【10-3】

◇◇◇


「何の用だ」

「話がしたくて」

 真剣な声で返すと、目の前の男は露骨に嫌そうな顔を見せた。自分の用がある時は否応なく他人を引っ掻き回すくせに、勝手である。しかしユウも臆さない。もう彼は、怖い存在ではないから。

 淡い緑のソファにふんぞり返って、男は言う。

「時と場所を考えたまえよ。ここはファミレスだぞ?」

「今までの貴方にそっくりそのままお返しするわ」

「デミグラスソースオムライスでございます」

 沈黙。

 ほかほか立ち上る、オムライスの煙。

 その白越しに、彼はこちらを睨んでいた。周りから見れば、ただひたすら虚空を見ている不審者に映っているだろう。

 すると、男の隣にいた半人半狐の女性がその肩をつつく。

「いいじゃない、ダイ。貴方さんざんこの子たちに頼みごとをしてきたのだから、話を聞いてやんなさいよ」

「私は結果的にこいつらのタメになるよう動いたのであり見返りを求められる筋合いは痛ッ!?」

「何をそんなに偉そうにする権利があって!?」

 バシッ!! と強い音と共に紡がれる、二人組のやり取りについ肩の力が抜けてしまった。

 早乙女大地さおとめだいちトモシ。実力ある霊能探偵と、その使い魔の狐だった。言動が軽い且つ飄々としているため、不安は否めない……が、その観察眼も実力も本物であると知っている。

 朝香と出会ってからというもの、(自称)ライバルを名乗り、何回か突っかかってくるというこの男。そして明の正体を知っており、ユウのことが見える数少ない人物。話を持ち込むなら彼しかいない。

 早乙女は溜息をつくと、渋々、と言った様子に「で、何だ」と口を開く。

「明が消えたの」

 かふ。ふわ。

 銀色のスプーンが、卵の黄色を切り分ける。中から覗いたケチャップライスを一緒に掬い、一口。出来立てオムライスと、デミグラスの香りが机上に寝転ぶ。

 話の固さと、料理の温かさに温度差を感じた。

「ほう」

 動じない。

 灯も「あら」と一言。言ったきり続かない。想定内だ。彼らはいつも明と共にいた存在ではないし、何より朝香とは別の意味で心が座り過ぎている。

 例え親密な関係だったとして、想いを抱えたまま歩み始めるはずだ。

 想いを抱えたまま、という点が朝香とは違うけれど。

「で?」

「明を取り戻したいの。何か方法や、それに通ずる心当たりは無い?」

 かふ。

 灯、「あら」と一言。

 ユウの言葉をスタートラインに、妙な沈黙が勢いよく駆け抜けていった。周囲の客の音は遠く、一歩引いて見守るようだった。ぱたり。ふと早乙女の掬った、スプーンの上のオムライスがお皿に再び落下して。霊能探偵の動きが静止していると知る。

 彼はあんぐり……とまでは行かないが、口を開けたまま固まっていた。もっと訝しげな視線で見られると思っていたのだが、単純に驚かれているらしい。

 こちらは真剣だ。

 早乙女から目を逸らさない。灯もちらりと早乙女を見る。

 やがて。

「…………っふ」

 捻った。

 捻った、という表現が一番にしっくりと来た。急激に蛇口を捻ったかのようにどばどばと。


「ふふ、はははははははははははははは!!!!」

「うわぁ、隣にいると思われたくないわね」

「周りには視えていないのだし、大丈夫じゃないかしら」


 笑い始めた早乙女と、冷めた目を向ける灯と、顔色を変えずに返すユウ。それから、密かにぎょっとしている隣席の男性。心の中で謝っておくことにする。

 豪快な笑いは数十秒続いた。机を叩くほどでもなく、お腹を抱えるでもなく、ただ心から愉快そうに笑っている。いつも自信に満ちた笑みを浮かべている彼だが、ここまで笑っているのは初めて見たかもしれない。

「……ふぅ、久々に笑わせてもらったぞ」

「真面目に言っているのだけれど」

「真面目だからこそ面白いんじゃあないか」

 蛇口を止めた早乙女は腕を組む。いつもの、自信満々に揺るがない笑みだ。スプーンは皿の上。少なくとも、食事を止めるほどの興味を持ってもらえたと言える。

 窓から差し込む柔い日が、早乙女の眼鏡を鋭く光らせた。明瞭な白線が引かれ、その隙間、黒い瞳が真っ直ぐに見つめてくる。白は瞳の黒へもハイライトを与えるけれど、その光が一層に尖った空気感を添えていた。傾き、弱り、淡いはずの秋の日が、これほどに熱を持つとは。夏の直射日光の如き視線に、冬に覚えるような寒さ。折れない、と念じていても身震いしてしまう。

「そんな方法は知らん!! ……と、これがまず結論だ」

 ハッキリと。

 早乙女は言い放つ。

 ユウは静かに頷いた。ここに来るまで、期待をし過ぎないと心に決めていた。方法を探すことが難しいと理解はしている。ほぼ無いものを探しているのだから。

 ユウの動じない反応に、早乙女は目を細める。

「狛犬を取り戻す。その意気込み、細波朝香には話したか? どういう反応だった。反対されたか?」

「いいえ。……賛成も反対もされなかった」

 だろうな、と彼はふんぞり返る。

 そう。軽い口論に達したとはいえ、朝香の方は反対はしていない。ひたすらに「出来ない」と事実を言っていただけだ。「やめておいたほうがいい」とは言わなかった。

 きっと朝香の中で、あれは口論でもない。

「奴は『そうか仕方ない』で終わりだからな」

 前に、ファミレスで彼らと対話した時のことを思い出す。

『他人のためを想いながら他人を引き留める勇気はまるで無い男だからな』

 確か朝香のことを、そう言っていたはずだ。いずれ分かる、とも。今がその時なのかもしれない。

「……流石に、あそこまでとは思っていなかったわ。だって、消えたのは『明』なのよ?」

「幽霊は幽霊で少々感情移入し過ぎるきらいがある」

 びしっと指を指された。その人差し指が、灯によってすぐに叩かれる。

 ずっと黙っていた灯が、口元に袖をあてて微笑んだ。

「素敵じゃない。とってもユウちゃんらしい」

「でも、灯さんも無理だと思っている?」

「無理だとは思っていないわぁ。私もダイと同じく、『面白い』と思っているだけ」

 何やら面白がられている。

 早乙女がくくっと笑って、再び口を開いた。

「幽霊。貴様はこの世の条理通りに死んだ者だ。……それなのに、この件に関して条理に反抗しようと言うのか?」

「……そんなつもりはないわ。貴方たちからしたら同じことなのかもしれないけれど、私にとっては、それとこれとは全く違う」

 可笑しく転がるような声色。ユウは変わらずに、真剣に。

 これほど固執してしまうのは、やはり大切だったからだ。それに。

 あぁ、と。

 話す内に編み出した、自分自身の想いに名前に気が付く。


「私は信じてる。明は確かにいつか消えるのかもしれないわ。でもそれは、今じゃない」


 根拠などまるで無い。

 しかし神社や彼らを繋ぎ止めるものが「想い」であると言うのなら、まだ間に合ってもいいはずだ。ただ何もせずに歩き出すことだけは、出来ない。自分でも覚えていない未練でこの世に留まる幽霊が、今一番に抱いている未練だ。これが。

 それは明のためでもあるし。

『朝香のこと、頼んだ』

(朝香のことを、頼まれたんだもの)

 何より朝香のためになるから。

 言葉と気持ちが、粘土のように、一本の軸へ張り付いていく感覚がする。それは背骨のように真っ直ぐで、がっちりと太く、安定している。肉付けされた軸は、徐々に形を伴って「もう一人の自分」の形を成した。それくらいに明確で、しっかり輪郭を持ったもの。

 これが、早乙女の言うところの「覚悟」だと、胸を張って呼べる。

 早乙女は尚もユウをじっと見つめていた。物事の多くを見透かす男。やがてフンと笑って、目を伏せた。

「結構なことだ。しかし生憎、先ほども言ったように私は方法を知らん」

「えぇ。だから他を当たって……」

空清くずみ神社を尋ねてみてはどうだ?」

 思わぬ助言に、目を見開いた。

 その神社の名前に全く聞き覚えはない。だが、「助言」だと直感が言う。

 早乙女は何てこともないように、再びスプーンを手にしてオムライスに手を付け始めた。

「あの狛犬が生まれた神社だ」

「……っ」

「まぁ壊れかけの神社だ。収穫は期待するな」

「ありがとう……!」

 ふわり。心が弾むのに合わせて体を浮かせる。

 居ても立ってもいられなかった。なるほど、明の出身神社。思い付かなかったし、名前も知らなかった。すぐに向かおう、と思う。

 もう一度礼を言って、足早にファミレスを出る。



「あらあら、ふふ。可愛らしいわね、あんなに必死で……若いわぁ、応援したくなっちゃう」

はふへんふぁふぉふぉふぁいほ発言が年寄りくさいぞ

「食べながら喋らない」

 灯は目を細めて、机に肘をつく。ゆったりと、ユウの飛んで行った方向へ視線を送っていた。

 前回会った時とは大きく違う。彼女は、彼女自身の選択をしながら「幽霊」という形で生きている。……生きている、という表現はおかしいかもしれないが。

 記憶を取り戻すことに対しても、もう心配はいらないのだろう。何だか子どもでも見つめるような気持になる。また早乙女に「年寄りくさい」と言われそうだ。

 しかし早乙女も相当、ユウの態度は気に入ったようだ。

「やめとけ」と笑い飛ばすだけで終わらなかった。

 それを証明するかのように、一つの独り言が、灯の耳にだけ届く。

「……あの幽霊、細波朝香には良い薬だな」

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