3章 想い結びて縁となる

第9話 鎖と親子写真

【9-1】

 秋の日の光は、今にも眠りに落ちそうな人の瞬きに似ている。

 うつらと瞼を閉じかけ肌寒い日を連れてきたと思えば、突然パッと目覚めて、思い出したかのように暑い日を連れてきたり。ぱたり……パチッ。そんな不規則な瞬きに合わせて、ぱたり、ぱたり。外の木も鮮やかに衣替えをしては、葉を落とす。

 人もまた衣替えをするけれど、服の調節が難しい季節のうようだ。街行く人は腕まくりをする人、逆に腕をさする人。しかし透明な体をした「彼女」には関係の無いことだった。暑くもなければ寒くもなく、ただ景色と音で季節の移りを感じている。


 色を変えた窓の景色を眺めながら、幽霊の少女……ユウは枝色の長い髪を揺らした。それに合わせて、右側に一房、ミサンガのように編まれた三つ編みも揺れる。

 透けた体に外の気温は響かない。長く現世を漂っていた彼女が、この場所にやってきて半年という時が近づいている。


『うぐいす写真館』。


 季節もユウも、他のことも。様々に移り変わる流れの中で、その写真館は変わらずに、想いの集う場所として佇んでいた。


◇◇◇


 本当に、色々なことが変わったと思う。孤独だったユウは存在を捉えてくれる人に出会ったし、少しずつ、失われた生前の記憶とも向き合い始めて。胸の内を渦巻く温かいものを知ったけれど……それだけでもない。

 秋の窓際は冷気が漏れて寒い。よってその青年は、ユウの座っている場所よりもっと部屋の内側に椅子を置いて座っていた。背を屈めて、足元にいるゴールデンレトリーバーの体を撫でている。上下する背は黄金色。しかし「生きている」と呼べるのはその呼吸の動作だけだった。

 固く閉じられた瞳に、眠る姿勢から微動だにしない手足。

 彼はある事件で力を使い過ぎ、弱ったかと思えば、その日を境に凄まじいスピードで憔悴して行ったのだ。不安を感じる程に異常だった。今の彼は、ほとんど目覚めずに一週間と六日を過ごしている。

 最長記録更新だった。それまでは多少不調を顔に出しながらも、起き上がって出掛けることもあったというのに。

 春に出会ってから、ユウもずっと行動を共にしてきたのだ。心配しない、わけがない。けれど同時に何も出来なかった。

「ねぇ、アカリは」

 堪らなくなって、ゴールデンレトリーバーの名前を出す。

 言葉の続きはつぐんでしまった。明はどうなるのか、まさか……死んでしまうのか、とは尋ねられなかった。口に出せば、形を伴う気がしたから。第一、正体が狛犬である彼に生死の概念があるのかも分からない。

 狛犬。

『狛犬と犬は違ぇよ!!』

 そう怒られたことを思い出す。今の明は、いつものように「犬じゃねぇ」と吠えもしないだろう。

(犬と違うのなら……)

 何とか元気を取り戻して欲しい、と思う。

 明の背を撫で続けていた青年は小さく息を吐いた。彼も明と同じように瞼を閉ざしたままだけれど、目元は険しかった。

「せめて寒くないように温めようと思っているけれど……正解が分からないね」

 声は淡々としている。

 彼は細波朝香さざなみあさか。「目が見えないにもかかわらず霊的なものが視える」という特殊な体質があり、明の相棒でもある。狛犬である明が、盲導犬として姿を変えて今まで朝香を支えてきた。それを最初に申し出たのは、話の一端を聞く限り明の方だとユウは記憶しているけれど、朝香にとって大切な存在であることに違いはない。

 一方で朝香の所作は冷静だった。元々落ち着いているのか、落ち着きを取り繕っているのか……恐らく前者だろう、とユウは思う。朝香の目元に険しさは宿っているけれど、なぜだか彼は、それほど焦ってはいないように見えた。

(相棒、なのよね)

 言葉にしようのない不安が渦巻く。正体の掴めない不安。彼が目下のゴールデンレトリバーのことを何とも思っていないわけではない、のは分かるのに。

 朝香は、明の回復を信じているから、どこか冷静なのか。

「違う」。その推測は自分にすぐに打ち消される。

 違う。きっと朝香は、そうではない。根本的な部分で、ユウと違う感覚で構えている。

(……まぁ、相棒だからと言って執拗に悲しむ必要もない、わよね)

 そう考えて自分を納得させた。事実、明はまだどうにかなったわけではない。寧ろ朝香のような冷静さは必要だ。

 そんな青年は、ふっと息をついて顔を上げた。

「明は、狛犬は、不死じゃないんだって」

「え」

「初めて会った時に言われたんだ。……『消失するまで』僕と一緒にいてくれるって」

 閉じられた双眸は、どこか遠いところを見つめている。

 静かな空間に、窓を叩く秋風。鼓動を打ち鳴らせないユウの代わりに、どんどんどんと焦燥を打つ。

 それは、つまり。

「なぜ今……その話を?」

 尋ねた声は震えていた。

 視線の先にいる彼は、変わらない。ゆったりとした雰囲気で、ただ困ったように笑っている。明の行く末を思って、ではない。ユウを案じて、笑っている。

「知っていないと、覚悟も出来ないでしょう? 僕はそう分かっていて、ずっと明と一緒にいたけど」

「そんな」


 ──カラカラン。


 言いかけた瞬間、ドアベルが鳴った。

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