【7-10】

◇◇◇


 空には、雨雲が所狭しと自らの領分を取り合っている。怪しい灰色や黒は、これからの更なる天候の悪化を示しているようで身震いした。ユウには触覚など無いのだけれど、どこか寒々しい。今は夏。肌に感覚があったとして、湿気の蒸し暑さを感じるところだろうに。

 道中、朝香も明も静かだった。

 何か、ただ事でないことは分かる。分かるけれど、それ以上のことに推測が及ばない。

 ぼたりぼたり。地面を叩く。朝香の黒い傘を叩く。明の身を叩く。それ自体、警鐘であるかのように。言葉のないこの状況が、尚のこと雨水を際立たせていた。

 ここは、墓場。写真の代行のため昨日訪れたばかりの、墓場だった。昨日の明るさとはうって変わり、所謂「墓場らしい」どんよりとした空気が漂っている。

 あるところで、朝香は歩を止めた。

 目の前には、お墓。

 早乙女に代行で頼まれた墓ではない、別の石。

(これって……)

 声には出さず、ただ息を飲む。


 写真を撮った日にユウが見掛けた、あの、荒削りの墓石だった。


 雨水をその身に染み込ませて、いつもより濃厚な、黒。それでもしまいきれなかった雨水を、涙のように。しとりしとり。さめざめ泣いていた。雨水に艶めく墓石は女性の長い黒髪のようで。まるで、女性が泣いているかのようだった。

 ──ゴロロ──……。

 遠くで、雷が鳴り始めている。

「これが、カミさんのお墓だよ」

「えっ?」

 声が上擦る。突然言葉を発した朝香にも、その内容にも目を見開いた。

 カミのお墓。それは、役場のすぐ傍の公園にある綺麗な像だったはずだ。いつまでも残るよう、丁寧に管理されて。公園に訪れる町の人に愛された墓。

 この、片隅にある、寂しい墓とは対照的なもの。

「どういうこと?」

「公園にある方は、多分……偽物と言ってはおかしいけれど、代わりのようなものだと思う。カミさんが、ずっと町の人に愛されているための」

「確かに、こんなところにある墓では誰も訪れないとは思うけれど……」

 まだどういうことだか、分からない。あれはカミが寂しくないための代わりの墓で、こっちが本当の墓?

「あの公園の墓を見た時から違和感があったから、明に聞いて確かめたんだ。ね?」

「あぁ。あっちはな、“空っぽ・・・”だったんだよ。墓としての形はあるが、空気が空っぽなら想いも空っぽ。何もなかった」

 明が説得力を加える。本来の墓にあるはずの空気。霊感の無いユウには理解出来ないけれど。だから二人は、公園にいた時に戸惑っていたのか。これが、真にカミの墓ではないと感覚で分かったから。

 朝香は、ふと墓の方に一歩近づいた。何も見えず慎重なのだろう、歩幅が小さい。やがて朝香の意図を察したかのように明が彼を導く。

 その墓の、裏側へ。

 裏側を覗き込むように見る二人。ユウも朝香に顔を向けられ、そちらへと漂っていった。

「……これは……」

 墓には、文字が刻まれていた。

 それは、墓に入っている者の名前でもなく、この墓が立った経緯等が書かれているわけでもなく。


『リウジン シヅマリタマヘ』


 引っ搔いたような、片仮名。筆跡からも滲む苦痛、悲惨さ。

 ──リウジン、龍神? カミの墓の裏に、なぜこんなものがと瞠目する。しかしそこで、思い当たることがあった。


 ──「この墓の近くにいたい」。「この墓を見ていたい」という気持ちだけは、強く強く残っているのです。


 ジンと出会った時。なぜ彼は、「強い想い」を持ってここにいた?

 公園にあるカミの像が墓ならば、あちらにいたって良かったのに。カミに抱いた想いがあるというのに、ジンは鳴上の話を聞くまでカミのことを思い出さなかった。カミの像が、「空っぽ」だったからだ。

 そしてユウたちは、ジンが写真を撮った墓──貴族の墓である──の近くにジンがいたことで、「貴族の墓」を見ていたいのだと錯覚した。が、ジンと関りが深いのはカミだと分かった今。

 違ったのだ。ジンは「カミの墓」の近くにいたいと思っていたのだ。

 ……ここにカミの本来の墓があるという話は、何もおかしくない。

「でも、でも……これは、この文字は、何なの」

 鎮まってくれと訴える筆跡は、必死だった。そこに何人もの命が懸かっているのは、霊感の無いユウにだって分かる。

 許しを乞うている。

 救われようとしている。

 ジンに向かって。

「……鳴上さんが信じていた方の歴史は、やっぱり創作だったんだ。正しかったのは、二条さんの方。町は嵐で壊滅状態に陥った」

 それは、あまりに残酷な物語の真実だった。

「ジンさんの正体は……龍神。そして同時に、雷神」

 朝香は淡々と告げる。聞こえてくる雨音の方が感情的であると思えるほどに、雨は、痛いくらいの悲しみに打ち震えていた。地面を叩く。人がどうしようもない感情に苛まれたとき、地面を殴りつけるが如く。

 ジンが雷を司る龍神。

 では。

 村を襲った雷の災厄というのは。

「……色々な伝承が混在する、なんてこたぁ、よくある話だよな」

 明は唸るようにそう言った。

 ユウは口元を抑える。

(……そんな。だって、あんな)



『記憶はありゃしません。ですが、「この墓の近くにいたい」。「この墓を見ていたい」という気持ちだけは、強く強く残っているのです。きっとワシは、あの墓の主に恩があるに違いないのです!!』

『その空白の期間も、いつかは思い出すこととなりましょう。もうワシは、カミを思い出すことが出来たのですから』



 そう言っていたのに。

 しかし、気付く。これが記憶を失くすということ。これが、失くした「記憶真実」と向き合うということなのだ。

 それが例え、自分が思っていたことと、どんなに違っていても。

「……町を焼いた理由は、推測だけれど。カミさんとジンさんが友人だった話が本当なら」

 朝香は静かに続けた。


「カミさんを捨てて見殺しにした貴族に、町全体に怒ったんだろうね。彼は昔、ここにあった町を、人を……皆殺しにしてしまったんだ」


 そうして龍神はきっと、知らない。

 その後カミがある家族に拾われ、生き延びることが出来たことなど。

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