【8-2】
◇◇◇
「……で、なぜ毎回ファミレスなのかしら?」
「腹が減った」
「そう……」
ユウはため息をつく。
そう。今いる場所はまたもやファミレスだった。朝食の時間とも、昼食の時間ともつかないからだろう。店内はそれほど騒がしくなく、もくもくと一人で作業をする客がちらほらとだけ座っている。そんな中、一人で喋る早乙女の声はよく響いた。ただでさえ小さくはない声だというのに、遠慮がない。少し遠くに座っている女性が時折こちらを盗み見ていた。自分のことではないが、「『電話で話をしている』という体で納得してくれますように」と願ってしまう。
四人席に、人間と幽霊と半人半狐。
異様な光景に慣れてしまった自分がいる。
即断即決の早乙女は、メニューを一読してさっさと注文。それから、机に両肘をついて両手を組んだ。
「さて。調子はどうだ幽霊」
「変わらないわ。……明の調子は悪いようだけれど」
「そのようだな」
お冷をぐいっと。一気に半分飲み干す。
黄と紅の混じったしっぽの毛先を揺らし、灯が眉尻を下げる。心底心配している様子だった。
「明さん、大丈夫なのかしら?」
「私には何とも……朝香も分からないって」
「そうだろうな」
口をつぐむ。
やけに早乙女は淡々としていた。……何も見えてこない。あの依頼の意味も、今日呼ばれた意味も、そして今どう思っているのかも。否、あの依頼の意味なら何となく分かる。早乙女がジンの存在を、更にはその真相を知っていたのなら。
(でも、ジンさんはもう……)
対してユウの中には、形容のし難い感情が流れていた。「流れる」、がまさに正しい。戸惑い、口惜しさ、悲しさ……怒り? 遣る瀬無さ、そして、そのどれともつかないもの。一つとして胸中に留まり続けることはない。刺客のように次々襲い来る、そして去っていく。そんな感情たちを、あしらうことで精一杯だ。
あしらわずに一つ一つ捕まえて、言葉にしてしまったら。
きっと溢れるのだと思う。
ユウは、それが怖い。少しだけ、怖いと思う。
早乙女のせいに出来たら楽なのだろうな、と思わずにはいられないから。
出会わなければ、あの龍は記憶を取り戻さずに済んだ……そうして、ユウたちがこんな思いをすることも。
早乙女は、じっとユウを見ている。こちらの全てを見透かすように。はかれる言葉を待っている。そこに威圧感はないけれど、緊張は抱く。
きっとこの霊能探偵は、あの結末に遭遇したとして。とっとと祓って終わりだろう。ジンが踏み越えてはいけない境界を踏んだ時点で。そこにどんな事情があろうと。その薄情さに似た強さが羨ましい。
(私は……)
少し、共感したのだ。
(それは)
いけないことだっただろうか。
「……」
息を吸う。
一旦何も言わずに、息を止めた。それから全部空白として、吐息として吐き出す。
改めて息を吸って、何事も無かったかのように。
「……あなたは、あれを私に見せたかったのね」
浅く告げた。
あっさりと置いた言葉に、早乙女も「あぁ」とあっさり返す。その隣で、ふっと緩んだのは。灯の緊張感だっただろうか。彼女の瞳もまた、読めない。しかし一対二でなく、一対一対一であることは、分かる。責められてなどいないということは。
ファミレスは静寂に包まれている。そういう、時間帯のこと。
と思えば、店員が早乙女の食事を運んできた。
少しの言葉があって、また静寂。多分今この机上で、一番活発なのはドリアから立つ湯気だろう。
「食べなくて、いいの?」
「ドリアは熱い。冷めているくらいが丁度良い」
彼は真顔だった。本気なのか、冗談なのか判別がつかない。
少し曇った眼鏡を拭うと、早乙女は背もたれにもたれかかった。それは自然とふんぞり返る姿勢になり、足と腕を組む。
「狛犬のことに関しては想定外というか、故意ではない。最も、龍神が記憶を取り戻した結果暴走し、本来の姿を取り戻す……否、本来の姿からも逸脱すると予想はしていたのだから、狛犬に状況終息を期待していたことは否定出来んがな。あれを収められるのは、幽霊はもちろんのこと、細波朝香にも不可能なのだから」
どこまでも冷静な瞳は、その一瞬、目を逸らす。
「……あれ程に憔悴するとは思わんかったよ。そこに関しては謝罪しよう」
「……私じゃなくて、本人に謝るべきだと思うわ」
明は、怒らない気もする。「巻き込みやがって」の一言くらいは言いそうだが、あぁ見えて心が広いから。
(「あぁ見えてって何だ」って言われそうね)
静かに笑う。明にその覇気は戻ってくるだろうか。
「じゃあ、朝香に期待していたの?」
かつて、灯が言っていた。
早乙女は手遅れになった者を消し。
朝香は手遅れになる前に救ってしまうと。
ジンのことに関しても、救済を期待していたのか……と思うが、早乙女は首を横に振った。
「いいや。寧ろあいつには期待するなと言いたかった。……細波朝香は、他人のためを想いながら他人を引き留める勇気はまるで無い男だからな」
「そうは思わないけれど」
「いずれ分かる」
くくっと早乙女は声を抑えて笑った。
その手が再びガラスのコップに触れて。再び呷るように飲む。カタン。それがもう一度机に置かれた時には、瞳の色は変わっていた。ひどく真剣で、静かな色に。
少しだけ背筋が震えた。静かに思えるが、とんでもない熱を秘めた目だ。
「一つ、話をしよう。あるところに一人の人間の子どもがいた」
「……」
「その子どもの両親はある日、“よく分からんモノ”に殺された」
目を見開く。
早乙女は真顔だ。灯に目をやる。彼女も何も言わない。が、悲しみがじんわりと滲んだ目で、それを聞いている。
「霊的なものだったんだろうな。死んだ両親の状態はとても『人間がやった』とは言えない無様なものだった。それに、いくら警察が捜査しようと証拠が見つからない。ふざけた話だよ。まるでポッとそこに現れたやつがポッとやって、ポッと消えた。それくらいしか結論が出なかった。警察は、霊的なものに詳しくはないからな。それに話したろう、警察は霊的な案件を隠蔽しがちだ。真相は闇の中。闇すら無いな、『ない』ことになったから。
一方子どもは、両親が息絶える様を見ていた。しかし肝心の犯人をよく見ていなかった。思い出そうにも、“影のようなものだった”くらいしか認識がない。それ以来子どもはずっと、犯人を捜している。両親を殺した犯人を。見つけて、どうするかは別問題として」
「……それが、何だって」
「私のことだよ」
──カラン、と氷が泣いた。
早乙女がとっとと水を飲み干したせいで、グラスに取り残された氷が。音を立てて崩れた音だった。もう風前の灯火。角の丸くなった氷は、溶け出して、表面が潤んでいる。たらりたらりと、涙を流している。
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