【8-5】

◇◇◇


 早乙女や灯と別れて、ユウはぷらぷらとその辺を浮いていた。

 元々早乙女が写真館にやってくる前は、散歩に出ようと思っていたのだ。まだ朝香たちも帰っているか分からないし、外は明るい。もう少し寄り道して帰るのも良いだろう。

 日に照らされた眩しいコンクリートの上を、子どもたちが駆けていく。がっしょがっしょと大きなリュックを揺らして。楽しそうな声が反響する。背中が見えなくなった後も。

 子どもの世間は夏休みの頃か。

 活気ある夏の季節。鮮やかな情景。その明るさに、ようやく目を向ける余裕が出来た。思い返せば、少し前から目まぐるしく色々なことが起こったものだ。その始まりは、そう。

(おじいさんの依頼、そういえばこなせていないわね)

 苦笑いを落とした。

 おじいさんが昔持っていたカメラを探し出して、写真を撮ってきてほしいという依頼。大した調査も出来ずに、あれから半月強が経った。期限は無い、と言っていたおじいさん。しかしこのまま、話が自然と消えてしまわないか不安だ。

 朝香が忘れているわけはないと思うけれど。

「手掛かり、探してみようかしらね……」

 ぽつり、と。

 言葉のあても、探すあてもないが、呟く。

 このまま考え過ぎて身動きが取れなくなる方が、良くない気がするから。



 暫く漂っていると、ある看板に目が留まる。きっと、その言葉を意識していたから視界に引っ掛かったのだろう。


 ──【じかんさんぽ~写真展開催中~】


「写真」。

 その看板は、町の公民館の前に立っていた。老若男女問わず、ちらほらとその建物に人が出入りしている。

(写真展……)

 何だか興味が惹かれた。どんな写真が飾ってあるのだろう。ふわり、吸い寄せられる。それは、初めて「うぐいす写真館」へ足を踏み入れた時と、どこか似ていた。季節は巡った。春でなく、夏の中。

 壁をそっとすり抜ける。公民館、と言ったら様々な施設が入っているだろう。案の定、ユウが最初に入ったそこは写真展の会場ではなく英語教室だった。部屋を借りて講義中か。意味もなく頭を下げてから、そそくさ。部屋を出る。

 扉を通り抜けると、出たのは廊下。「節電中」を伝える張り紙。薄暗く、昼間とは思えない雰囲気を醸し出している。時折光っている蛍光灯、その真下に、「写真展はこちら」という案内ポスターが貼られているのを見つけた。

 そちらへ向かう。

(人が少ないのね)

 会場近くまで辿り着いても、人の気配がそれほどしない。公民館での写真展。規模としては、これくらいが当然なのかもしれない。

 薄闇の中、写真展の部屋の入口から漏れる電灯。その部屋だけきちんと電気が点けられており、ぼんやりと浮かび上がっている。受付の女性はうつらうつら。学校で使われるような椅子に座り、その目の前には、同じく学校机。その上に来場者数を記録する紙が置いてあったが、ユウには関係ないことだ。

 自分の鼓動が、遠く、聞こえる。

 鼓動の無い体だからこそ、耳の奥で、それを感じている。

「わ……」

 部屋に入った瞬間、褪せた紙の匂いと、まだ新しいインクの香りがした。インク……は、印刷のインクではなく、部屋のホワイトボードに使われる水性ペンのインク。この写真展の概要が手書きで記されていて、そこから香ってくるものだった。

(……『ご来場ありがとうございます。本展では、今までにこの町で開催された写真大会の賞に選出された写真を集めております』……へぇ、大会なんて開催しているのね)

 心の中で独り言ちる。

(『写真大会の要項には、毎年「この町の写真であること」というものがあります。歴代の大会写真を並べることで、あなたはこの町の移り変わりを目にすることが出来るでしょう』)

 なるほど。だから「じかんさんぽ」ということらしい。

 こつ、こつ。足音に振り返る。パートナーに見える男女が、腕を組んで歩いていた。

「見てこれ、古いね」

「三十二年前? え、これってお母さんたちが結婚した年だー」

「古いとか言ったら怒るよお義母さん」

「そうかも」

 会話こそ小声だけれど、会場内が静かなので内容が聞こえる。微笑んで、ユウも部屋の中を回ることにする。

 写真が貼られたパネルは、入り口に近いところから遠くに向かうにつれ、新しいものから古いものになっている。眺める写真の紙がどんどん色褪せていくことが面白かった。写真の紙は褪せていくのに対し、写真の中の町は、どんどん若返っていく。時間の経過と、逆行。形無い時間に触れていく。

 写真。

 自然が写るもの。

 街角が写るもの。

 人物が写るもの。

 時代の違う写真でも、注ぐ光と柔らかい影は同じなのだと思った。被写体の光影を考えて写したのか、偶然の産物か。定かではないが、彼らは両者を上手に内包している。光のすぐ裏側、影。夏の日光にくっきり境界を引かれた影もあれば、西日に柔らかくぼかされて光と区別のつかない影も、あって。

 それでも味方だった。

 影は、写真の美しさに味方していた。

(どんな想いがあって、写真を撮ったのかしら)

 少しだけ目を細める。公園の写真、十年前の年代が記された写真の前で立ち止まる。その後ろを、仏頂面の男性が通り過ぎていく。

 大会に提出する作品ならば、受賞のため? それとも、何か信念があって? それとも、気まぐれ? 時代を経て今のユウに届くことを、レンズを覗く当時の彼らは当然知らない。

 誰に届くか分からないものを、彼らはどんな気持ちで撮っていただろう。写真はこんなに、美しいけれど。

「……あら?」

 ふと。ユウは呟いて立ち止まった。

 それは、約五十年前の写真だ。古い。だいぶ色褪せている。それは分かる。ユウの気を引き留めたのは……被写体である、男性だった。

 全体の構図としては、道端だろうか。特に何か特徴があるでもない灰色の地面に、人が一人立っている。写真の中心、その背中に光を浴びて。道端と人。それだけなのだけれど、写真の中の男性が持っているのはカメラ、だった。持っている、だけではない。弓のようにしなる体。持ち上げた腕。しっかりと両足は地面を踏みしめて……その横から見た姿勢を、ユウはよく知っている。

(写真を撮っている人を、撮っているということ?)

 どく、どく、遠く。

 鼓動の音。透明な手で、思わずその写真に触れた。触れられない。が、空気に触れる。

 それだけじゃない。

 今、息を飲んでしまうのは、それだけが理由じゃない。

(この写真に写っている人……おじいさん・・・・・?)

 確証は無いのに、やけに確信を伴った予感だった。

 五十年前だ。今よりずっと若いし、褪せた写真で、それも横顔。ハッキリと見えないのに。……肌が、緊張に張りつめている。この写真が撮影された年、写真に写る男性の推定年齢、そして、今のおじいさん。一応、食い違うことはない。寧ろピッタリと言っていい。

 なら。

 ならば、この彼が持っているカメラというのは。

(今私たちが探しているカメラ……!?)

 振り返った。この写真について、もっと詳細な情報は無いのかと思ったのだ。撮影者が分かれば、その人を訪ねて確認したら良い。ここを糸口に、カメラの行方を捜索することは出来ないだろうか。

 しかし残念ながら、写真は写真。一枚でそれきり。それ以上に情報を与えてくれるものはなかった。では、この写真展を開催している人、歴代大会の写真をこうして保管していた人、あわよくば当時の大会を管理していた人……ダメだ。今ユウは一人なのだから、誰に話しかけることも出来ない。焦りだけが行き過ぎた。

 ユウは、幽霊なのだから。

 静かに肩を落とす。後日、朝香かおじいさん本人をここに連れてくるしかない。

(それにしても……おじいさんも、昔から写真を撮っていたのね)

 写真館を経営しているのだから、不思議ではないが。こんなに若い頃から……今の朝香と同じくらいの年齢かもしれない。

 食い入るように、見つめてしまう。横顔が霞んでいて、表情が示す感情までは伝わってこなかった。ただその佇まいから、真剣なのだということは伝わってくる。

 写真を、撫でる。

(いつまでもこの写真だけ見ていても仕方ない、か)

 ユウは写真から手を離し、その場から立ち去ろうとした──その時だった。


 するり。手を離すどころか、手が写真の中に入った・・・・・・・・・・


「えっ!?」

 この手が写真を通り抜ける、なら、理解出来る。ユウは幽霊であって、透けているのだから。このパネルの向こうに手を貫通させることは容易い。

 しかしこれは、違う。

 確実に。

 透けているのではない、写真の中に、手が吸い込まれている。

「ど、どういうこと……わぁっ!!」

 そこからはあっという間だった。


 掃除機の如き吸引力で、ユウは体ごと写真の中へ引きずり込まれてしまった。

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