【9-4】

 いちごは目を泳がせる。朝香は微かにいつも以上の真剣さを滲ませていた。空気に神経を研ぎ澄ませているに違いなかった。

「ご両親、ですか。貴方のお父様と、お母様ということでよろしいですか? それとも、祖父母の方とか」

 問いかけに、淳が不安そうな顔をして隣のいちごを見やった。

 動けない体だから、親を撮ってきてほしい。それだけなのに、それだけでない緊張が漂っている。ユウは小さく息をついた。

(「家族を撮ってきてほしい」……単純なものでは無さそうね)

 いちごは小さく唇をもごもごと動かしてから。

「えっと、はい。その、場所を言うので……そこにいる二人、父と母……? を、あの……お願いします」

 窓の外がからからと鳴る。それが秋風のノックだと気付いたと同時、病室のドアもノックされた。にこやかに入ってきた院のスタッフが、いちごの食事時間であることを告げる。

 依頼内容は聞くことが出来た。かついちごもひどく疲れているようだったので、淳と共に退出することにする。彼はエントランスの壁を使って、メモ紙に何かをスラスラ書いたと思うと、朝香に差し出してきた。

「今日は来ていただいてありがとうございました。これ、いちごの実家の住所です。僕から伝えていいと言われたので……ってあぁぁすみません! 読めませんよね、すみません!!」

「大丈夫ですよ。病院の入り口ですから落ち着いて」

 悲壮に叫ぶ淳を朝香が宥める。すっかり元の調子なので、ユウは笑ってし合った。

 メモ紙の代わりに、携帯のメモ帳を。何でも読み上げ機能のあるメモアプリらしい。普段朝香が携帯を使用している場面は中々見ないが、有効活用しているようだった。

 枚数や納期。一通り依頼の詳細を詰めた後、淳が困ったように笑う。

「戸惑われたと思います、いちごのこと。本当に、すみませんでした」

「いいえ。何も悪いことはされていないので」

「そう言ってくださると……嬉しいです」

 言葉の通り、彼は心底安心したように顔を綻ばせた。礼儀として謝る一方、彼も自分の妻が悪いとは思っていないのだろう。それは大切な人の背景を、事情を知っている人の顔だ。



「ねぇ朝香……あれが、視えていた?」

 帰り路。最寄駅から写真館へ歩く道すがら、ユウは尋ねた。

 俯き気味に足元を見る。すぐ隣に、朝香が歩くよう推奨された黄色い凹凸の道が真っ直ぐと伸びていた。かっ、かっ、か。白状と掠れて小さな音がする。

「うん」

 同じくらい小さな声で、朝香から返答が来た。

「でも、早乙女さおとめさんが相手にするような類のものでは無いと思う」

「じゃあ、悪いものではないのね? 私の具合も悪くならなかったし……」

「あれ」を思い返す。見た目は、決して良いものではなかったが。霊能探偵であり、悪いものを祓う専門の早乙女が関するものでないなら、案外無害なのだろうか。

 しかしユウの考えとは裏腹、朝香は曖昧に笑っている。

「うーん……悪いものではないっていうのは、僕らに関して言えば、って感じ……なのかな」

「どういうこと?」

「僕は視えるだけで、その手の専門じゃないから上手く言えないけど……精神的に縛られている何か、後々響いてくる小さな割れ目、彼女の心の持ちよう……」

 後者はほぼ独り言のようだった。すなわち、彼女にとってだけ、悪いものだというのか。

「あのままだと、彼女はもしかしたら……『親』にはなれないのかもしれない」

「えっ!?」

「『親』の定義にもよるけれどね」

 何てことない顔をして、朝香は歩みを止めない。戸惑いながら後を追う。

 親になれない。どういう意味なのだろう。親の定義。心の持ちよう。朝香はそれ以上に何も語らなかった。

(……そういえば……)

 ふと、思う。今まで気にしてこなかったこと。春に出会った頃には一時の関係だからと深入りしてこなかったこと。

 今になって。明も倒れてしまった今になって。

(朝香から、朝香の家族の話を……聞いたことが、ない)

 そうして、気になった時に限って二人は遠い。

 ユウは小さく首を横に振った。今気に掛けるべきは、目先の依頼だ。病室に入ったあの瞬間に見た、の光景は頭を離れないけれど。


 それは、鎖だった。

 重たい灰色。紫や鈍い赤、毒々しいうねりを絡めた、禍々しい鎖。何かを封じ込めるような、又は封じた中身を傷付けんとするような。

 そんな鎖が、膨らんだいちごのお腹を這い、彼女の体に巻き付いていたのだ。固く。あまりにも固く。

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