第19話 牡丹さんと宗冴くん②

 目を覚ますと、やたらと明るかった。

「……?」

 眩しさに瞬きをして無理やり目を開くと、カーテンが空きっぱなしだった。

 それで眩しかったのか。

 妙に納得して横を見ると、ベッドの中は空っぽだった。

 ボクサーパンツだけの自分を見下ろす。普段から裸で寝る習慣はないので、昨日あのまま寝てしまったのだということはわかっている。

 だがベッドの周囲を見回してみると、宗冴しゅうごが脱ぎ散らかした服も脱がした牡丹ぼたんの服も靴もない。玄関で靴も脱がさずに連れ込んだので、牡丹の靴もそこらへんに転がっていたはずだ。

 夢だったという疑いが脳裏をかすめたが、そこはすぐに打ち消した。

 片思い歴は長いがそこまでの幻覚を患うほどに拗らせていない。

 気まずくて帰ったかも?

 シャツとジーンズを身に着けて廊下に出る。階下に上がると、食事を作る良い匂いがした。

 考えるより先に身体が動いた。

 キッチンに駆け込むと、そこには牡丹がフライパンをふるっている姿があった。

「牡丹」

 心底ほっとして呼ぶと、牡丹は肩後にふりかえると

「おはよう」といつものように返事をする。

「なにやってんの?」

「朝ごはん作ってるの。昨日の夜から何も食べてないからお腹すいたでしょ」

 言われてみれば空腹だったが、牡丹と結ばれた多幸感で忘れていた。それでも卵やベーコンが焼ける匂いを嗅げば、途端に空腹が襲ってくる。

 料理をする牡丹をのぞき込みながら、あまりにもいつもと変わらない牡丹が少し意外だった。もっと、恥ずかしがったり気まずそうにしたりするかと思ったのだが。

 あまり意識せずになんとなく背後から抱きしめるように腕を回すと、

「ひゃあ!?」と、牡丹の身体が跳ねた。

 悲鳴というかしっぽを踏まれた猫のような声に、宗冴が目を丸くする。

 牡丹は自分の口を押えて、宗冴の様子をうかがうように肩越しに視線をよこす。

「ぉ、お料理している時に、悪ふざけしたら危ないから」

 どもりながら言い訳をして、宗冴の腕から離れようとする。

 普段通りにしようと頑張っていたのか、かわいい。

 ますます抱く腕をきつくしていると

「もー、宗冴くん、ふざけるのやめて!」と、軽く睨まれる。

 そんな顔をされたら、ますます離したくなくなるのだが、牡丹は男の気持ちがわかっていない。

「怒らないで、牡丹。ごめんね」

 耳元で囁くと、牡丹が身体をこわばらせる。

「……宗冴くん、それわざと?」

「何のこと?」

 笑みでうかべて答えると、牡丹は不満そうな顔をしたが、すぐに諦め交じりのためいきをついて肩を落とした。

「何か手伝うことある?」

「もうほとんどできているから……。あ、パン焼いてくれる?」

「わかった」

 トースターに二人分の食パンをセットしていると、牡丹がケトルに沸かしたお湯を準備していたドリッパーに注いでいる。

 コーヒーのいい香りが漂う。

「目が覚めた時さ」

「ん?」

「牡丹がいなかったから、帰ったのかと思って、ちょっとショックだった」

 そう言うと、牡丹はケトルを持ったままきょとんとしたが、すぐに少し困ったように微笑んだ。

「別に、悪いことしたわけじゃないもの。……あ、でも宗冴くんはいまだに未成年だし、華さんたちには申し訳ない気持ちでいっぱいだけど」

「? 別に母さんたち、関係ないだろ」

「んー……」

 牡丹が軽く眉根を寄せて、口元を押えている。

「ま、いいや。もう今更だもの。誰かに何か言われるとしたら大人の私の責任だしね」

「何それ」

 今更子ども扱いされてむっとする。だが、不機嫌な宗冴の顔を見ても牡丹は微笑むだけで、さらに頭を撫でられた。

「宗冴くんは何も心配することないよーって意味」

 優しく言われても嬉しくない。

 昨日はあんなに鳴いてかわいく宗冴にすがってきたくせに、急に大人ぶった顔をされても。

「さ、ごはん食べよっか。食事ができる前に宗冴くんが自分で起きてくれてよかった」 なんとなく面白くなかったが、テーブルに牡丹の作ってくれたおいしそうな朝食が湯気を立てているのに逆らえなかった。

 向かい合って座ると、「いただきます」と声を合わせて食べ始める。

 コーヒーを飲む牡丹はどこかけだるげで少し色っぽい。

 オムレツにフォークを差し入れながら

「身体、きつくない?」と、聞くと牡丹は途端にコーヒーを喉に詰まらせた。

 軽くむせながら、顔を背ける。

「大丈夫?」

 黙々とオムレツを口に運びながら聞くと、牡丹は口元を押えながらもごもごと呟く。

「急にそういうこと聞かないで」

「だって、だるそうだから」

 牡丹は平然としている宗冴に恨みがましい目を向けると、

「朝起きた時は、身体のあっちこっちが痛かったです!でもいまは平気」と、少し怒ったように答える。

「だいたい、宗冴くんは優しくするって言ったくせにっ」

「優しくしたよ。牡丹がいいって言うまで挿入るの我慢した」

「そういうことじゃなくて!もう無理って言っているのに、その後何度もしたし」

「牡丹がしがみついて離れないから、やめて欲しくないのかと思った」

 しれっといってから宗冴はコーヒーを一口飲んだ。

「だいたいずっとこじらせていた片思いがやっと両思いになった直後で、そんなに自制がきくわけないよ。俺まだ子供だし」

 さっきの意趣返しのつもりはなかったが、牡丹はむっとした顔して

「こんな時ばっかり」と、口を尖らせた。

 不満そうな顔のまま牡丹がフォークを手に取った時に、遠く機械音が響く。

 牡丹が珍しく食事中に中座しようとするので、意外に思って声をかける。

「何、洗濯?」

「うん、宗冴くんの服とか」

「今じゃなくても後でいいよ」

「でも、すぐに出した方が皺にならないし」

 いつもなら食事が優先という牡丹にしては本当に珍しい。

「飯食ったら自分でするからいいよ」

「んー、でも、まだ洗濯したいものがあるから……」

 何かをごまかすように笑う牡丹の顔に、宗冴が首をかしげる。洗濯物をため込んでいた覚えはなし牡丹の服もいま着ているし、他に何かあるのか。

「俺の服、だけだろ?」

 確認のつもりで聞くと、牡丹は目をそらした。

「なに?」

「えっと」

 牡丹はテーブルの上で指をからませながら、言いよどむ。

「あの、……シーツをね」

「シーツ」

「……昨日汚しちゃったから……その、宗冴くんが起きたら洗濯しようと思っていて」

 ガタンと音を立てて椅子を引くと、宗冴は立ち上がってすぐに部屋に向かった。

「え、ちょっと宗冴くん!?」

 牡丹が声をかけるのも無視して部屋に速攻で戻ると、毛布を勢いよくはいだ。

 赤というよりオレンジ色に近いシミが点々とついている。

 あんまり痛がってなかったし、すごく血が付いているとかなかったから、シーツを汚しているとは思っていなかった。

 改めて牡丹の初めてをもらったのだと感じて頬が緩む。

 深い考えがあったわけじゃないが、ラブホとか行かなくてホンットよかった。こんなものが拝める日が来るとは。

「もう、何見てるの! えっち!」

 後から追いかけてきた牡丹が、慌ててマットレスからシーツをはぎ取った。

「これは洗濯するから!」

「え、待って、勿体ない。とっておきた……」

「ヘンなこと言わないで。洗濯します!」

 食い気味に牡丹が言うのに、少しむっとする。

「へんじゃない」

 牡丹の手からシーツを取り上げると、腕を伸ばして牡丹から遠ざける。

「牡丹と初めてした記念だし」

「記念……!? ぁ、宗冴くん、返しなさい!」

「やだ」

 しばらく二人で揉み合っていると、牡丹が目を眇めて宗冴を見る。

「……なに、その眼?」

「宗冴くんって、ちょっと……ヘンタイっぽいところある?」

「は?」

小鞠こまりちゃんが言ってた。宗冴くんって堅物そうに見えるけど、ちょっとヘンタイっぽいところがあるかもしれないから気を付けてって」

 内心、ぎくりとする。

 隠し撮りコレクションのことは小鞠にほぼバレている。

 あの人は、いつの間にそんな余計なことを。

「その時はまた私のことからかおうとして変なこと言い出したんだと思ったけど」

「牡丹、それは」

 つい動揺して言い訳をしようとした瞬間に、ぴょんと飛び上がった牡丹にシーツを奪い取られた。

「あ」

 思わず声が漏れたが、もう遅い。

 さっと身をひるがえして宗冴から離れた牡丹が、ベーっと舌を出す。

「これは洗濯しますから!」

 トタトタと軽い音を立てて洗面所に向かう足音を聞きながら、宗冴は呆然とその姿を眺めていたが我に返って後を追う。

 脱衣所をのぞくと牡丹がすでに洗濯機を回していて、乾燥まで終わった宗冴の服やタオルを抱えてリビングに移動するところだった。

「あの、牡丹」

「なあに?」

 そっけなく答えながらリビングに向かう牡丹の後ろをのこのことついていく。

「さっきの、小鞠さんの」

「ん?」

「俺に、変態っぽいところがあるって話」

「ぁあ」

 ソファの上に洗濯物を置いて、さっさと畳んでいく。その牡丹の顔色をうかがいながら、宗冴は隣に腰掛けた。

「私に内緒で私の写真たくさん持っているって」

 小鞠さん……っ!

 確かに口留めはしなかったけど、ああいう場合は口留めまでが料金内じゃないのかよ!?

 思わず心の中で叫んだが、後の祭りだ。

「えっと」

 気持ち悪い? 幻滅した? 処分してほしい……は、言うだろう、多分。

 以前、コスプレ写真を撮った時に、めちゃくちゃ怒って削除させたからな。

「……怒ってる?」

 つい自分のメンタルを守るために、一番ソフトな言葉を選んでしまった。

 牡丹はたたみ終わった洋服を抱えてじっと宗冴を見上げた。

「怒ってはいないけど、どうして隠れて写真撮るのかなって思ってる」

「……え?」

「写真を撮るなら、変なところ撮ってほしくないし。それにどうせなら一緒に撮ったらいいじゃない。私だって、宗冴くんの写真欲しいし」

 そう言って宗冴の手の中に畳んだ洋服を押し付ける。

「そういえば、言われた時も思ったんだけど、写真たくさん持っているのってヘンタイっぽい? 私はアイドルのファンみたいだなって思ったんだけど」

「……コアなアイドルファンって気持ち悪いと思っているんじゃないかな、小鞠さんは」

「そっか。さ、ごはん、食べちゃお」

 そう言って食卓に戻っていく牡丹の後ろ姿を眺めながら、がっくりと肩を落とす。

 意味がわかっていないのは幸いだった。

「天使かよ、牡丹」

 畳んでもらった服に顔をうずめて、宗冴はたまらずに呟いた。


***


 休日の昼下がり。

 5月の連休前だというのに、すでに連休が始まっているかのように人が多い。

 オープンカフェでお茶でもしようと久しぶりに小鞠に誘われて、牡丹も買い物に付き合ってもらおうと出かけてきたのだ。

 いろんな店を冷やかしながら、散々歩いて目当ての物を買い、小鞠が行きたがっていたオープンカフェに腰を落ち着けた。

 少し日差しが強い日だったが、木立がちょうどよく影を作る涼し気な席に案内された。

 初夏のような暑さだったが、なかなか快適だ。

「小鞠ちゃん、この時期って忙しくなかったっけ?」

「今回はいいの。5月の大型イベント合わせるのやめたから。そんなことより」

 小鞠は口の端をあげて笑う。

「どうですか、人生初彼氏は?」

 目をキラキラと輝かせて前のめりになる小鞠に、牡丹は若干引き気味になる。

「……小鞠ちゃん、おじさんみたいよ」

「おじさんみたいにもなるさぁ、どう? 宗冴くんは? 彼氏としてはかっこいいのはわかっているけどどんな感じ?」

「どんな感じっていわれても」

 牡丹は苦い顔をしてアイスカフェオレのストローを口にくわえた。

 一口飲んでから、思い出すようにして指を折る。

「宗冴くん、大学始まったから授業とバイトですごく朝早く出かけて遅くに帰ってくるよ。忙しそう」

「え? それじゃ会えてないの」

「そんなこともないけど。相変わらずご飯食べに来るし」

 頬杖をついた小鞠が詰まらなそうな顔をする。

「なんだぁ。それじゃデートもできないし。基本的に何も変わんないじゃない」

「そうだね。あんまり何も変わってないかも」

 牡丹が言うと、小鞠が少し意外そうな顔をする。

「……嬉しそうな顔。それってどういう感情?」

「え、嬉しそうな顔していたかな」

 牡丹は自分の頬を押さえてから、眉尻を下げる。

「実際のところは全部今まで通りってわけじゃないんだけど、でも、私が不安に思っているようなことは何もなかったなーって」

「不安?」

「うん。宗冴くんに好きって言われた時は、本当にグランドクロスって気分だった」

「おーげさ」

「だよね。今ならそう思う」

 小鞠が呆れたように肩をすくめるのに、牡丹も苦笑する。

「とりあえず仲良くやっているならよかったよ」

 アイスコーヒーを飲みながら、小鞠が言う。

「ありがと」

「避妊だけはきっちりしてね」

「……一応、ありがとうって言っておくね」

「おすすめのゴム紹介しようか?」

「宗冴くんが用意してくれているから大丈夫。っていうか、小鞠ちゃん本当におじさんみたいだからやめて!」

「ごめんって。牡丹、かわいいから揶揄いたくなるのよ」

 ケラケラと笑う小鞠が、ふと視線をあげる。

「お、噂をすれば」

 小鞠の視線の先を見ると、長身の青年がウェイターに何か話しかけている。

「宗冴くん」

 牡丹が軽く腰を浮かせて手を振ると、宗冴はすぐに気が付いてこちらに来た。

「おっす、久しぶり」

「どうも、ご無沙汰しています」

 礼儀正しく挨拶する宗冴に、牡丹がメニューを見せようとする。

「何飲む?」

「こらこら。ここでゆっくりしている暇ないでしょ。これから水族館だっけ?」

 小鞠が言うと、牡丹が少しがっかりしたような顔をする。

「え、でもせっかくだから少しは3人で……」

「何言ってんの、せっかく忙しい恋人が迎えに来たんだから、とっとと行く」

 そっけなく急き立てる小鞠に、牡丹は「えー」と不満そうな声を漏らす。

「まだ時間に余裕がありますけど」

 宗冴がそういうと小鞠が呆れたように、長身を見上げた。

「あんたたち普段から結構会っているみたいだけど、二人きりになってないじゃないの? こういう時くらいは、さっさと二人きりになりなさいよ」

 ほら行った、行った、と、ひらひらと手を振るのに牡丹と宗冴が顔を見合わせる。

 牡丹は諦めたように

「わかった。じゃ、小鞠ちゃん、ここはおごるから。また連絡するね」と、席を立った。

「ごちそうさまー」

 いろんな意味でね、と小鞠は心の中で呟く。

 宗冴と牡丹がカウンターで会計をし、店を出ていくのをなんとなく眺める。

 ほとんど何も変わらないとは、思うは本人ばかりなりって感じ。

 小鞠は幸せそうに笑いながら歩いていく可愛らしい友人と、その隣でこれまでに見たこともないような柔らかい表情を浮かべるイケメンの青年をみてため息をついた。

「距離感どころか、何もかも違うやん。雰囲気ゲロ甘」

 思わず声に出していた。

 弟の犀や身近な人たちは日々、さぞや目のやり場に困っていることだろう。

 そう思うと、ちょっと彼らの日常とやらを覗いてみたくなる。

 次はいつ宿木家に遊びに行こうかと、スマホを取り出してスケジュールアプリを立ち上げた。

 人の不幸は蜜の味なんていうけど、友人の幸福だってなかなかの蜜だと思う。

 推しカプを見る気持ちに似ているかな、と小鞠はにんまりと微笑んだ。


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牡丹さんと宗冴くん 伍紀 @nishinaitsuki

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