副官の八つ当たり/Liellie's Shooting Star

ウツユリン

アークビー・スポーツセンター

 中西部特有の、乾燥した昼間の熱が残った土は、まだ温かい。

 夕焼けに照らされた乾いた大地へ手を突いて、リエリーはそう思った。

「――いっ……」

 刹那、その指先へ意識を集中、身体中を駆けるピリピリした感覚――ユニーカ行使の感触を覚えながら、リエリーは土壌中の水分をかき集めるイメージで"たま"を握り込む。

 そうしてすくい上げた一握りの、足元の土をユニーカの力で瞬時に硬化させ、振りかぶった腕から一直線に放り投げた。

 狙いは当然、小生意気に夕空を背負って飛翔するドローン――〈シュードッジ〉のまと、このスポーツの得点源だ。

「けぇええっ‼」

 リエリーのユニーカによって、球技で使用される通常のボールの硬さをはるかに超えて、岩石ほどの硬度を得た土のボール。それが重力を振り切り、増加した質量を伴い、空気力学を無視した空飛ぶまとを照準に捉える。直撃すれば、得点を示すプロジェクターもろとも木っ端微塵になりかねない威力だ。――が、そんなことは投球した張本人、リエリーの知ったことではなかった。

「あたしが——っ」

 すでに、リエリーは土まみれの手をもう一度、ぬくもりの残る大地へ差し入れて、次なる"球作り"に進んでいる。その、アビエイターグラス――古風な大ぶりのサングラスに隠された青色の瞳は、空を舞う標的を眼中へ入れていない。

 あるのは、ふつふつと湧き上がる理不尽への怒りだけだった。


 ——救助活動中に要救助者が死亡する。

 それは絶対に防がねばならない事態だし、そうならように全力を——死力を尽くして、救助活動を遂行するのが仕事だ。突き詰めれば、リエリーたち〈国際災害救助機構〉・救助体レンジャーの存在意義そのものと言っていい。

 負傷者を保護し、失われゆく命をつなぎとめる。

 ——だが、それでも命は、するりと手からこぼれ落ちていく。

 ——今日、出動したリエリーの手の中で、静かに息を引き取ったあの子がそうだ。


 救えるはずの命だった。

 実際、リエリーが愛機の救助艇〈ハレーラ〉を現場へ到着させたとき、状況は悪化していなかった。

 いつも通り、中空から飛び降りた"戦錠せんじょう"セオークが真っ先に駆け、破壊の暴風を生みだした保護対象者ゲスト——ユニーカ使いを一撃必殺の拳で無力化。追ってすかさず、副官ヴァイスのリエリーは〈制装ユニフォーム〉を保護対象者ゲストへ羽織らせ、〈着衣ドレスコード〉を敢行した。

 リエリー自身も胸を張る、鮮やかなまでのコンビネーション。

 チーム〈CL〉の戦錠せんじょう副官ヴァイスが、もっとも得意とする電光石火の神業だ。

 そのときまで負傷者は、出現したユニーカ使いの最初の暴走による"石つぶて"を浴びた数人で、各人のバイタルを上空から把握した限り、どれも軽傷だった。が、容体をじかに確認しなければ、確たることはわからない。そこでリエリーは自身の降下を見計らい、大型トレーラーほどもある〈ハレーラ〉を、負傷者たちの盾になるよう着陸させていた。

 ——それがあだとなった。


 負傷者の中に親子連れが一組、いたことは把握していた。

 子をかばうようにして、抱きしめていた母親。

 その背中にリエリーは、チクリと痛む胸を感じたものの、安堵のほうがまさった。母親の背に小さな赤いシミがあったのも、リエリーの意識は捉えていた。——が、つい、大丈夫だろうと、楽観視してしまった。

 ——母親ではなく、子の状態を確認しないままに。

「——」

 ——甲高い悲鳴が昼下がりの街を貫いたのは、そのときだった。


 球が、当たらない。

 プロリーグのプレイヤーには遠くかなわないと自覚していても、救助活動の合間にちまちま、練習してきた投球の正確性になら、自信があった。

 それが、ことごとくまとを外し、藍色へ染まっていく空のあらぬ方向へ、手製の球が散っていく。

「くっそっ……」

 不必要に力みすぎて、傷める寸前まで酷使した腕。その両手をついに大地へ突っ伏し、リエリーは嗚咽をこらえる。

 悔しさと、不甲斐なさと、自己嫌悪が、ちっぽけな割に図体ばかり大きい、リエリーの救助体レンジャーとしての矜恃きょうじとがせめぎ合い、その涙をこぼす許可を与えない。

『——鍵っ子KK? ボクだけど』

 ふいに、首元から——えんじ色のネックウォーマー型通信機から、そんな飄々と渾名あだなを呼ばれ、リエリーは閉じたまぶただけを開く。

「なに? 狂医者マッドドクター」と、同じく渾名をぶっきらぼうに呼び返した。

『まったく、こんなときでも口だけは減らないよね。——で、昼に搬送してきた保護対象者ゲストのことだけど、聞く?』

「死んだのかっ⁈」

『逆よ』

「——っ」

『鎮静剤がきいて、いまバイタルも安定。ひとまず、とうげは越したよ。——こっからは、長い長い眠りの時間ね』

 通信越しの医師の言葉だけ聞けば、喜ばしい一報のはずだった。

 ——が、聞いたリエリーの表情は、先よりも、暗い。


 子が傷つけられることを、親はもっとも恐れる。

 怪我の大小にかかわらず、かすり傷ひとつでも子が負えば、それだけで一大事だ。

 だから、負傷者の親子連れの母親は、息子の腕から赤い筋が流れているのを目の当たりにし、パニックになった。

 失う、恐れ。

 傷つけられた、哀しみ。

 その感情たちは容易に"トリガー"となり、人の心を強く、激しく、揺さぶって刻まれたスイッチを引き返せない位置へ、引いてしまう。

 そうして、副官ヴァイスのリエリーとは比べものにならないほど、鋭い勘を有したセオークが血相を変えてとっさに駆けたとき、追いついたリエリーの前で、保護対象者ゲストは黒い体躯たいくをアスファルトへ倒していた。

 その、足元に横たわる小さな人影は微動だにせず。

 小さな彼の手を握ったとき、あどけない顔はリエリーへこう言葉を残した。

 ——おかあさんを……たすけて。

 その願いを、リエリーは無事、叶えた。


「——助け、られなかった」

『……子どもは残念だったわ。あの子の狼体は、ちかくの国立グレートスーベン天狼域へ生還済み。さっき、自然保護官パークレンジャーへ確認したわ』

「あたしが……あたしがもっと早く、気づいていたら、ふたりが離れ離れになんか——」

『——会えるわよ、きっと』

 懺悔さんげを遮る、無根拠で無責任な言葉。

 けれど、普段、どこまでも合理的で冷徹とさえ言える、この付きあいの長い医師の口から出た希望的観測にパッと、リエリーの顔が跳ね上がる。

 夕陽はとうに大峡谷の谷へ沈み、天を刺すような凹凸の地形が、続く星空の訪れを待ち構えている。

「……適当なこと言うなッ。黒狼化した人は、もう元にもどらない。目が覚めることもないんだっ。あんたがいちばん、わかっているだろッ!」

『そのとおり。専門医でこの分野の権威たるボクには、ただ事実を並べることしかできないわ。だから可能性のある事象を、ボクは言っただけよ。かなり少ないけど、目覚めて日常生活へ復帰した例も、なくはないんだし』

「そんなの、奇跡みたいなもんじゃないかっ」

『キミ、救助体レンジャー、なんでしょ? ちまたじゃあ、救助体レンジャーのこと、"希望の象徴"って呼んでるそうじゃないの。そのキミが、奇跡に希望をもたないでどうすんの』

「——」

 都街とかいから離れた、小さなモーテル街・アークビー。

 そのさらに端へ位置する屋外グラウンドで、伏せるリエリーの頭上を、遮る雲のない辰宿しんしゅくがまたたいている。

 死した者は、星となって夜空を飾る。昔、リエリーの読んだおとぎ話に、そう書いてあった。

 現実はそうじゃない。

 死する者は狼体へ姿を変え、草原へ還るが、黒狼化した者はちがう。

 その果てにあるのは、無。自己が完全に消失し、虚空へと解けるだけだ。

 ならば、少なくとも今は——まだ無へ帰していない今は、望みを持つべきかもしれない。

 ——少なくともまだ、星にはなっていないのだから。

『——ま、ボクは後学のために、〈逆変異〉した者を見てみたいだけだし。希望でメシが食べられるキミたちはなんというか、お気楽というか、ロマンチストていうか?』

「うるさい、狂医者マッドドクター。権威だってんなら、保護対象者ゲストをしっかり見とけ」

『言われなくとも診てるよ、鍵っ子KK

「だからそうよぶなっ」

 満足そうに鼻を鳴らし、相手のほうから通信が切られる。すっかり暗くなった辺りには、どこか食欲をそそる風が吹いてきていた。ここから見下ろせる街の中心には、点々と夕食時の灯りがついていて。

「……なんだよ。またあの狂医者マッドドクターか……?」

 リエリーが、一時停止状態で着陸していたドローンたちを回収していると、ふいにまた、通信機が鳴りだした。

 が、今度の声は情緒たっぷりに話しかけてきて。

『遅くなってごめんねー、エリーちゃん。ご飯できたわよー。きょうはスペシャルメニューよ?』

「ルー。それ、なんとなくわかったんだけど」

『マジマジ? 当ててみて。当たってもなーんにもないけど』

 底抜けに明るい、リエリーがこれまでの人生でもっとも聞いただろう、耳馴染みの声。

 その、明らかに気づかいを見せない素振りが、今のリエリーには少しだけありがたい。

「——すぐ帰るから」

 踵を返し、帰る家のある方向へ歩き出す。


 リエリーの頭上を、一条の流れ星が駆け抜けていった。


《了》

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