【8-6】
◇◇◇
(どんなファンタジーよ……)
ユウは溜息をつく。幽霊であるユウがそもそも非現実な存在であるということは、この際隣に置いておくとして。
目の前には、道。普通の道。しかし見覚えのある道だ。さっきまでじっと見つめていた……「写真の中の風景」として。
「写真の中に入って、過去に飛んだってこと……?」
信じられないけれど。と付け足す。答えてくれる人は誰もいない。「吸い込まれる」と感じて、無意識に目を瞑った。次に目を開けた時には、もう自分はここに浮かんでいた。距離も時間も超えて。
あり得ない状況ではあるけれど、信じるしかないようだ。だって。
──カシャッ。
鼓膜を優しく撫でた音。
そう、さっきまで過去の中の存在だった彼が……道の先で、写真を撮っていたから。写真の中と、同じように。
(実際見てみると、ますますおじいさんだわ)
確信に証拠が追い付いてくる。間違いない、あの横顔は、間違いなく若い頃のおじいさんだ。そしてあのカメラが、いつかに失くしてしまうカメラなのだろう。
どうしたものか、と考える。
なぜ過去に飛んできたのか。ここで何か行動を起こしてもしていいものか……幽霊が現実に干渉できないことは、過去でも変わらないだろうけれど。
「ふっ。あいつ、本当に真剣だなぁ」
突然、一歩後ろから声が聞こえて来たので驚いて振り向く。肩より少し長い髪を、一つに纏めた男性だった。その手にもまた、カメラがある。
おじいさんを、男性を、交互に見つめた。この距離、角度的に、ユウが見つめていた写真を撮った主だろうか。「あいつ」と言うからには、知り合いと考えられる。
楽しそうな双眸に。その時。別のものが滲んだ。尊敬。親愛。……
かしゃ。かしゃ。かしゃかしゃかしゃ。
おじいさんの方から、音、音、音。
シャッターは、押し迫る波のような圧力で切られていた。ひたすらに。ひたすらに。
回数が重ねられる度、なぜだか不安な気持ちになる。普段、朝香が写真を撮る様子を横で見ているユウ。しかしその時とは明らかに違う。感じるのは、まるで焦りだった。
「……」
すると、ユウの隣にいる男性が下ろしかけていたカメラをもう一度持ち上げた。おじいさんの方へ向かって。
その間に割り込んでいたので、ユウは慌てて一歩脇に避ける。どうせ写りやしないが、もしものことがある。
──カッシャ……。
ゆっくり。
彼の指が沈む。
おじいさんのシャッター音とは違う。あまりに静かで、重い一回。固く引き結ばれた唇に閉じ込められた、言葉に現れない「何か」。想い、だ。きっと彼は、口に出さない分、何かを写真にこめた。
「……あまり根を詰めるなよ」
呟きは、本来届くべき人の元へは届かない。ただ傍にいるユウにだけ。
届ける気も──恐らく勇気も──無かったのだろう。彼はただの一度写真を撮ると、またカメラを下ろす。それから、何事もなかったように笑みを作って。「おーい!」と手を振った。
おじいさんがこちらを向く。
「俺、そろそろ用事があるから帰るなー!」
「この距離で叫ぶなバカ! 近所迷惑だろうが!」
「お前だって叫んでんじゃん!」
けらけらと彼が笑う。
「暗くなる前に帰れよー! まだ大会まで時間あんだろ!」
「余計なお世話だ! っていうかお前の隣の……」
「じゃーな!」
忙しなく彼は走って行ってしまう。おじいさんのいる方角とは逆へ。その場にはおじいさんと、空白の距離と、ユウだけが残された。
(……っていうか、今)
おじいさんは、“隣の”と言いかけなかったか?
隣と言ったら、そこには自分しかいなかったはず。
恐る恐る、おじいさんに視線を向ける。しっかりと目が合った。彼はユウの全身を見て、ようやくその体に足がないことに気が付いたらしい。目を瞠っている。
「……えっ、幽霊……?」
「えーと……はじめまして?」
この挨拶で合っているだろうか、と思いながら。
彼は恐怖よりも驚きが勝っているようだ。あんぐりと口を開いている。怯えさせないように気遣いながら、近付いてみる。間近まで来ると、結構背が高い。今のおじいさんも背が高いのだから、当然か。
はた。我に返った彼は途端に顔を青くした。
「何!? 僕に何か……呪うんですか!?」
「呪わないから落ち着いて!」
まぁ、幽霊を見た人間の通常の反応だ。元々慣れ切っていた朝香や、病院で出会った夢乃が冷静すぎるくらいだったのである。
その反応に何となく安心感を覚える一方で、笑ってみせる。
「ごめんなさい。私自身、自分のことがおじ……あなたに視えていることに驚いているの。でも、写真を撮るあなたを見ていただけだから」
言葉が通じない。理性がない。よくあるホラーものに出てくる幽霊とイメージが違ったからか、彼はぱちくりと瞬きした。ひとまず落ち着きは取り戻したようで「そうなんだ」と一言。
カメラを撫でる。それが、心を安定させる儀式であるかのように。ユウはそれを目で追った。じっと、カメラを見つめる。
(……このままずっとこの時代にいれば、おじいさんがカメラを誰かに渡すタイミングが、分かるかも)
ずっといるわけにもいかないが、帰る方法も分からない。暫く、行動方針をそう定めてみることにする。
「どうか、した?」
「あぁ、いえ何でも。……写真を撮っていたのよね? もし気にならなければ、近くで見ていても良いかしら?」
「それは別に構わないけれど……」
おじいさんは、まだ戸惑った顔をしたまま。
先ほどまで写真を撮っていた道端の植物へと向き直った。
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