【7-5】

◇◇◇


 ──娘の日々は、やさしいものではありませんでした。

 お貴族様にはたいそう愛されました。しかし、愛され過ぎたのです。

 高貴でない出自だのに、男から寵愛を受ける娘。他の女性や、貴族の反感を買いました。

 やさしい村で育ったやさしい彼女は、だんだんと精神を病んでいきました。寝たきりになることが増え、「帰りたい、帰りたい」……涙を流し、精神が退行し、甘え……。そんな娘に、お貴族様は困ったのでしょう。

 あろうことか、男は娘を道中に捨て置いてしまったのです。


◇◇◇


「……っていうのが、龍姫の物語の中盤までなんですよ!! ほんとにひどくないですか!? この男貴族はクソ!!」

「真奈、口が悪い」

 鳴上の叫び声に、すれ違う人がぎょっとしてこちらを見てくる。二条が慌てて諫めていた。

 龍姫像の置かれているという公園へと足を運ぶ、その道中。

 ユウたちは鳴上から龍姫伝説のお伽噺を聞いて歩いていた。少々、彼女の脚色も入っていたような気がするのだが。明はつまらなそうに、朝香は頷きながら話に聞き入っている。

 なるほど、お伽噺にはよくある、悲劇的な女性の物語だ。

(貴族の男性に見初められたのに、捨てられてしまうなんて……)

 鳴上が憤慨する理由も分からなくはない。龍姫……カミの物語には、ユウも人並みに同情した。

 しかしまだ、「伝説」たる部分が出て来ていない。

「それで、どうなってしまったのですか? 『龍』という部分も気になりますが」

『もしやその娘、龍となり腹いせに町を焼いたか!?』

「怖ぇよ」

 ジンも中々に盛り上がっている。明がぼそりと呟いた。

「ふふふ、ここからがサビですよ。カミはですね……」

「と、その前に。到着しましたよ」

 二条が話を遮る。

 鳴上の話から、前方に集中を移すと、その賑やかさは耳に入ってきた。

「ここは……」

「公園みたいよ」

 見えない朝香へ、ユウが告げる。

 そう、そこは公園だった。鼓膜を震わせたのは子どもたちの声。丁度、地域の幼稚園の子どもたちが遊びに来ているのだろうか。たくさんの小さなスモックが公園内を駆け回っていた。

 以前のっぺらぼうのノウと出会った公園程の広さは無く、子どもたちと、引率が三人。小さな遊具だけがこじんまりと。それから。

(もしかして、あれが)

 いや、あれしかない、と思う。

 確かにその像は、公園の中でも存在感を放っていた。


 公園の真ん中に、女性の全身を模した像がある。


「この女性の名前が、カミ」

 鳴上は、誇らしげにその女性の像を見つめていた。三人も目で追う。明の上に乗ったジンも、ちろっちろっと舌を出して「彼女」を見つめた。

 立像。台座を含めれば、その高さは二メートル強ほどあるだろう。見上げなければ、顔が見えない。平安朝の女性によく見られる長い髪。どこか遠く、上を見つめる切れ長の瞳。細くしなやかな体躯は、貴族に嫁いだにしては貧相な服装──庶民の服、小袖といったところか──に包まれている。しかし纏う雰囲気は武人のようだ。肩幅に開いた足は勇ましく、右腕は空に掲げられている。後世の人が美化して作成したのだろうが、美しい女性だ。凛々しさ。強さ。可憐さ。逞しさ。それら全てを併せ持っている。

 お伽話や伝承は、しばしば人の願いや希望がもたらされるというが。

 だからだろうか。この女性に惹かれてしまう。

『ほう、何と……何と、美しい女性か……胸が苦しい』

 ふと、ジンの声が痛々しいものに変わった。

 ハッとしてユウはトカゲを見下ろす。まさか、彼女の姿を見て何かを思い出したのではないだろうか。

 ジンは、至極真面目な表情をして、言う。

『これが…………恋!?!?』

「馬鹿なのか?」

 すかさず明のツッコミが入った。ユウも透けた体でコケそうになる。

 やけに深刻な顔をしていたので、心配してしまった。

「……ユウ」

 気の抜けた会話に、穏やかな声が割り入る。朝香だ。

「あぁ、朝香は見えないわよね」

「うん。……そうなんだけど」

 彼は、何やら思案している様子だった。見えないだろうに、カミの像をじっと見つめている。見えているのだろうか……と思うほど。けれどその様子は無い。「どんな様子?」と小声で尋ねてきた。

 ユウは鳴上と二条を伺いながら答える。彼らは園児たちに話しかけられたので、伝説の続きを語りだすのはまだ先だろう。

「そうね、とても美しくて格好いいわ。さっきまでのお伽噺に聞いていた女性とはまるで別人みたい」

 とっさに口を付いた言葉に、自分で納得した。

 そう、伝説のカミとこのカミは、まるで別人だ。故郷への寂しさに傷心し、弱くなっていった女性とは思えない。ただ一つ共通するのは、その目にたたえた優しさだけれど。

 あの話の続きに、この像へ繋がるエピソードがあるのだろうか。

「あ、待って。像の台座に何か書いてある……え、お墓?」

「お墓?」

 ユウの呟きに、朝香が明らかな驚きを示した。ぴくり、と明も耳を震わせる。

 何か、そんなに意外だっただろうかと疑問に思う。が、この像が彼女のお墓だということは確かに驚きに値する。

「こんな公園の真ん中にお墓が作られたのね……」

「……そうなんだね」

 朝香は、改めて龍姫像を見上げた。

 それから、自然と足を肩幅に開いて……あぁ、これは、よく知る佇まいだ。

 思ったと同時、朝香はカメラを像に向けていた。何を、残そうと思ったのだろう。空に手を掲げた女性の、その指先。するりと秋風が絡まっていくのを、ユウは見つめていた。

 ──カシャッ。

 どこか強張っている。

 写真を撮るのは、残したいと思えるほどの想いがあるからだと朝香は言っていた。代行から外れたこの写真に、何を託して。

 ──カ、シャ……。

「しゃしん!!」

 甲高い声に、視線を下ろす。

 子どもの一人が、朝香のカメラを指差していた。たったと駆け寄り、そのグレーのスキニーにしがみついた。唐突なことに、朝香が「わっ」と小さく声を上げる。

「ねーねーぼくもおしゃしんとってー」

「こんにちは。いいよ」

「こら!!」

 焦って近付いてきたのは引率の一人。ハーネスの付いた犬を目に留め、さらに顔を青くした。

「お兄さんに迷惑かけたらいけません! すみません」

「いいえ、大丈夫ですよ」

 朝香は、いつものように柔らかく微笑む。明が、そっとその間に割り込む。明のことは視えるのだから、そこにいれば他の人との距離感も掴めると踏んでのことだろう。

 こちらの騒ぎを敏感に悟る子どもたち。気が付けば、皆がこちらに近寄ろうとしていた。

「龍姫をとってたの!?」

「わたし、おとなになったら龍姫になるのー!」

「いぬ!」

「犬じゃねぇ!」

 何だか賑やかになってきた。鳴上と二条も朝香の元に戻ってくる。

 朝香は自分の身の回りを気にしながら、慎重に膝を折る。それから、子どもたちに語り掛けた。

「みんな、龍姫が好きなの?」

「うん!」

「かわいい!」

「龍姫さまとけっこんする!」

『うむ、分かるぞ!!』

「ふふふ。龍姫ことカミは、町の人に愛されているんですよ!」

 ジンと鳴上が踏ん反り返る。「何で真奈が偉そうなんだよ」と二条。

 その時、一瞬。二条の目に、何とも言えない色が過った……ような気がした。

(? どうしたのかしら)

「では、細波さんに先程の続きをお話ししますね」

「龍姫のおはなし!?」

「わたしもきく!」

「ボクも!」

 子どもたちが一人。また一人とその場に腰を下ろした。引率の先生たちは顔を見合わせ苦笑し、それでも鳴上の方を見つめる。

 二条ももう普段通りに戻ったようで、彼女を見つめていた。

 静かで小さな公園に、一つの昔話語りが始まる。

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