【10-5】
薄闇の中に、ぼんやりと。おかっぱ頭にくりくりとした目。身長は朝香の膝程しかなく三頭身。ずぐっとした見た目が、マスコットのような雰囲気を醸し出す少年だった。ふりっふりっと、紺縞の着物袖を振って、存在を知らせようとしている。
近づいてみると、彼が何かの上に乗っていると分かる。少年の依り代にされているからだろうか、朝香の目にも映るそれは石像だ。学校に置かれる、いわゆる名前も知らないような謎の子どもの石像。
改めて少年を前にすると、一層小さく見えた。
朝香は微笑んで会釈する。
「こんにちは。あなたは……座敷童ですか」
『いかにも! 自分はキタサン。よろしくたのむ』
少年──座敷童の小さな頭が下げられた。
その名前には心当たりがある。確かこの学校を略した呼称が「
「キタサン……さん」
『キタさんでいいぞ』
むふむふ。鼻を鳴らす姿はあどけないが、見た目よりは生きているに違いない。
「僕は細波朝香と言います。お邪魔してます」
『うむ! ここの学校のものではないな。卒業生でもないし』
「分かるんですか?」
『歴代の生徒・教師はすべて頭にはいっている!』
「凄いですね」
素直に感心した。流石座敷童というべきか。この学校と、ここにいる人間のことが好きなのだろう。
彼はふと朝香から視線を外して、どこか遠くを見つめた。視線の先を追うことは出来ないけれど、聞こえてくる賑わいから察するに、校庭を見つめているのだろうか。正確には、校庭を走る生徒を。
その眼差しの優しさだけが、朝香には読み取れる。
「……と、いうことは」
双眸と、視線の宛先の間に溢れた温かい空気を邪魔しないように、そっと話を切り出す。
キタサンなら、何か知っているかもしれない。
「最近この学校に転校してきた男の子のことも、知っていますか?」
くりくりの瞳が見開かれる。
数秒の思案。沈黙。苦い顔。
『昌平(しょうへい)か。確か、六年二組に転校してきた……』
「きっとその子です」
母親からクラスも名前も聞かなかった。ただ六年生とは聞いていたので、情報が一致する。それに、その苦い顔も。
「実は今日、その子のために写真を撮りに来たのです」
『昌平のため?』
「学校へ行きたくなるような写真を、と。お母様から頼まれて」
『……なるほど。まぁ色々と心配なのは分かるがなぁ。昌平自身のこれからも、世間体も』
キタサンは石像の上に座り込んだまま、膝に肘つき、肘に顎を乗せた。やはり、不登校状態にあることも承知済みのようだ。
「……『前の学校が恋しいのだろう』とお母様からは伺っています。その気持ちを変えられるような写真とは何か、考えあぐねていて……新しい環境で嫌なことがあった、という可能性もありますし」
『ふむふむ』
相槌、相槌。調子の良いリズムで頷いてくれる、話しやすい座敷童だ。
彼は暫し目を瞑った。人が言葉を探している時に溢れる、立ち込めた冷たい霧を指先で拭うような、独特の空気感。次に目を開いた時には、その深い紺色の瞳が朝香を柔らかく射貫く。
『……うむぅ、まずな。「新しい環境で嫌なことがあったか」ということ。これは、無いぞ。自分はずっと見ていたが』
「そうなんですね」
『嫌がらせどころか無視もない。普通にクラスメートには受け入れられ、話しかけられることもたくさんあった。……ただ、昌平は気まずそうに顔を伏せるのみだったためか、周りも気を遣うように離れていったのだが……』
なるほど、と小さく呟く。気さくに話しかけてくれたクラスメートに応対できなかったのは、やはり前の友人が忘れられなかったからだろうか。体が新天地にいても、まだ心が、前の学校に置きざりだったからだろうか。
それにしても、元の学校が好きだっただけで学校に行けなくなる、なんて。
「本当に、それだけなのでしょうか」
思わず口に出す。
『それだけだよ』
すぐに答えは返ってきた。
キタサンはふっと笑って、またどこか遠くをみやる。それは、目の前の景色ではなく、時と場所を超えた物事を映しているかのようだった。
『本当に、それだけだ。加えて昌平は気にしいだろう? 仕事で忙しい両親に気を遣ってきた子だ。そのことを話せずにいるし、周りの子にも「せっかく話しかけてくれたのに自分は」と罪悪感を抱いている。それが、彼の中で爆発して、上手く片付かないんだろうなぁ』
小学六年生。色々と多感な時期だろう。しかし本人にとって「多感」では纏められない、様々な濁りが渦巻いているに違いない。汚れの詰まった排水溝と同じ。次々に押し寄せる水を、もう抱えきれないから溢れる。
溢れるから、水が押し寄せない場所で隠れていようと。
親にも話さずにいようと。
『そしてつぎに、だ。……たとえ昌平がまた学校に通うようになったとして、前の場所へのきもちは、けっして消えることはないよ』
「それは分かっているつもりです……つもり、ですが」
『まぁ……しかたない、わな』
朝香はゆっくりと、困ったように微笑む。話さずとも、何もかもお見通しなのだ。
キタサンは遠くの時間を見つめながら、今の朝香に少し呆れを見せている。さわりと風が頬を撫で、葉を鳴らした。
『……実はな、この北三校。今年に別の小学校と統合されたばかりなんだよ』
「統合、ですか」
『うむ。それでな、統合先の学校にも当然、私と同じ学校の座敷童がいたんだ。その座敷童は、どうしたと思う?』
「……今この学校には、もういないようですね」
辺りを見回す。
霊的な存在は、キタサン以外に見えない。朝香が持っているのは透視能力ではないため、建物の中にいたら捉えることはできないけれど、少なくとも気配はしなかった。
小さな少年座敷童は、小さく頷いた。横顔が、顔に似合わず大人びている。
『消えたのだ』
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