第5章 贖罪
インターホンを押し、暫くしてから松葉杖をついた男性がドアを開けた。
「はじめまして。
小学生の時の記憶を思い出しながら拙い台湾語で何とか挨拶を済ませた。
「お土産と言ってはなんですが、これは千羽鶴といいます。千羽も折れていませんが、日本の文化のひとつで、怪我が早く治るようにという意味があります。」
「
リビングに通され、ソファに腰かけた。家の中は意外にも写真がほとんど飾られておらず、
「遠いところ足を運ばせてしまい、すいません。春先に仕事中に転んでしまいまして、この通りです。」
張品睿は自分の右足に巻かれた包帯を撫でた。
「いえ、急なお願いにお答えいただきありがとうございます。」
「武本さんから、日本で
表情が無くなりつつあり、アデールの両親と重なった。
「お気持ち、わかります。実は、私は小学生時代に台湾インターナショナルスクールで
「武本さんからも伺っています。ですので、今回、協力したいと思えました。彼女のことを何も知らないメディアやインターポールには本音で話したくありませんでした。」
拳を握る強さから、悔しさが伝わってきた。
「私も、今回の事件の真相を明かし、
早速とはなりますが、こちらの【家族】についてもお話をお聞きできますか?」
「はい。その本は僕の写真家人生のひとつの区切りとして製作しました。今でこそ、台湾は民主主義国家としての体を保てていますが、僕が生まれた一九七二年頃は権威主義の国でした。自分たちが中国人なのか台湾人なのか分からないという人が沢山いました。この世代の人たちは、どこかアイデンティティを確立できていない感覚のまま大人になっているのではないでしょうか。幸いといいますか、僕は両親が昔から使っていたカメラを譲り受けたことで、写真の中に物事の色んな側面を見出だし、アイデンティティに悩むよりも写真を撮ることに興味を向け続けられました。家族に救われました。それで、データも揃ったので二〇一七年中に発刊しようと武本さんと話していたのですが、前年に台湾インターナショナルスクールで酷い事件があり、
外で野鳥のジャワハッカが
「去年の冬、インターポールから連絡があり、
「そうでしたか。この本は、色んな思いが詰め込まれた作品なのですね。不思議と、この本を持っていると、心が温かくなって自分の家族のことを許せるような気がしてきます。情報のご提供もありがとうございます。」
「あの、妻、いや彼女はたとえ罪人だとしても、悪人なのでしょうか?"正義的"悪を選択したのではないでしょうか?本物の悪を野放しにしているとどんどん事態が悪化します。それを止めたとしても、彼女は捕まるしかないのでしょうか?」
砂漠の地で枯れ果てようとしていた植物に雨が降り注がれたように、目に熱を持って
「現在、確かに
帰り際、
「絶対とは言えませんが、苗字の輪番制で主催を担当する
あの、もし彼女に会えたら、いつでも思ってると、伝えてくれますか?」
「はい。分かりました。きっと、必ず、伝えます。
結局、インターポールへの協力申請はせず、しらみつぶしに林という苗字の人を中心に聞き取りを行うことにしたが、手がかりはつかめないまま時間だけが過ぎていった。
途中、本部から一件の連絡が入った。捜査の一環とはいえ上司の指示を無視する形で一週間が過ぎてているため、帰署命令かと思ったが、奥多摩の例の男が
有給休暇がたまっていたので申請を出してスマートフォンの電源を切った。
鶏籠中元祭の最終日、あの世へ送り返す儀式を行い、もうすぐで門が閉めるタイミング ―黄色を基調として青色や白色で豪華絢爛にライトアップされた主普壇という祭場がひと際、輝くとき―マリの視線が
二人は自然と歩み合い、手を握り合って見つめ続けた。
林が先に口を開いた。
「マリちゃん」
堪えきれず、マリの頬を鮮やかな線が走った。
「先生…」
林は当時よりも瘦せ細っており、憔悴した顔つきではあるが瞳の輝きから、優しい彼女がまだ生きていることを感じられた。
「どうしてここに?」
「話すと長くなるのですが、林先生に会いたくて、もしかしたら会えるんじゃないかと思って、来たのです。」
林の口元に笑みが浮かび、マリは少女が抱くような瑞々しい喜びが涌いた。
「マリちゃんが日本に帰った後、暫く文通したことを覚えているわ。急に返せなくなってごめんね。悲しいことがあって、それもだけど、その時に感じた考えをどうしても受け入れられなくて、色んなことから逃げてしまったの。時々、自分が何者なのか分からなくなる時があって、気を紛らわして生きてきたのだけど、その時はどうすることもできなかった。いっとき、奥多摩に居たこともあるの。でも、そこでも悲しいことが起こった。それで、その時、マリちゃんのように考えることが出来なかった。あったのは絶望だけかな。台湾に戻った。また逃げたのね。毎日、日本のニュースを見てた。でも、一向に報道はされなかった。それでも、万が一のことがあったらと思って、知り合いやスクールに近づくことができなかった。もし、私のせいで、人が亡くなるようなことがあったら、多くの人を苦しませてしまう。それなら、忘れてもらうしかなかった。今日は、悩んだのだけど、アデールちゃんを弔いに来たの。」
私は林の手を一層、強く握った。
「そうだったんですね。
まずは、安心してください。先ほど、署から連絡があり、先生が気にされている男はその後、暫く廃屋に潜伏していて、持病の悪化で亡くなっているのを発見されたようです。」
林はマリがなにを言っているのか分からなかった。
「え、署って、どういうこと?」
「私も台湾インターナショナルの卒業後のお話をしなきゃですね。中学、高校と卒業して、大学で大切なパートナーと出会いました。名前は高橋美沙といいます。彼女と国連について研究するゼミに入り、結果的に刑事を志しました。そして、幸か不幸か先生に関する事故の調査を担当することになったのです。もし先生が犯罪を犯してしまっていたらと思うと胸が痛みました。」
「マリちゃんはずっと優しいのね。」
「先生のお陰です。今でこそ言えますが、先生のことをずっとお母さんとして見ていました。」
「そうだったのね。嬉しい。わたしはマリちゃんだけのことを、本当の子供のように見てたわ。ここだけの内緒ね。」
二人は永く永く、抱きしめ合い、長きに渡る苦しみや葛藤を感じ合った。
「先生はこの後、どうするのでしょうか。」
「そうね、わたしは自分とか自分の考え方を責め続けることをやめられたらいいな。そして、元気になったら、その時はまた、教壇に立ちたいと思います。」
冥界へと続く門が閉ざされた後も彼女たちは向かい合い、立ち続けた。
どこか遠くの方から、カメラのシャッター音が聞こえた、気がした。
家族 和埜 @nov__w
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