【10-7】
◇◇◇
今回、実は同時に二件の依頼が入っていた。
一件目は何事もなく、先ほどの撮影で終了。納品の日までにはまだ時間があるので、現像の作業は別日に行うことにする。同日に二件の仕事をハシゴする考えは断念した。段々と日の傾きが早くなる季節だからだ。朝はのろのろと顔を出していた太陽が、午後になった途端動きをを倍速にする。あっという間に夕方。午後四時にもなれば、特にそう感じられた。街は薄ら白い橙に染まり、端から夜が染み込んでいく。
それに。
「あぁ、意外と遠いんだな」
指定された場所を調べた時は少しばかり驚いた。大抵の仕事は徒歩か電車で済む範囲のものが、今回は新幹線を用いるような距離だった。乗った経験はあるけれど、代行の仕事で使用するのは初めてかもしれない。
夜行バス、という手もあったのだが、依頼人から新幹線の切符を持たされてしまった。「依頼したのはこちらだし、せっかくだから」と。善意を断るわけにもいかず、日付指定のそれを受け取った。
というわけで、今日。人と音のざわめく駅にやってきた。
「あっ! すみません!!」
「いえ、こちらこそ」
何度交わしたか分からない会話を繰り返す。
同じように微笑んで、相手方から気遣うような空気感が返ってきて。一旦壁際に寄ろうにも、黄色の凹凸ブロック一直線で伸びた道は、朝香にそこまで示してくれない。
壁際に寄るまでにまた人とぶつかるだろうな、と思いながら、しかし何とか実行に移す。
「レン」
袖を軽く引く影がある。
彼は朝香を時折振り返りながら、多少人の疎らな位置まで誘導してくれた。前までは明がいた。レンが姿を現して、写真撮影以外の行為でここまで明確に手を貸してくれることも珍しい。
「……気を遣わせたね、ありがとう」
「……」
ふるふる。首が横に振られる。
閉じた世界の暗闇は、見えない壁に挟まれている感覚に似ていた。上下左右。奥行き。色合い。それらの概念が無い中は、途方もなく広く果てないように思えるけれど、実際は窮屈だ。音が壁となって自分のすぐ傍に立ちはだかっているし、「あの香りのする方へ」と歩き出せば、ひどく細い道一本の上のみしか歩けないような気分になる。
どこまでが自分の行っていい場所なのか。
どこまでが地続きか。
昔からそうだった。それでも、霊的な存在が見えるだけで十分過ごしやすいけれど。
革靴の音。スーツケースのタイヤ。誰かと電話をしながら遠ざかる声。駅弁の客引き。お手洗いの案内音声。駅のアナウンス。改札を開く電子マネー。電車の近付く轟音。壁が、床が、屋根が。さらに反響させて、音の全ては「ゴウゴウ」という渦潮と化す。
少し気を抜けば足を取られそうな場所は、どうにも動きにくい。
流石は都会圏の大きな駅と言ったところか。新幹線に乗るために電車でここまで来たが、写真館の最寄り駅とは大きく違う。
「……」
虚空にただ一人浮かんだレンは、耳元に顔を寄せてきた。
懐古か。思わず漏れた言葉なのか。朝香は苦く笑う。
「仕方ないよ。今『いたら』なんてことを考えても……大丈夫。次第に慣れると思う」
付喪神の表情が視える。ただ一人だけ。
ただ一人だけ、見えるからこそ明瞭に。その変化が微々たるものだったとしても。……レンは確かに、一瞬寂しそうな色を過らせた。
「見えない」人間でも、「見ないフリ」が出来るものだ。
「この目にも慣れたのだし」
──プルルルルルルル。
どこかのホームで、新幹線の発車を知らせるメロディーが歌う。
じゃあね、と叫ぶ小さな子どもの声がした。雑踏にも負けず響いた。誰かの見送りだろうか。親の出張か友人の転居か。見えない世界で紡がれたこと。朝香には少しも推し量ることが出来ない。別れの挨拶に、涙を伴った震えが滲んでいたことくらいしか。
想いを乗せて、又は想いを残して、車輪の音は遠ざかった。
小さな子どももまた、次第に「慣れる」だろうか。
レンに見つめられている。
「そろそろ行こうか」
声を掛けて歩き出そうとした時。
朝香は微かに驚いたような顔を浮かべた。
「……こんにちは。いつからそこにいらっしゃったのですか?」
自分の足元に、一人の少女が蹲っていた。
先程まではいなかったはずだ。全く気が付かなかった。
「あぁ……良かった。やっぱり私のこと視える人かの? 視えてるかの?」
少女がこちらを見上げる。
見た目の年齢はユウと同じくらいだろうか、十代後半に見える。透き通るような白肌に黒髪がよく映えていた。そんな黒髪は、後ろに髷として結わえられ、花の簪。首から上だけ見れば江戸時代期の浮世絵に見られる女性にも似ている。が、服装は「どこの北国から来たのか」と尋ねたくなる程に厚着だった。フードが三つ後方から覗いているため、少なくとも三重は着ている。そのおかげで、一番外側はもこもこダッフルコート。完全にちぐはぐだ。
そして、こうして朝香の目に映っているということは……霊的な存在。
「私は……私は
「迷いますよね、広いですから。行先はどちらですか? 僕が駅員さんに聞いてくることが出来ますが」
よくよく彼女を観察してみる。
人間でないのは分かるが、それ以上の分析が出来なかった。幽霊、ではない。どういう存在なのだろう。人には見えないというのに、わざわざ公共交通機関を使用する辺り、律儀な人柄をしている。
少女は、溜息に混ぜながら告げた。
「もっと南の方へ」
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