第10話 縁と望郷写真~Lights~

【10-1】

 ──これまでこの世界に存在してきて、「相棒」と呼べる存在は二人いた。


 一人は狛犬の片割れ。もう消えてしまった……否、「想い」のみを残してこの世に留まり続けているが、姿を見ることは出来ない。二人目は今、隣にいる。目の前にあるのは、先ほど彼が現像した写真。「事情があってそこへ行けない人」の想いの宛先が、そこには映っている。

 彼は何も映らない双眸でそれを眺めながら微笑んでいた。

 思えば彼はいつも同じ表情をしている。

 取り残されている。

 いつ、何が、きっかけだったろう。


(他の誰かを重んじて自分を顧みねぇ……と、そんなやつだと思っていたが)


 そこが、二人似ている点だった。

 しかし何か、違う。共に過ごす内に、決定的に違うのだと感じる瞬間があって。その最初のきっかけは、何だったろう。

カゲリは、守りたい多くがあったから自分を顧みなかっただけだ。でも)


 彼は、



◇◇◇



 うぐいす写真館の中は静かだった。

 窓を柔らかく叩くような外の音も、鼓膜の奥で響くようなシンという音も、今は聞こえない。何もない、静寂を超えた無の空間の中にいる感覚がした。そう思えば、見える景色も徐々にモノクロームへと変貌していく気がする。首を小さく横に振った。自分は、自分で思うよりこの変化に参っているのかもしれない。

 下ろした視線の先に、透けた両手。

(どうして……)

 幾度となく繰り返した言葉を、また反芻する。ただの一介の幽霊である自分に、何をどうしようも出来ないと分かっているのに。

 これまで幽霊としてこの世界に存在してきて、消失を体験したのは二度目だった。

 一人目は龍神のジン。彼は失くした記憶を取り戻した後、悲しい末路を辿ることになった。

 二人目は……と。本来ならば「二人目」とも数えたくない。

 両者悲しいことに変わりはなかったけれど、喪失感が桁違いだった。何せそれなりに時を過ごした存在が消えたのだ。半透明に揺らぐ幽霊よりも、ずっとずっと明確にこの世にあったものが、簡単に消えてしまった。この世の事象がいつか去ることは理解している。ここに「いる」ユウの方がイレギュラーであるのだということも。

 それでも尚、理解は、いつまで経っても感情を乗り越えない。

 乗り越えたが最後、もう取り戻せない気がして。

「ユウ。……少し、外の空気を吸ったらどうかな」

「……朝香あさか

 心配そうに語りかけてきたのは、優しげな声。顔を上げると、見慣れた穏やかな顔があった。

 細波朝香さざなみあさか。「目が見えない」のに「霊的な存在が視える」という特殊体質を持った青年。この写真館で代行写真家として働いており、ユウは彼らと行動を共にしてきた。

 朝香と……彼の盲導犬である、相棒のアカリと。


 その明が消えて、早くも五日が経とうとしている。


「ここにいて辛いのなら、一度離れた方がユウのためになるよ。数日帰ってこられなくても構わないから」

「そういうわけでは……ないの」

 否定する。しかし朝香の言うことは間違いではない。ずっとここで落ち込まれていても迷惑だろうし、何よりユウはどこへでも行ける。元々ここの人間ではないのだし、何より幽霊だから。

 分かっていても離れられない。

「何か」の想いがあって現世を離れられず、留まり続ける幽霊らしい、と自嘲した。

(私が、おかしいのかしら)

 対して朝香は変わらなかった。

 良くも……悪くも、というべきか。

 明の消失を目の前で見たおじいさんはあんなに慌てていて、数日経った今も動揺している場面を見かけるのに。一番の相棒だったはずの彼だけが何も変わらない。悲しみを強要するつもりもないが、だって、おかしい。いつもの延長。日常の続き。続く生活の中。まるでただ一日「雨が降った」くらいの認識にしか捉えていないようだ。

 あまりにも朝香が変わらずにいるので、この消失は一時的なものなのか、何とかなるのか、と口にしたことがある。

 けれど「いや、多分……このままだと思う」と、若干気を遣うように告げられただけだった。

 呆然を通り越して、困惑に似た別の感情が湧き上がる。

 まだ、その感情に名前は付かない。

(悲しく、ないの?)

 心任せに、そう尋ねたくなる。何か尋ねてはいけない気がして、口を噤むけれど、唇は震えた。

「どうして」

 零れそうなものを堪えると、どうしても自分の目付きが鋭くなるのが分かる。

「どうして、そんなにいつも通りなの?」

 本当に尋ねたかったことの婉曲表現。

 朝香は、目が見えない。

 しかし視える。たった一つ、霊的なものだけは。恐らくは今、ユウだけが。明確な表情を浮かべた一人を見つめても、彼は、困ったような笑みで返すだけ。


「こうなることは決まっていたから」


 暖簾、だった。

 いくら押しても手応えなど返ってこない。吹けば軽く揺れる。だがそれだけだ。

 ふっと。

 ユウからはここ数日で湧き上がってきた感情が溢れだした。


「決まっていても!! 悲しい感情はあるでしょう!?」


 勢いよく立ち上がる。この体が生身だったなら、「ガタッ!!」と大きな音を立てていたに違いない。


 この言葉が理不尽だと、冷静な部分の自分は分かっていた。

 朝香に何と返して欲しかったのだろう。悲しいのなら「悲しい」と、少しでもそう言った感情を打ち明けて欲しかったのか。本当は感情を押し込めているだけで、内側に共有するべきものがあると期待したのか。

 しかし今、そんなものは一ミリもないのだと悟った。悟ってしまった。

 朝香が割り切っているならそれで良いはずなのに。

 見過ごせないと叫ぶ自分が言うことをきかない。

(あぁ、私は)

 顔が歪む。

 くしゃり、と、胸を掻き毟りたい気持ちで。

 心臓を握りつぶしたい気持ちで、表情を歪ませた。

(怒っているんだ)

 代行の仕事でどんな事情に出会ったって。

 早乙女の目論見に振り回された時だって。

 こんな気持ちは湧かなかった。

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