【10-6】
ただ一言。
『消えた。同じ学校で二人座敷童をすることも可能だったが、彼奴は「自分の守ってきた校舎と共にありたい」と言った。……統合後の学校校舎として選ばれたのはこちらで、あちらはその後取り壊されると決まっていたから』
建物と運命を共にしたいと。
最後まで、そう思った。
その座敷童もまた、存在してきた場所を捨てられなかった。新しい土地が悪いわけではない。ただ古い場所が静かに消え行くのを受け入れられずに。
『彼奴の心中、察するに余りある。尊重し、「分かった」と言えば、あいつは笑った。「子どもたちをよろしく」と。……君、その場所に「存在する」ということは、その居場所を「守り」またその居場所に「守られる」ということだ』
「こんにちは! キタさんと話してるんですか?」
突然後ろから話しかけられて、反射的に肩が跳ねる。
振り返る。声の位置から、恐らくここだろうという位置まで視線を運ぶ。
「あれ、お兄さん目が見えない? ごめんなさい!」
「いや、大丈夫だよ。君は……ここの生徒?」
「はい! 今そこで体育してました」
「抜け出して大丈夫なの?」
「あとはフリータイムなので!!」
「ちょっとかのんちゃん!! 鬼ごっこするよ~!」
「誰? その人」
何だか人数が増えてきたようだ。わらわらと、聞き取れる言葉が疎らになってくる。話しかけてきた少女──名前は「かのん」だろうか──が他の生徒と話している隙に、一瞬だけ石像を見やった。
しかし、キタサンはいつの間にかいなくなっている。
「写真を撮っていたんですか?」
そしてこれまたいつの間にか増えていた少年の生徒に話しかけられ、笑った。
「うん。ちょっと、用があってね」
「あ! もしかして昌平くん!?」
ある生徒は、全く淀みなくその名前を口にした。気を遣う様子も、冷たさも呆れもなく。ただ一人のクラスメートを呼ぶ声で。
「先生から聞いた! 昌平くんのためにカメラマンが来てるって」
「カメラマン……は少し大袈裟かな」
苦笑したが、子どもたちはそんなことお構いなしに、くいと朝香の服の袖を引っ張った。慌てて、引かれていない方の手でカメラを抑える。宙ぶらりんになって、どこかにぶつけてはいけない。
いつの間にか四方を囲まれているらしい。見えないけれど、雰囲気で悟る。
「行こ!」
「オススメの場所、案内するよ!」
「あそこ撮ってほしくね?」
「統合して建物も改装した後だから、校舎キレイなんだよね―」
口々に言う彼らを振り切ることはできない。
寧ろこの親切に甘えるべきか、と思った。
(確かに、実際の子どもたちに聞いた方が良いのかもしれない)
学校の何もかもを知っているキタサンと。
今の時しか知らない子どもたち。
しかし今一番写真で切り取るべきは、些細な「現在」なのだから。
「あ!! 待って待ってストォォォップ!!」
「わ」
「何」
「お兄さん、肝心のキタさんは撮った?」
生徒の言う「キタさん」とは、彼が依り代にしていた石像……という認識で良いのだろうか。首を横に振ると、「じゃあ!」と子どたちが賑やかさを増す。
「キタさんは撮った方がいいよ、おすすめ!!」
「うちの学校を見守ってくれてるらしくて」
「『キタさんに向かって悩みを話すと、気持ちが楽になる』って前から信じられてるんだよな」
「……そうなんだ」
どうやら、彼は子どもたちにも人気があるらしい。
「私はキタサンのいない方の学校から来たから、知らなかったな」
「統合して知らない人が増えるから、不安だって相談したよ」
「え、お前も?」
「不安なのは皆同じだったんだね~」
皆、同じ。
その言葉を胸の奥底に落としながら、朝香はキタサンを見上げた。きっと皆、口に出さないだけなのだ。だから自分だけが違うと不安になる。しかし隠れた声を聞いてきたキタサンは、そんなことはないと知っている。だからこそ、子どもたちの背中をそっと押せる。言葉がなくとも。
言葉もなく背中を押すこと。そよ風のような優しさで。それは、無理な押し売りも放任も感じさせない、適度な力だろう。絶妙な強さだろう。
生徒たちが、この石像の写真を勧めてくれた理由が分かる。
昌平へ「大丈夫だ」と伝えたかったのだ。
キタサンが見守ってくれているから。話を聞いてくれるから。そんな彼らは、「まだ自分たちが昌平の守っている居場所に入り込めない」と無意識に悟っている。だから、この石像に──座敷童に託そうと。
「……ありがとう」
子どもたちに礼を述べて、カメラを構えた。
──カシャ……。
柔らかく、指を押し込む。
前の居場所を忘れる必要はない。ただ、新たな居場所で彼を待ってくれている存在たちのために。
(そういえば……アカリも)
ふと、黄金色の狛犬を思い出す。
──カシャ、カシャ。
(古い居場所を去って、心に残したまま、僕のところにいてくれてたんだったな……)
随分と当たり前になっていたが。確か、彼の相棒も古い居場所に残って「消えた」のだった。それはキタサンの片割れとは訳が違うけれど。
流れ行く時間。流れ行く居場所。生死も同様。
ならばやはり明のことも、流れの一環、その内側にあるものだと捉えられる。捉えられてしまう。仕方のないこと。いくら昌平がしがみついても、新たな居場所での生活を望まれているように。
「……」
──カシャッ……。
ならばせめて、背中を押す手はやはり優しい方が良い。
想いを乗せて、フィルムに焼き付ける。
朝香は微笑んだ。
「素敵な石像だね」
「あれ、お兄さん見えないんじゃないの?」
朝香が今視界の中で唯一見える石像。日の光が当たっているのだろうか、やけにその表面が白み、輪郭が濃くなっていて。とても逞しく思えた。
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