人混みが苦手な訳

きと

人混みが苦手な訳

 目の前に広がるビル街。幾重いくえにも重なり、さわがしい車の音。

 そこを歩く、大勢の人、人、人。

「いつ来ても、すごい人混みだな……」

 久しぶりに都会にきた俺は、その人混みに飲み込まれそうになる感覚を覚えながら、つぶいた。

 その声を気に留める人など、当然ながらいるわけがない。

 他人は他人。自分が気に留めるのは、自分自身とそれに関わる人だけ。

 必要以上に人と干渉したくない人にとっては、ある意味では都会というのは心地ここちよいのかもしれない。

 全く、必要な行政手続きがあるからということだから、仕方なく都会に出てきたが、この人混み。

 人混みが苦手な俺からしては、とてつもない苦痛だった。

 自分が住む田舎から電車での移動中、乗客がどんどんと増えていくだけでもソワソワしていたというのに。

「……さっさと移動するか」

 ここで突っ立っていたってしかたがない。さっさと行って、さっさと用事を済ませてしまおう。

 そうして、俺は人混みに入っていく。

 なんだか、誰かが俺を見ている気がして、やはり落ち着かない。それに、俺も周りが気になってチラチラ辺りを見てしまう。

 歩いて十分程で、目的地に着いた。この時点で、大分気疲れしていた。

 手続きの順番待ちで、またしても人混みの中で待つことになる。

 貰った整理券の番号とカウンターの上部に表示されている番号を照らし合わせてみると、俺の番まであと十人はいるようだ。

 思わず、ため息をついき、何脚なんきゃくも並んでいる長椅子の一か所に座る。

 周りからは、人の視線と声を敏感びんかんに感じる。

 こんなことなら、イヤホンを持ってきて音楽でも聴いて、少しでも人がいる感覚をごまかせばよかった。

 目を閉じて、視界から他人を消す。

 ……俺は、人混みが苦手だ。

 なぜなら、人は誰しもが、狂気を隠し持っているからだ。

 テレビや新聞で殺人事件が起こった時。

 インタビューでよく聞くことはないだろうか?

 あんなに真面目で心優しい人だったのに。こんな事件を起こすなんて信じられない。

 その言葉を聞くたびに、俺は思う。

 それはそうだろう、と。だって、常に殺意を隠さない人など、その時点で警察のお世話になるかもしれないし。いや、病院のお世話にか?……どちらでもいいか。

 誰かを殺したい。誰でもいいから危害を加えたい。どこでもいいから火をつけてみたい。

 大それたものでなくでも、少し悪いことをしてみたい。

 そんな狂気を誰もがひた隠しにしながら暮らしているのだ。

 正常な自分を演じているだけなのだ。

 犯罪を犯してしまった人は、その狂気を抑えられなかっただけなのだ。

 罪を犯す可能性を誰もが持っている。

 それに気付いている人が少ないというだけの話だ。

 そして、俺はそのことに気付いている。

 いつ、どこで、誰が抑えている狂気を爆発させるか。

 それが全く分からない状況で、どうして落ち着くことができるのだろう?

 そんな状況で、どうやって楽しく買い物や映画を楽しむことができるのだろう?

 人混みの中で笑顔でいる人は、その笑顔がいつ壊されるのか、理解していないのだ。

 そして、誰かの笑顔を壊す可能性が、自分にもあるということも、分かっていない。

 だからこそ、俺は人混みが苦手なのだ。

 そんな考えを巡らせていると、俺の番号が呼ばれる。

 そこそこの時間を待っていた割には、手続きにかかった時間はわずかな時間だった。

 なんだかもやもやした気持ちになるが、まぁ、いい。さっさと駅に戻って、自宅に帰ろう。

 建物を出て、来た道を戻る。

 俺は、いつ狂気を爆発させるかも分からない人々の間をすり抜けていく。

 そして、恐怖と戦いながら、電車に乗り込んだ。

 はじめこそ電車も人が多かったが、俺の目的地に近ずくにつれて、人は少なくなっていった。

 俺は、深く息を吐いた。

 ああ、これでやっと落ち着ける。

 いつ自分の身に危険がやってくるかわからない恐怖から、解放される。

 そう、人は皆、いつ爆発するかも分からない狂気を隠し持っているのだ。

 皆、その狂気を上手く隠して、正常な自分を演じているだけなのだ。

 当然ながら、俺にも狂気はある。そして、それを隠している。

 一週間前。

 事故として処理されたあの事件は。

 介護に疲れた俺が、親父を階段から突き落としたあの事件は。

 

 だから、俺は、人の狂気が爆発したときの恐怖を知っている。

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