【7-9】

◇◇◇


 ──可哀相なカミ。

 彼女は都を出て。何も無い場所で。木々に囲まれた薄暗い場所で。一人倒れました。最後にカミを見たという農民が言うことには、姿は泥だらけ、頬は痩せこけ、憔悴した体を引き摺り、腰は曲がり……かつての美しい彼女とはかけ離れた姿ばかりを目にしていたようでした。

 年齢を、一気に五十は上乗せしただろうか。そんな姿。当時の平均寿命は五十も無かったのですから、よほど化け物に見えたに違いないでしょう。

 その後の彼女の行方は、誰も知らない。

 どこかで、死んでしまっただろうか。

 可哀相なカミ。……いや、寧ろ都にはいなくて良かったのかもしれない。


 都は嵐や雷で壊滅し、そのまま廃れた土地となったのだから。


◇◇◇


「そんな感じで……実際、この町は嵐を免れた、なんて記録は無いんですよね」

 翌日。

 三人は二条の家を訪れていた。玄関先、朝香を認めてすぐに、彼は家の中へ案内することなく……外から回り、ある場所へ朝香を案内した。今は、その中で様々な資料を見せてもらっている。

 外ではざぁぁんと雨の音。昨日の雨は尾を引きずり、それどころか今日は大雨だった。それこそ嵐のような、雷でも鳴り出しそうなくらいの。

 建物の壁はいくらか頑丈なのか、古い見た目に反して雨が入ってくることはないけれど、音が大波のように打ち寄せてくる。それでも、目の前の光景で雨音が気になることはなかった。

「すごいわね、これ」

「歴史があんだろうな。家自体も広かったしよ……今の時代、こんなデケェ蔵持ってる家なんてあんまねーだろ」

 くしゅっと朝香が小さくくしゃみをする。

 明の言う通り、ここは二条の家の蔵だった。一目見た時は驚いた。「いいところの子だ」と一目で分かる家、というよりお屋敷。かつてタヌキのチヨと出会った空き家も立派な日本家屋だったけれど、ここまでではなかった。

 いいところの子だ、という思いは、蔵を見たことで確信に変わる。埃っぽい空間には、ざっと見ただけでも書簡や巻物、古ぼけた陶器が堂々と並んでいる。その全てが乱雑な配置に思えるけれど、一つでも動かせば「静」が崩れ落ちるのではないかという不安に駆られた。

 二条はそんな蔵の中にずかずか入って、比較的手前に置いてあった──恐らく頻繁に閲覧しているのであろう──本を手に取った。

 白い手袋が、質の違う埃の白に汚れていく。

 嵐は途中で止むことなどなく、カミも行方不明のまま、町は救われなかった。歴史的事実の古記録ということか。

「にしては、文体が結構砕けてるのね」

「この男が語訳して、砕いて説明してんだろ」

 二条の後ろに回り込んで本を覗き見る。なるほど、確かにユウには字すら読めない。相当に古い本だ。

「でも……すごいですね。記録がちゃんと、実物として残っているなんて」

「いや、これも写本っすよ。カミの件があったのは大体平安後期って推定ですけど、この写本は室町のものかと」

 朝香は「ふむ」と頷いた。

 しかし、まだ疑問はある。

「なぜ、こんなに歴史的に価値あるものが残っているのですか?」

「あー、俺の家、貴族の分家らしいんすよね。カミを娶ったっていうあの”クソ男貴族”の、分家」

 何ともない風に彼は言った。貴族の分家。だから家が広いのか。

 その話が本当ならば、嵐の記録はますます現実味を帯びてくる。カミの話も。

(ではなぜ、ただの一般人であるカミさんの像が建つのに至ったのかしら?)

 まして行方の眩んだ女性の像など。

 町が救われる。伝説の中でそんな結末が描かれた理由は、「町の復興へ向けた希望にするため」という理由が思い当たるけれど。そのヒロインにカミを置く必要は無かったはずだ。

「で、俺が注目したいのはこれで……と。今、口頭で説明しますね」

 二条は本をしまって。その隣の棚に平置きしていた紙を手に取った。幾重にも折り畳まれた、年季を感じる紙だ。色褪せている、どころでは無く、その輪郭は欠け、今にもぼろぼろ崩れてしまいそうな。

 紙の見えている面に記された、言葉を読む。

「「家系図」」

 ユウと、二条の声が重なった。

「二条家のものです。もう紙がボロすぎて、開くのはマズイって言われてます」

「なるほど。二条さんが貴族の分家である証拠の、一助となっているんですね」

 朝香が家系図を見つめる。紙の匂い、はするのだろうか。見えない分、普通なら人が忌避する埃で蔵の中を捉えているに違いない。

「これも書き写されたりして、一部分は残ってたりするんです。で、俺が最近パソコンで打ち込んで整理したのが、これ」

「……!!」

 ユウは目を見開いた。

 今まで見ていたセピア色と比べると、目に眩しいくらいの白。市販で売っているコピー用紙の束には、二条が打ち込んだ家系図が出力されていた。

 彼が注目してほしい部分は、一目見れば分かる。

 その名前が、記されていたから。


「うちの家系図に、


 白いコピー用紙に黒インク。「カミ」の文字。

 他に書いてある人名と、インク量もフォントも何ら変わらないというのに、その二文字だけが浮いて踊っているように思えた。

「……っつーことは、その女は現実じゃ、この家に嫁いだってことか?」

 明が呟く。

 訳が分からなくて頭が混乱した。「カミ」という同名の女性である可能性も捨てきれない。だがこれが、同一人物のことだったら? 実はカミを妻に迎え入れたのは二条家だったということだろうか。その後、カミを捨て置いたのも。

「……では、伝承に出てくる貴族とは、二条さんの家のことなのですか?」

「そこがまだ調査中のところで。事実、本家の存在はあるんすよ。ただそっちには資料があまり残ってなくて……全部雷で焼けてしまったから」

 すなわち、嵐に食われた都に本家があった、という情報も事実だ。分家は都から離れた場所にあった。だから雷、火災にも巻き込まれたなったということだろう。

「カミという女性の存在が本家にあったのか。そこが分かれば良いんですけどね」

 二条は肩をすくめて、コピー用紙を見つめる。

 彼は、本当のことを探している。伝説とは別の側面から。

「分家……止まなかった嵐……カミさん自身は、嵐に巻き込まれていない……」

 朝香は口元に手を当てて、何か考え込んでいる。

 やけに真相解明に真剣だ。気になることがあるのだろうか。

「考えられることは、主に二つ。一つは、本家と分家の話が混同していて、伝承の『貴族様』は、実は二条さんの家のことだったか」

「もしそうだったら恥ずかしい話なんですけどね。まぁそうです」

「二つ目は……路頭に彷徨っていた彼女を、この家が“拾った”のか」

「はい。俺もそっちで考えてます。この家は偶然見つけたカミを介抱し、最終的にこの家に嫁がせるに至って、それで……幸せだったかは分からないけど、少なくとも普通の生活に戻ることが出来たか」

 ざぁざぁと雨が鳴る。

 二条の双眸には、そうだったら良いという感情が浮かんでいた。

 確かに、そちらの方が幸せだ。捨てられたまま野を彷徨い、誰にも見付けられず、もしかしたら──そのまま孤独に野垂れ死んだなんて、そんな結末よりはよほど。

(でもこれは、どちらにせよジンさんには言えないわね)

 ずき、と少し心が痛む。

 トカゲ、いや、龍神・ジンの中では「共に雷神を倒し、その後、カミは都で再び幸せに暮らした」という記憶の方が真実なのだ。鳴上の語り継ぐ伝承の方が。そちらが間違いであるとは言わない。二条が調査している方が誤りで、伝承が正しい可能性だってある。

 だけれどただのお伽噺より、歴史的資料と照合したこちらの方が真実味があると、思わざるを得ないことも事実で。

「どちらにせよカミは救われなかった」なんて、彼にはあまりに酷だろうから。

 どうなるのだろう、と思う。


 これは、果たして。ジンは「記憶を取り戻した」ことになるのか?


 そう思わせておいた方がジンのためになるという、気休めで終わってしまうのではないか。

 ユウが騙しているわけではないのに、ひりひり痕に残るような罪悪感があった。

 朝香が昨日、カメラに映した龍姫像。景色のありのままを、実像を映し出す写真。しかしその中の話の虚像を、真実と信じたい人がいる。写真は言葉を語らない。見たままの姿以外に、語ってくれることはない。

 早乙女が「撮ってこい」と指示した貴族の墓は。「大きく」「白く」「綺麗に手入れされている」以外に、どんな真実を持っていたのだろう。

「……ありがとうございます。面白い話が聞けて良かったです」

 朝香はゆったりと微笑んだ。

 彼も何を見つめているか分からない。明を見下ろした。黄金色の瞳は、何か思案するように揺れている。

 二条は明るく笑った。

「こちらこそ! 興味持ってもらって嬉しかったですよ。真奈も喜んでたし」

 ピカッとその頬の輪郭が照らされる。

 その一瞬の後、ゴロゴロ、空が不機嫌に喉を鳴らした。全員の視線が音の方角へ向く。

「雷まで鳴ってきちゃいましたね……気を付けてお帰りください。何なら、最寄り駅まで車で送りましょうか」

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけ受け取っておきますね。僕らは少し……寄り道しようと思うので」

 ちらり。彼の開かれない目が、こちらを向いた気がした。

(寄り道は良いけれど)

 どこに寄るのだろう。この雷雨の中、歩き回るのは少々危ないと思うが。

「行こう」

 朝香がハーネスを握りこむ。その呼び掛けは明へ、そして恐らくユウへ。

 ユウは頷いて、朝香と共に蔵を出た。黒い傘が、烏の翼のように広がる。その黒越しに、また雷が瞬いた。

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