒナゲシはレティの横に片膝をつくと、そっと頭に手を置いた。

『主様、何を』

「うん、ごめんね。でもやっぱり、私の考えでしかないと思ったからさ。何か他に、この魔物の意思を図れる方法はないかな?」

『そう……ですね……』

 レティの後悔も自分の責と、怒れる頭を撫で回す。

 鬱陶しいと払われてもおかしくない行動だが、低い姿勢を解いたレティは、撫で回されながら考える素振り。そうして一度身体を振るっては、乗じて離れるヒナゲシへ、『こういうのはどうでしょうか』と提案した。


* * *


『言っておきますが、まだお前を認めたわけではありませんからね』

 前置き、結界を解いたレティ。

 当然というべきか、彼女も毛玉に結界は無意味だと気づいていたらしい。それでも前置いたのは、レティの矜持のようなものだろう。

 当の毛玉は、結界が消えてもそこから動かず、レティの次の言葉を待つ。

 これに『いい心構えです』と頷いたレティは、前足で床を叩いた。

『……お前に見る、ということができるのかは分かりませんが、ここに「はい」、ここに「いいえ」と書いてあります』

 ヒナゲシとレティ、向かい合う毛玉の間の床に刻まれた「はい」「いいえ」の文字。ヒナゲシ側から見て、左が「はい」右が「いいえ」と読める文字は、毛玉との意思疎通を図るべく、レティが出した案だ。魔法で刻まれた文字は、詰め所の床を傷つけず、毛玉が移動しても消えない仕様になっている。

 頷くように毛玉がひと弾みすれば、これを認めたレティも頷いた。

 ――ちなみに、この弾みでも「はい」「いいえ」を表せそうなのだが、なまじ真っ白な毛並みのせいで曖昧になってしまうとして、早々に却下されている。

 そんなこんなで始まる、毛玉への尋問――の前に、

「あ、レティ。これに「分からない」と「黙秘」も付け加えてくれる?」

『それは……。「分からない」は構いませんが、「黙秘」というのは……』

 不満げな下からの視線。

 しかしヒナゲシは譲らず、

「質問の内容に気をつければいいよ。それに「黙秘」を選ぶなら、それはそれで参考になるから。重要なのは、円滑に進めることだからさ」

『はあ。主様がそう仰るなら……』

 基本的にヒナゲシの頼みを断らないレティは、渋々ながら床の項目を増やし、改めて毛玉に前足で説明した。


 そうして判明したのは、毛玉自身があまり自分を分かっていない、ということ。


 もちろん、先にレティが訊いた「人間や魔獣に害をなすか」という質問については、しつこいくらいに聞き、時に引っかけを混ぜもしたが、毛玉は終始「危害を加えない」と主張していた。同じくらいの熱量で、「ヒナゲシに使役されたい」とも示し、なんなら「レティの子分になりたい」という冗談にも、すぐさま「はい」を選んできたほどである。

 そんな毛玉だが、事自分のことについては、「分からない」を度々踏んだ。

 何かを隠している可能性も考えられたが、移動の様子から見て、そもそも、理由というものを考えたことすらなかったようだ。出自も知らなければ、この村に来たのも転がっていたら着いただけらしく、小川に落ちたのもなんとなく近づいたら落ちた、という具合。

 それでどうしてヒナゲシの後を熱心について回り、使役されたいとまで思うようになったかと言えば、「助けてくれた善い人」だったかららしい。

 やはり、あまり深くは考えていないようだ。

 見た目通りのふわふわさで生きてきたらしい毛玉。

 そんな毛玉が一度だけ、割とどうでもいい質問で「黙秘」を選んだのだが、それについては『……せっかくあるのに、使わないともったいない、とでも思ったのでしょう?』とレティのジト目に見抜かれ、おずおず「はい」と答えていた。


『……結論として』

 真面目な質問を七割、どうでもいい質問を二割、引っかけとお遊びを一割加えたなら、夕暮れ時。最終的に、レティからいいように転がされ続けた毛玉は、レティのこの声に終わりを悟ったのか、少し地面に溶ける形で止まった。

 荒い呼吸のような動きはないものの、伝わってくる疲労感。

(お疲れ)

 胸の中だけで労いの言葉をかけたヒナゲシへ、レティは言う。

『どうしようもないですね、コレ』

「やっぱ、そっかあ……」

 それだけで通じる主従は、どちらともなくため息をつく。

 攻撃が通らず、封じることもできない魔物。それでいて、人間の使役を望み、人畜無害を主張してどこまでもついてくる。

 防げる手段が何もないと分かったなら、致し方なし。

「それじゃ、申請書だね」

『え、こんな得体の知れないモノなのに、申請されるのですか?』

 ヒナゲシが早速机に座って書類を取り出せば、レティが驚いたように問う。

 これへ力なく笑いながら、ヒナゲシは首を振った。

「だからこそ、だよ。分からないモノだからこそ、きちんと申請しておかなくちゃ。後で聞いていないって言われる方が面倒だからね」

 ヒナゲシの頭に浮かんだのは、急に現れるかもしれない王都の役人の姿。

 魔物に近い魔獣を使役する獣使いの立場は、いつだって不安定だ。だからこそ、獣使いを調査する役人には、その場で処断できる権限が与えられている。

 何も知らせていなければ、より一層、ヒナゲシの地位は危うくなるだろう。

 ひいては、ヒナゲシが使役するレティ含む者たちの命も――。

「どの道、危ない橋はすでに渡っているからさ」

『…………』

 完全な独り言だが、ヒナゲシの呟きにレティは黙り、しばしペンの音だけが狭い詰め所に響く。

 止まったのは、名前の欄。

 これから使役する予定の魔物を識別するための、大事な部分。

 ちらり、ヒナゲシの目がダレている毛玉を見る。

(……何にしようかな。レティには、ネーミングセンスがないって言われているけど。ああ、そうだ。名前以外にも、アレを確かめなくちゃ)

 増える一方の「やること」に、ヒナゲシは一度ペンを置いた。

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