副官の八つ当たり/Liellie's Shooting Star
ウツユリン
アークビー・スポーツセンター
中西部特有の、乾燥した昼間の熱が残った土は、まだ温かい。
夕焼けに照らされた乾いた大地へ手を突いて、リエリーはそう思った。
「――いっ……」
刹那、その指先へ意識を集中、身体中を駆けるピリピリした感覚――ユニーカ行使の感触を覚えながら、リエリーは土壌中の水分をかき集めるイメージで"
そうしてすくい上げた一握りの、足元の土をユニーカの力で瞬時に硬化させ、振りかぶった腕から一直線に放り投げた。
狙いは当然、小生意気に夕空を背負って飛翔するドローン――〈シュードッジ〉の
「けぇええっ‼」
リエリーのユニーカによって、球技で使用される通常のボールの硬さをはるかに超えて、岩石ほどの硬度を得た土のボール。それが重力を振り切り、増加した質量を伴い、空気力学を無視した空飛ぶ
「あたしが——っ」
すでに、リエリーは土まみれの手をもう一度、ぬくもりの残る大地へ差し入れて、次なる"球作り"に進んでいる。その、アビエイターグラス――古風な大ぶりのサングラスに隠された青色の瞳は、空を舞う標的を眼中へ入れていない。
あるのは、ふつふつと湧き上がる理不尽への怒りだけだった。
——救助活動中に要救助者が死亡する。
それは絶対に防がねばならない事態だし、そうならように全力を——死力を尽くして、救助活動を遂行するのが仕事だ。突き詰めれば、リエリーたち〈国際災害救助機構〉・
負傷者を保護し、失われゆく命をつなぎとめる。
——だが、それでも命は、するりと手から
——今日、出動したリエリーの手の中で、静かに息を引き取ったあの子がそうだ。
救えるはずの命だった。
実際、リエリーが愛機の救助艇〈ハレーラ〉を現場へ到着させたとき、状況は悪化していなかった。
いつも通り、中空から飛び降りた"
リエリー自身も胸を張る、鮮やかなまでのコンビネーション。
チーム〈CL〉の
そのときまで負傷者は、出現したユニーカ使いの最初の暴走による"石つぶて"を浴びた数人で、各人のバイタルを上空から把握した限り、どれも軽傷だった。が、容体を
——それが
負傷者の中に親子連れが一組、いたことは把握していた。
子を
その背中にリエリーは、チクリと痛む胸を感じたものの、安堵のほうが
——母親ではなく、子の状態を確認しないままに。
「——」
——甲高い悲鳴が昼下がりの街を貫いたのは、そのときだった。
球が、当たらない。
プロリーグのプレイヤーには遠く
それが、ことごとく
「くっそっ……」
不必要に力みすぎて、傷める寸前まで酷使した腕。その両手をついに大地へ突っ伏し、リエリーは嗚咽を
悔しさと、不甲斐なさと、自己嫌悪が、ちっぽけな割に図体ばかり大きい、リエリーの
『——
ふいに、首元から——えんじ色のネックウォーマー型通信機から、そんな飄々と
「なに?
『まったく、こんなときでも口だけは減らないよね。——で、昼に搬送してきた
「死んだのかっ⁈」
『逆よ』
「——っ」
『鎮静剤がきいて、いまバイタルも安定。ひとまず、
通信越しの医師の言葉だけ聞けば、喜ばしい一報のはずだった。
——が、聞いたリエリーの表情は、先よりも、暗い。
子が傷つけられることを、親はもっとも恐れる。
怪我の大小にかかわらず、かすり傷ひとつでも子が負えば、それだけで一大事だ。
だから、負傷者の親子連れの母親は、息子の腕から赤い筋が流れているのを目の当たりにし、パニックになった。
失う、恐れ。
傷つけられた、哀しみ。
その感情たちは容易に"トリガー"となり、人の心を強く、激しく、揺さぶって刻まれたスイッチを引き返せない位置へ、引いてしまう。
そうして、
その、足元に横たわる小さな人影は微動だにせず。
小さな彼の手を握ったとき、あどけない顔はリエリーへこう言葉を残した。
——おかあさんを……たすけて。
その願いを、リエリーは無事、叶えた。
「——助け、られなかった」
『……子どもは残念だったわ。あの子の狼体は、ちかくの国立グレートスーベン天狼域へ生還済み。さっき、
「あたしが……あたしがもっと早く、気づいていたら、ふたりが離れ離れになんか——」
『——会えるわよ、きっと』
けれど、普段、どこまでも合理的で冷徹とさえ言える、この付きあいの長い医師の口から出た希望的観測にパッと、リエリーの顔が跳ね上がる。
夕陽はとうに大峡谷の谷へ沈み、天を刺すような凹凸の地形が、続く星空の訪れを待ち構えている。
「……適当なこと言うなッ。黒狼化した人は、もう元にもどらない。目が覚めることもないんだっ。あんたがいちばん、わかっているだろッ!」
『そのとおり。専門医でこの分野の権威たるボクには、ただ事実を並べることしかできないわ。だから可能性のある事象を、ボクは言っただけよ。かなり少ないけど、目覚めて日常生活へ復帰した例も、なくはないんだし』
「そんなの、奇跡みたいなもんじゃないかっ」
『キミ、
「——」
そのさらに端へ位置する屋外グラウンドで、伏せるリエリーの頭上を、遮る雲のない
死した者は、星となって夜空を飾る。昔、リエリーの読んだおとぎ話に、そう書いてあった。
現実はそうじゃない。
死する者は狼体へ姿を変え、草原へ還るが、黒狼化した者はちがう。
その果てにあるのは、無。自己が完全に消失し、虚空へと解けるだけだ。
ならば、少なくとも今は——まだ無へ帰していない今は、望みを持つべきかもしれない。
——少なくともまだ、星にはなっていないのだから。
『——ま、ボクは後学のために、〈逆変異〉した者を見てみたいだけだし。希望でメシが食べられるキミたちはなんというか、お気楽というか、ロマンチストていうか?』
「うるさい、
『言われなくとも診てるよ、
「だからそうよぶなっ」
満足そうに鼻を鳴らし、相手のほうから通信が切られる。すっかり暗くなった辺りには、どこか食欲をそそる風が吹いてきていた。ここから見下ろせる街の中心には、点々と夕食時の灯りがついていて。
「……なんだよ。またあの
リエリーが、一時停止状態で着陸していたドローンたちを回収していると、ふいにまた、通信機が鳴りだした。
が、今度の声は情緒たっぷりに話しかけてきて。
『遅くなってごめんねー、エリーちゃん。ご飯できたわよー。きょうはスペシャルメニューよ?』
「ルー。それ、なんとなくわかったんだけど」
『マジマジ? 当ててみて。当たってもなーんにもないけど』
底抜けに明るい、リエリーがこれまでの人生でもっとも聞いただろう、耳馴染みの声。
その、明らかに気づかいを見せない素振りが、今のリエリーには少しだけありがたい。
「——すぐ帰るから」
踵を返し、帰る家のある方向へ歩き出す。
リエリーの頭上を、一条の流れ星が駆け抜けていった。
《了》
副官の八つ当たり/Liellie's Shooting Star ウツユリン @lin_utsuyu1992
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます