【7-4】
◇◇◇
──お貴族様の申し出です。お断りするわけには行きません。
都へ行くことを承諾しましたが……彼女には、村に置いていくに気がかりな存在がいました。それは、大事な大事な友人でした。
「ねぇ私、あなたに会えなくなるのかしら」
明るい村娘は、その時ばかりは顔をくもらせます。けれど村娘に答える声は、強く言います。
“大丈夫。どこにいたって、自分から君に、会いに行く!”
村娘は、うなずきました。その数日後、村娘は「村」娘でなくなりました。村を経つ日。その日は、空に雷鳴が、いくつも轟いていました。
◇◇◇
町役場に案内されると、あれよあれよと空いている席に案内された。
「まさか、町の役人さんだとは思わなかったわ……」
「あんな慌ただしい人間で、役人なんて大丈夫か?」
金色の尻尾が、たすんと床に打ち付けられる。そんな明は、朝香の座る足の下。盲導犬としてのハーネスが、周りにぶつかるかぶつからないかの所を気にして振舞っている。
今、朝香たちがやってきたのは墓場近くにある町役場。事務所の中を、様々な年代層の人が右往左往、忙しそうに働いている。コピー機の音。鳴り出す電話。関係者でない朝香がいても、誰も気にする様子はない。
もちろんここに連れて来たのは、先程の女性と男性だ。無事に木の上の書類を取った後、何だかんだ世間話へ。朝香が「墓の写真を撮りに来たのだ」というと、女性が目をキラキラさせてこう言ったのだ。
『ほ、ほ、本当ですか!? あれ、この町ですっごく歴史あるもので、素敵なエピソードもあって! 興味を持ってもらって嬉しい……! 良かったら話聞いていきません!?』
どうやら彼女は、町役場の中でも町の歴史・文化担当部署に所属しているらしかった。町の祭事・イベントを企画する仕事で、歴史や民話にも精通していると。そんな彼女のアンテナに引っ掛かってしまったと、そういうことだ。
隣にいた男性は「いつものやつだ」と呆れた表情を浮かべていた。
『こうなるとこいつ、止められないんでちょっと付き合ってやってください』
そんなこんなで今に至る。二人とも、今は朝香たちの元を離れていた。
そして、あの「墓」について熱弁する存在が、ここにもう一人。
『いや~~嬉しいですなぁ! あの墓に興味を持ってくださるとは』
ニコニコしている小さなトカゲ……ジン。
明の頭の上で、堂々と胸を張って(?)いた。ユウと朝香は顔を見合わせて苦笑する。彼はずっとこんな調子だった。
墓のことを話しては、どこか誇らしげ。小さな体の、さらに小さな鼻をふかふかと鳴らして、ユウを見上げている。そう、このトカゲは言葉が話せて、ユウのことを捉えている……朝香にも視えているため、所謂「霊的なもの」のようだ。
「ジンさんは、あのお墓と関係があるの?」
そう尋ねてみる。
あの墓の近くにいたのだし、この誇りよう。中の人物と関係があったのだろうか。
ジンは胸を張って、一言。
『分かりませぬ!!!!』
「分かんねぇのかよ」
明が頭上を睨む。ジンは気にする様子も無く、その手でペシペシと黄金色の頭を叩いていた。「やめろ」と明。
「分からないの?」
『えぇ。なんせワシ、記憶が無いもんですから』
記憶が無い。
ユウは目を見開いた。思いがけず、同胞に出会った気分になる。
その一瞬だけ、トカゲはどことなく神妙な顔つきになる。ペロリ。ペロリ。舌で目玉を舐めて。
『気が付いたらワシは、あの墓の側におりましてな。なぜここに? ワシは何をしていたんだったか……記憶が全て抜け落ちたわけじゃあ無いのですが、その墓に至るまでの記憶がごっそりなくて。はっはっは』
「それ笑い事?」
「でも、貴方はずっとあの墓の側にいらっしゃったんですか?」
朝香が尋ねる。するとジンは、頷くように一度瞬きをした。
『記憶はありゃしません。ですが、「この墓の近くにいたい」。「この墓を見ていたい」という気持ちだけは、強く強く残っているのです。きっとワシは、あの墓の主に恩があるに違いないのです!! それから数百年、ワシはあそこにいるという次第ですはい』
語るトカゲの目は、期待と架空の恩情に煌めいていた。
(……気持ちだけは、残っている……)
その気持ちだけで、彼は墓場に残っていたのか。記憶が無くとも。
ふと、海を訪れた時に心に湧き上がった感情が思い出される。あれは、それこそ波のように、ユウの全感覚を攫っていった。体でもない、心でもない、どこか奥底の部分。自分ですら触れられない柔らかなところに、塩辛さを与えていったあの感覚。記憶が無くとも、深く「自分」に刻まれた。
自分に前後など無いのだけれど、記憶を失くした前と後の自分を繋げるもの。糸のように細いけれど、蜘蛛の糸のように丈夫な感情の欠片。
「……分かる、かもしれないわ」
ユウがぽそりと言葉を落とす。
朝香は微かにユウに顔を向けた後、ジンに向かった微笑む。
「なるほど。では写真を撮っている時にずっと感じていた気配は、貴方でしたか」
『えぇ。何か危害を加えようものなら何とかしようと思っていたのですが……写真なら大歓迎です! あの墓の素晴らしさを、ぜひ残していただきたい!』
「素晴らしさって……お前何にも覚えてないんだろうが」
明が呆れたようにため息。
それとほぼ同時に、先程の女性がこちらに駆け寄ってきた。
「お待たせして申し訳ありません!」
彼女は、また別の書類を抱えている。
チラリと見えた紙の端。「龍姫物語」という文字。タイトルだろうか。
「先程はありがとうございました! 私の名前は、
ぺこり、と勢い良く下げられた頭に「おぉ」と後ずさる。ユウの体は透けるのだから、問題は無いのだが。
朝香も挨拶と自己紹介を返すと、軽く辺りを見回す素振りを見せる。
「墓場にいた時にはもう一人声がしていたと思うのですが……そちらの方は?」
「あ~~良いんですよあいつのことは! それよりこれの書類なんですけど聞いてください痛ぁっ!!」
パシーン!!
本日二回目の音がこだまする。
一瞬役場が静まり返るが、「何だいつものことか」とすぐに仕事を再開していた。
頭を擦っている鳴上の後ろで仁王立ちしているのは……先程の男性である。
「良くねぇよ! いや良いけど! 押し付けがましく説明始めんのやめろ。この人困ってるだろうが」
「だからって殴ることはなくない!?」
二人の言い合いが役場内に響く。しかし誰も止める気配はない。
(……いつものことなのかしら)
ユウは苦笑する。
言い合いというより痴話喧嘩と言ったところか。二人に言っては怒られかねない気がするが。
「はーー……俺は
「細波朝香です」
二条の声のする方に顔を向け、朝芽は微笑む。
二条もそれに笑い返した。元々吊り上がった目が微かに柔らかみを帯びる。
「二条さんも、役所の方ですか?」
「あーいや。俺は手伝いっていうか……大学院生なんすよ。この町の伝承研究をしてて。真奈とは幼馴染だから便利だなーっていう理由でここに」
「なるほど」
伝承研究。この町には、そんなに色濃い伝承が伝わっているのだろうか。真奈も「あのお墓にエピソードがある」と言っていたくらいだ。
トカゲのジンを見やる。彼はうんうんと頷いて。
『そんなすごい伝承があるのですな~!』
「知らねぇのかよ……」
『記憶がありませんから!』
依然として自信ありげにそう言う。
彼も霊的なものなのだとしたら、記憶が無くともそれなりに生きている可能性が高い。となると、その伝承にも関わりがある可能性がある。
(こんなに自慢げなのだものね)
彼女たちの話を聞いていたら、ジンも記憶を思い出すのかもしれない。何だか他人事とは思えずに、ユウはそう思う。
『それで! その伝承とは、どんな物語なのでしょう!』
ジンが明の頭から身を乗り出す。落ちそうになるところを、慌ててユウが掬い上げる咄嗟の行動だったが、思わず目を見開いた。触ることが出来る。
見た目は普通のトカゲなので、森で出会った鹿の主と同じように実体なのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。事実、鳴上と二条にジンは見えていない。
ジンの代わりに、朝香が尋ねる。
「伝承とは、どんなものなのですか?」
「よくぞ聞いてくれました!」
あからさまに鳴上のテンションが上がる。
書類をきゅっと握る手の平から、彼女がどれだけその伝説を好いているかが伝わってきた。
「ではこの書類通りに順を追って説明しますね」
「おい真奈。細波さんは目が見えないんだぞ」
「読み聞かせするわよ!」
「読み聞かせ!?」
過去の物語に輝かせる目。自信満々だけれどどこか抜けているところ。似ている……と思いながら、無意識にジンと鳴上を見比べてしまった。
二条は呆れたように首を横に振ってから。
「どうせなら、龍姫像のところまでお連れしたらどうだ?」
(「龍姫」って……書類のタイトルの)
その名を聞いて、彼女は再び目を輝かせる。
話したい伝承が、その龍姫のことなのだろうか。代行で訪れた墓。龍姫。龍姫像。そして、墓の近くにいたジン。
彼らの関係に何があるのか、胸を膨らませながらユウは一行に同行した。
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